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「ツイスト・イン・ライフ」第15話(全22話) 創作大賞2024応募作品

第一話:松尾誠司 その一
第二話:佐野涼平 その一
第三話:越智弘高 その一
第四話:藤吉礼美 その一

第五話:松尾誠司 その二
第六話:佐野涼平 その二
第七話:越智弘高 その二
第八話:藤吉礼美 その二

第九話:松尾誠司 その三
第十話:佐野涼平 その三
第十一話:越智弘高 その三
第十二話:藤吉礼美 その三

第十三話:松尾誠司 その四
第十四話:佐野涼平 その四

第十五話:越智弘高 その四


「この店は本当に癒しの空間ですね。最高です」
 越智おち弘高ひろたかは上機嫌でジェムソン・ハイボールを味わっている。
 越智は週に三回ほど「バー・ツクシ」に通うようになった。
 この日はまだ客がおらず、グラスに入った氷の音がカラカラと店内に響く。

「ありがとうございます。でも越智さんが来てくれるようになって、さらにお店の雰囲気が和やかになったんですよ」
 バーのマスターである進藤しんどう正信まさのぶも、常連客になってくれた越智に対し感謝を伝える。
 進藤は六十代半ば、白髪頭が似合う彫りの深い顔立ちで、笑うときに浮かぶ目元の皺が柔和さを表している。身長は高くなく痩せ型であるが、カウンターの内側でグラスを拭いているその姿からは風格が漂っている。
 マスターの進藤や常連客達と話していると、心安らぐ時間が過ぎていく。
 高校卒業後すぐにファーストフード店の正社員となり、多忙な生活を強いられていた越智にとって、このような時間の使い方はほとんど経験がなく、新鮮だった。

 すると、「バー・ツクシ」の扉が軋む音を上げて開く。
 来客だ。

 越智が入り口に目をやると、二十代半ばくらいの女性が入ってきた。
 明るい茶色のロングヘアで、黒のスカートと黒のインナーに、デニムジャケットを羽織っている。

「進藤さん久しぶり!」
 と言いながら越智の後ろを通り、一番奥の席に座る。

 越智は「なるほど、一番奥の席はこの人の指定席というか特等席なのか」と、その女性を横目で見る。

「久しぶりだねしのぶさん、一か月ぶりくらいでしょうか?」
「ちょうど中間試験だったんだよねー。で、今日終わったから飲みにきちゃった! 生ビールくださーい!」
 忍という女性客はかなり砕けた口調で進藤に話しかける。しかしその人懐っこさゆえか、失礼な印象は一切ない。

「それはそれはお疲れ様でした。生ですね、かしこまりました。本日一杯目の生ビールなので少しお時間もらいますね」
 進藤は忍の伝票に「テーブルチャージ」「生ビール」と書くと、棚からグラスを出して無造作にビアサーバーから注ぎ入れて、それをシンクに流す。

 続いてジョッキクーラーからジョッキを出し、ビアサーバーから丁寧に注いでいく。数度に渡って注ぎながら「七対三」を作っていく。
 ナイフのようなヘラを使ってジョッキを撫でるように、泡の盛り上がった部分を流し、最後にもう一度サーバーからきめ細やかな泡を足していく。
 コースターを忍の前に置き、その上に生ビールを載せる。

「生ビールお待たせしました。」
「わーい、ありがとうございます!」
 忍はジョッキを手に取り、進藤に笑顔で礼を言う。

 越智も「お疲れ様です」と言いながらグラスを近づけると
「ありがとうございますー! 嬉しい!」と言いながら乾杯に応じ、幸せそうにその泡に口をつける。
「あー、うんまっ! ここの生は世界一うまい!」
「一か月我慢してたんだからね!」
 と、満面の笑顔である。そう言いながら、忍はポーチからアイコスを取り出して、吸い始める。

