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心太#5 最終回

【先生】#2

8月6日以降も、すけおの日記は続き、毎日2~3つずつ川柳も増えていった。
律儀にも、50音すべてを網羅するつもりなのかや行の「い」や、わ行の「ゐ」を頭に置いた川柳も書かれていた。また最初の方から読み返していると、川柳はしんたくんの提案で毎日朝一で書くようにしているらしい。1日2つだったり3つだったりするのは、しんたくんの指示らしいというのもわかった。
もしかして、濁音や半濁音も網羅するつもりだろうか。このペースだと50音では足りないだろうしなあ。二週目にも入るのだろうか。


8月15日、今日も気を緩めないよう仕事をこなし、帰宅時間が近づいてきたころ、救急の患者が搬送されてきた。
海で遊んでいたところ、溺れて心肺停止状態に陥ってしまったらしい。
男子高校生だ。こんなに若くして死なせてはいけない。君も死んだらご両親に合わせる顔がないぞ。
必死の思いで私は蘇生処置を行い、無事、その高校生は一命をとりとめた。
その日は仕事が終わると、どっと疲れが押しよせた。

すけおと大して歳の変わらない、彼の命を救えたことはとてもうれしかった。それと同時に、一度消えようとしていた命をこの世にとどめてしまうことが正しいのかどうか、わからなかった。医者をやっている以上、自分に託された命は全力で救う。それでも、この手で一人の運命を変えた結果、別の命に影響しているのではないか。

これまで何度も人の命を救ってきて、その中には瀕死状態から回復した方も何人もいた。そして、その後何もなく、あっさり長生きする人もたくさん見てきた。

運命ってのがもしあったとしても、それはすごく曖昧で、思っているより容易に変わるものなのかもしれない。
神様だって全世界の人間を常に見張れるほど暇じゃないだろう。
死ぬ運命だった人間が、何らかの力によって助かったとき、神様は代わりに別の人の運命を変えて採算を合わせているのかもしれない。
神や運命というと別の世界のような話になるが、これもエネルギーが支配しているのかもしれない。

と、答えの出ない問いについて思いを巡らせながら帰宅すると、今日も妻が迎えてくれた。珍しくすけおも起きており、迎えてくれた。
風呂に入りながら、この後の夕飯時、すけおと何を話そうかと楽しみにしていた。

結局、風呂から上がると、すけおはぐっすり眠っていた。日記によると、今日もしんたくんと一緒に勉強してから遊びに行ったらしい。久しぶりに大勢集まってはしゃいだようで、ここ数日で一番疲れているらしい。
それではお楽しみ今日の川柳。と頭の中で前振りを入れながらページをめくる。

〈目にゴミが 掻いても取れない どうもこうもない〉

いつもの調子でまたもダジャレだ。今日は珍しく、すけおの作品は一つだった。
テレビに映るニュースを見て、今日が終戦記念日だったということを思い出した。昼に黙とうを行ったのだが、午後の出来事が多く、あれから長い時間が経ったように感じていた。もしかしたら、彼は、この平和の日のおかげで、たくさんの人の祈りに助けられたのだろうか。神様は日本人にとって大切なこの一日は、日本を贔屓にしてくれているのだろうか。
最近、疲れてかスピリチュアルな考えになっている。もし今宗教の勧誘が来たら、すぐに何も考えず入信してしまいそうだ。今日はゆっくり休もう。
ふう、やっと今日も終わる。


20日になると、川柳は濁音半濁音ゾーン

に突入した。

〈蛾と蝶々 嫌われ好かれ なぜこうも〉

〈残酷な この運命も 神のいたずら〉

オムニバスだろうか。二つとも同じような社会の問題への投げかけのように見えた。二つで一つのことをうたいたいのかもしれない。一つ目の「が」の方はどこかで見たことがあるような気がした。昔、おふくろが同じようなこと言ってたのを思い出した。蝶々も蛾も見ためはほとんど変わらないのに、なぜ人間はわざわざ区別して、蝶々を好み、蛾を嫌う傾向にあるのだろうか、と。
濁音半濁音ゾーンでも、すけおの川柳は変わらず続いた。

それからも、すけおの日記、川柳は更新されていき、何度か、見たことのあるようなもっと言えば前日に見たくらいの感覚に陥ったことがあったのだが、そういうときでも二つのうちの片方のみで、デジャヴとは言い切れないようなものだった。そう、何度か「デジャ」が起こった。

夏休み最後の日がきて、すけお川柳も完結か、と思いながら日記をめくると、最後にあったのは、

〈僕からは 直接見れない 僕の瞳〉

だった。全てどんな意味を込めて書いているのか、真意はわからないが、何か意味がありそうなものばかりだ。ただ、一つ気になった。なぜか、最後の一文字にあたる「ぽ」を余らせて、中途半端なところで終わっていた。

もうこの楽しみな時間も今日で終わりか、と明日から日々の楽しみが一つ減ってしまうということが少し寂しかった。正直言うと結構寂しい。

という私の不安も杞憂に終わり、新学期初日も日記は続いた。
日記によると、しんたくんは学校を休んだらしい。
すけおは終わらなかった夏休みの宿題をうまくごまかせたらしい。
一カ月たってもクラスの雰囲気はそのままだったようだ。

川柳は、というと...「ぽ」まで更新することはなく、ゴール一歩手前で力尽きたようだった。

翌日も川柳は増えておらず、代わりに日記の内容がボリューミーかつ不思議なものだった。
うまくまとめられなかったのか、ただただ並べられたしんた君の奇妙な行動記録。

部屋からノートを持ち出し、リビングのテーブルの上で思案し始めて、どれくらい時間が経ったことだろう。とうとう、私の中である仮説が出来上がった。全く科学的ではないため、自分の考えながら全く納得はできなかったが、様々な出来事とうまくつじつまが合ってしまった。

そして、確信こそしてないものの、私の目からは涙があふれだし、すけおの部屋へ戻り、ノートを手に持ったまま、ベッドの横に膝立ちで座り、寝ているすけおの頭を抱き寄せた。

「ん~、なんだよ、お父さん。」

「寝てたのにごめんな。」

顔を伏せ、泣いているのが悟られないよう、声を低くしてしゃべった。

煩わしいように私の腕をほどいた後、すけおは反対側に寝返り、再度眠りに入った。

すけおの頭をなでながら、

「しんたくん、一生大切にするんだぞ。」

と伝え、部屋を後にした。

ドアを閉めるとき、背後から

「うん。」

と聞こえたような気がした。



≪終≫

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