 越智は「よく笑う人だな」と、思わず忍を見てしまう。
 忍も、こちらを見ている越智に気づくと、じっと顔を見つめる。

「あっ、やべ」と越智は目をそらす。

「ねえ、あなた……」

 忍は静かに話しかけてくる。見つめてしまっていた。何も言い訳できない。


「……ヒロでしょ⁈ ねえ、ヒロだよね!」

 女は信じられないといった表情で越智に話しかける。

 越智は、何よりその呼ばれ方に驚く。
「えっ? 確かにヒロって呼ばれてたことありますね。僕は、越智弘高って言います。でもヒロという呼び名は昔……」

 それは、かつて自分が育った愛知県の児童養護施設での呼び名だった。

「わあーっ! ホントにヒロじゃん! こんな偶然ある⁈」
 女はさらに笑顔が弾け、嬉しそうな声色になる。

「私、高木たかぎしのぶ。覚えてる? 『青桜せいおうさと』の、アンタの一個上」

 越智はその名を聞き、一気にその記憶が蘇る。
「うわっ! 高木さん⁈ マジっすか!」
 高木は「里」にいた越智の一学年上の、やんちゃな女子だった。
 中学二年生でグレて金髪になった越智に対しても全くビビらず
「アンタはそういうの似合わないからやめとけ」と言い放ったのがこの忍だった。

 忍は越智の頭を撫で回す。
「ヒローっ! 会えて嬉しい! てか、またデカくなったね。身長体重いくつあんの?」
 越智はなすがままにされている。
「身長は187センチで、体重は92キロです。てか痛い痛い」

「すげー! でっかい! かっこいいなぁ! あたしアンタのこと結構好きだったんだよ」
 越智はその突然の告白に、声が裏返って間抜けな返答になってしまう。
「えええ、ち、ちょっと冗談やめましょうよ」

「私、冗談なんか言わないよ! 小さな子がいじめられてるといつも止めに入ってたじゃん。かっこよかったんだよ」
 忍の目は意外にも真剣だ。越智も昔話に少し恥ずかしくなる。

「進藤さんヤバくない? 地元の知り合いなんだけど!」と忍はカウンターの中にいる進藤に顔を向ける。
 カウンター越しに二人のやり取りを見ていた進藤も、珍しく驚きの表情をあらわにしている。

「偶然とは本当にすごいものですね。まさか、この店がその舞台となるとは」

 こうして、忍は「里」の卒園後について話し始めた。

 忍は「里」を卒園した後すぐ、名古屋のアパレルショップで働き始めた。
 しかし手っ取り早くまとまったお金がほしくなり二十歳になって飲酒が解禁にしたタイミングから栄のキャバクラで働き、三年でナンバー2にまで登り詰めたという。

「今は専門学校生だよ。社会福祉士の資格を取りたくてね」
 現在は都内にある専門学校の二年生だという。昨年、入学のタイミングで千葉県に引っ越してきたのだとか。

 長く働くことができる資格が欲しいと思ったこと、そして、自らもお世話になった「児童養護施設」で働けることから、社会福祉士を目指すことにしたという。
 縁があれば「里」での就職も考えているという。

「へぇーっ! 高木さん学校行ってるんすか! めっちゃ偉いですね!」
 越智は感心する。
「あと、正直意外です」

「でしょー? 私、『里』にいた頃とかろくに学校行ってなかったからね。」
「そうそう、高木さんそういうイメージです。いつもドンキで買ったようなジャージ着てましたよね」
「おいヒロ、それは言うなよー」
 二人とも、若かりし忍を懐かしんでいる。
 当時の忍は、金色のメッシュの入った前髪を大きなクリップで留め、金色のラインが入ったダボダボな黒いジャージを身に着け、舌にピアスを開けていた。

「皮肉なことにさ、勉強がめちゃくちゃ楽しくてね。今」
 忍は、目を輝かせて、学生生活を語る。

「なんていうかさ、『勉強しろ!』ってオトナたちから強要されるのは本当に嫌だったんだけど、新しいことを知っていくこと、できなかったことができるようになることって本当に楽しいんだ」

 越智は忍の話に、黙って耳を傾ける。

「高校卒業してすぐ専門学校に入学してきた子たちの中にはね、嫌々勉強やってるって子も結構多いんだ」
「『親に資格取れって言われたから』とか『将来働くために仕方なく』とか『先生に勧められたから』とかさ」

「そういう子に限って、すごく恵まれてるんだよね。親に学費出してもらうって、私らからしたらとんでもなくすごいことじゃん? でもみんな、それが当たり前だから、自分が恵まれてるってことに気づいてないの」

「入学したときはさ、そういう言葉一つ一つにイライラしてたよ? 『やる気ないなら来んなよ』とか『親に金返して辞めろよ』とか」

「でもねー、私もその子らの気持ちわかっちゃったんだよ。だって、まんま昔の私なんだ。親とか先生とか『オトナ』から言われて、無理やり来させられてるんだよなってね。しょうがないよね」

「だから、私は私で『今、頑張ろう』って決めたのさ。学べるだけ学んでやろうって。だって、同じ学費払ってるんだよ? しっかり元取りたいじゃん。私は、食べ放題行ったら肉食べたいし、飲み放題行ったらビール飲みたい人間だからさ」

「で、そんな風に嫌々やってる子たちだってきっと、卒業していざ働き始めたときなんかに『もっと勉強しておけばよかったー』って思うんだよね。きっと、人生ってそういうもんなんだ」

 自らの思いを語る忍が、眩しかった。
 そこにいる女性は、もはや越智が知っている忍ではなく、心を動かされた。

かえでさん、その言葉聞いたら泣くんじゃないですかね」
 越智はふと、恩師の名前を出す。「里」の職員である中谷なかたにかえでだ。
「うわー! かえちゃんねー! 懐かしい! 泣くかな? 私すごく迷惑かけてたなぁ。いっつも反抗して口喧嘩してた。元気してるのかな」
「俺この前『里』に電話かけたんたですけど、元気そうでしたよ」

「えっ! ヒロ、『里』に電話とかしてるんだ! 私もしてみよっかなぁ」
「ちょっと仕事の方で色々悩んでましてね」
「どうしたの?」
「いや、過労で死にかけたんですよ」

「……は? それって誇張とかじゃなく?」
「はい。誇張ゼロで、マジのガチのやつです。二週間入院してました」
「えええええっ! 生きててくれてよかったぁ!」
 忍は叫びながら越智に抱きつく。その拍子にアイコス特有の焦げたような香りが微かに鼻腔に届く。
 越智は不覚にもドキッとしてしまう。


 近況報告や思い出話に、気づけばもう三時間も経っている。
 初めは、進藤と越智と忍の三人しかいなかった店内には、いつの間にか客が増えている。そのことにすら気づかず、二人は話し続けていた。

 二人が我に返って店内を見回すと、見知った顔がたくさんいる。
 二人は恥ずかしそうに顔を見合わせ、苦笑いをしながら他の席の客に会釈をする。
 常連客の一人から「おっちゃん、忍ちゃんと知り合いなの?」と話しかけられた。
 忍は越智を人差し指でつつきながら「おっちゃんだって、ウケるー」と、このバーだけでの呼び名をからかってきた。

「まさかこんな遠く離れた地で、地元の先輩に出会えるとは」
 越智はこの三時間はまた格別なものだと感じていた。
「それにしても高木さん……見た目だけじゃなくて内面もものすごく素敵な女性になったな」

 すると忍が突然、思い出したように話し始める。
「そういえばさ、ヒロって太鼓叩くの得意だったよね」

「えっ? あ、はい。よく覚えてますね」
 いきなりそう言われた越智は驚く。

「うん。今色々と思い出してたんだけどさ、『里』のクリスマス会で、なんか色々とお菓子の箱みたいなの集めてドラムやってたじゃん。あれすごかったなーって蘇ってきたんだよね」
 越智は、自分の演奏が十数年も誰かの心に刻まれていたのだという事実に感動を覚えた。

「あれ、叩いてみれば?」
 忍の細い人差し指が向く先には、ドラムセットがある。

「あぁ」
 越智は思い出したように
「実は僕も気になってたんですよね」と言う。
「でもお客さんの中に、叩く人はおろか、話題にする人も誰もいなかったから、叩いていいのか聞き出すタイミングをなくしてて」

「ねえ、進藤さん! この人ドラム叩けるんだけど、あれ叩いてもいい?」
 と、忍は前のめりにマスターの進藤に話しかける。

 奥の席からの「意外な注文」は、他の客からの注目を集めた。

 マスターは答える。
「あぁ、あれですか。ご自由にどうぞ!」

「ただ、私の友人が昔使ってた古いやつでして、もうかれこれ数年あのままじゃないかなぁ。一応掃除のときにホコリは落としてますけど、メンテナンスとかは全然できてないですよ」

「まじっすか! ありがとうございます! 調整は自分やります!」
 越智が勢いよく立ち上がってドラムセットへ向かうと、周りの客たちからもパラパラと拍手が起こる。

 越智はドラムセットの椅子の高さとバスドラムのペダルを確認する。スネアのスナッピーの状態を確認し、スタンドの微調整を行う。

 スティックで試しに軽く叩きながら「うんうん、なるほど」と言うと
 ポケットの中からT字の形をした金具を取り出す。チューニングキーというらしい。
 ドラムのヘッドの張りを調整することで、打音の音程を調整する。
 チューニングキーを使い、対角線上のボルトを順番に調整していく。
 お酒を飲んでいるとは思えないほど手際がよく正確だ。店内の人間は思わずその姿を見つめてしまう。
 一通りの調整を終えるとドラムの位置などを調整し、越智は椅子に腰かけて改めて全てを鳴らす。

「おっ、いい音!」と言うと、越智のパフォーマンスが始まる。
 越智は挨拶代わりにシンバルとタムを軽く回してから、ジャングルビートを刻み始める。力強くも軽快なフロアタムの音が己の世界を作り出し、店内の客をその世界に引き込んでゆく。
 誰も声を発することはないが、聴衆のテンションが盛り上がってきていることだけは肌で感じる。それに応じて飾りとしてハイハットやクラッシュシンバルを入れる。
 さながらビッグバンドがそこに存在するような、そんな演奏である。
 ひとしきり満足に演奏を楽しんだら、最後に再びタムを軽く回してからシンバルをシャラシャラと鳴らして終了する。

 店内は大きな拍手に包まれた。

 越智は久しぶりに誰かに自分のドラムを聴いてもらったという高揚感が大きく、背筋を伸ばして席に戻る。普段よりさらに身長が高く見えた。

 席に戻るなり、進藤が
「越智さんすごいね。プロでやられてたんですか?」
 と尋ねると、越智は即座に否定する。

「いえ、確かにガキの頃から太鼓を叩くのは好きでし、ずっとドラム叩いてますけど、プロとして金もらって演奏した経験はないです」

 周りの常連客達も「プロなれるよ! 金払うよ!」と口々に賞賛を送ってくれ、恥ずかしそうに頷いている。

「ちょっと……なによ……」 
 気づけば、隣の席で忍が放心状態になっている。
「ん、どうしました?」
「アンタ……こんなにすごいの? 私音楽は全然分からないけど、めちゃくちゃ感動しちゃったよ」


 この日をきっかけに越智と忍は一気に距離を縮め、ほどなくして交際がスタートした。

 越智は忍のマンションに週に五日ほど泊まる生活となった。

 こうして、二人での「バー・ツクシ」通いが始まった。越智はたまに進藤から依頼をされてジャズ・テイストなBGM代わりにとドラム演奏をすることもあった。
 堂々と交際を宣言し、他の常連客から祝福の声やお祝いの一杯をもらっていた。

 越智と忍のカップルはこの日も楽しく、マスターの進藤や他の常連客らと語らいお酒を飲んでいた。


 夜も二十二時を回ったころ
「バー・ツクシ」の扉が軋む音を上げて開いた。
 来客だ。

 長い黒髪の華奢な女性が一人で入店してきた。辺りをキョロキョロと見回して恐る恐る入ってきた。雰囲気からしてどうやら一見さんらしい。

続きの話


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