「ツイスト・イン・ライフ」第10話(全22話) 創作大賞2024応募作品
第十話:佐野涼平 その三
「よかったよー……正直に言ってくれて」
佐野涼平の妻、佐野瑠璃子は大きく息を吐き、安堵の表情を浮かべる。
涼平は、まだ瑠璃子の顔を見ることができていない。
「頼りない大黒柱だな……俺は」
涼平は下を向いたまま声を震わせている。
「ママがせっかく心配して言ってくれたことを、昨日あれだけ大声で否定してさ、今日になってやっぱりママの言う通りだったって……最低だよな」
「そんなこと全然気にしてないよ。大変なんだよね。プレッシャーだったよね。いつもありがとう」
瑠璃子は微笑みかける。涼平はその言葉に、また涙が出てくる。
「……異動してからのお仕事、あんまり合ってない、のかな?」
妻にそう聞かれた涼平は、大きく頷いた。
「やっぱりね。これまで見たことないくらい、しんどそうにしてるもん。前も遅くなってた時期あったと思うけどさ、あの時と表情が全然違うよ」
涼平は声を押し殺して瑠璃子の胸に顔を埋める。
「ごめん……不甲斐なくてごめん」
瑠璃子は何も言わず、涼平を抱きしめていた。
涼平は翌日、瑠璃子に付き添われて心療内科に行った。診察の間、瑠璃子は車で二歳の息子の慶太と一緒に待っていた。
会社を休むという連絡をした際、機械設計課の加藤係長から嫌味を言われたがそれどころではなかった。
診察の結果、涼平は「適応障害」が強く疑われるということだった。
涼平は「まさか自分が心の病になるなんて」と信じられない様子で医師の話を聞いていた。
それから三か月後、涼平は会社を退職した。初めは服薬しながら出社したり試行錯誤していたが、症状は日に日に強くなり、結局ドクターストップがかかった。瑠璃子も退職に大いに賛成してくれた。
研究所から異動してきてわずか半年での退職、なおかつ件の新規開発機械の納品を見届けることができずに会社を去ることになった。
退職の挨拶をする中で、多くの「お叱りの言葉」も受けた。
「途中で投げ出すとかありえない」
「ウチみたいな大手でダメならどこ行ってもダメだよ」
「社会不適合者だな」
それらの言葉を聞くたび、涼平は「自分自身」が大切であることに改めて気づかされた。
改めて、こんな人たちのために犠牲にならなくてよかったと痛感した。
もしも機械の完成を見届けていたら、心身ともに完全に壊されていたかもしれない。そしてそうなった場合は、間違いなく誰も責任を取ってはくれない。
仕事を辞めた涼平はすぐに、会社の近くに借りていた一軒家を出ることにした。引っ越し先は東京都内の築三十五年の2DKマンションだ。
会社の工場があったのは地方の山の中腹であったため家賃は安く、広い一軒家を借りられていたが、都内に来たことで少々手狭な部屋になった。
駐車場は驚くほど高額に感じ、公共交通機関も便利なことから、一度は愛車を手放すことも考えたが、家族の送り迎えのために間違いなくあった方がいいという結論になり、残すことにした。
「社会不適合者、最高」
涼平はソファに仰向けの状態で呟く。
「何? どうしたの?」
記事を執筆中の瑠璃子が怪訝な顔で反応する。
「独り言」
体勢を全く変えることなく涼平は言う。
窓の外にはカラッとした秋晴れの空が広がり、細い雲がまばらに並んでいるのが見える。
窓が少し開いており、ひんやりとした風がレースカーテンを揺らしている。
涼平はむくっと起き上がると、壁に掛けられているサドウスキーのベースを手に取って、軽くチューニングをしてからスラップが多めのファンクフレーズを弾く。
相変わらずアンプには繋いでいないのでベチベチと金属音がむなしく響くだけだ。
瑠璃子が話しかけてくる。
「ねぇ。私、前にも聞いたっけ? なんでパパってベースを弾こうと思ったの?」
「父親の影響だよ」と、涼平は指板を見ながら答える。
「えっ……あっ、なんか、ごめんね」
涼平と彼の父との関係性を知る瑠璃子は動揺し、謝る。
「いやいや、別にいいよ俺ももうガキじゃないからさ」と涼平は笑い
「昔、父親が弾いてたのを見て、すげーかっけえなって思ったんだよね」
涼平の実家の家族関係がよかったころは、よく父にベースを弾かせてもらっていた。父は医学部時代の同級生と年に数回バンド活動をやっていた。
顔を上げ、涼平は何かを思い出すようにして話す。
「でさ、たまに話したことあるよね? 俺の姉ちゃんって、俺の百倍くらい頭いい化け物でさ、それだけじゃなくマジでなんでもできちゃうモンスターみたいな人なんだけど、その姉ちゃんも父親に影響されてやってたのよ、ベース」
「でね、唯一ベースのテクニックだけは、その姉ちゃんに負けてなかったんだよね。あの人ホントになんでもできるから、姉ちゃんだって結構上手かったと思うんだけど『俺は負けてなかった』って自分では思ってるんだ」
「姉ちゃんが凄い人すぎて、当時の俺はもうそれはそれは劣等感ヤバくてさ、『勉強なんて絶対やりたくねえ』みたいに不貞腐れてたんだけど、ベースだけは必死に練習したね。まじで」
「中一から高一の夏休みとか毎日十時間くらい触ってたんじゃないかな。高二のときは姉ちゃんが受験だったから流石にやらなかったけどね」
活き活きと目を輝かせながら、その思い出を語る涼平を、瑠璃子は目を細めて見つめている。
「あっ、わりぃ、ついつい話しすぎちゃったね」
涼平は我に返り、照れくさそうに頭をかく。
「いいの」と瑠璃子は微笑みながら
「でも、パパがベースを弾くのにはそんなに熱い理由があったんだ……なんかカッコいい」と続ける。
「えっ、あっ、なんか、は……恥ずかしいな」と涼平は鼻をこすっている。
会社を辞めた涼平は、一旦仕事のことを忘れて過ごしている。
子どもも小さいため早々に仕事を見つけなくては、と頭では考えているが、想像以上に心身ともに疲弊していたらしい。
先ほどまで遊んでいた慶太も、涼平の横で力尽きている。
瑠璃子はというと、ウェブライターの仕事がかなり忙しくなってきていると聞く。今も作業机で取材申し込みの電話をかけている。
当初は専ら在宅ワークであったが、都内に引越してきてからは取材などで外出することも増えた。
今後の涼平の仕事次第では、慶太を保育園に預ける必要があるなという話にもなっている。
そんな二歳の慶太には大好きなものがあった。
それは日曜の朝にテレビで放送されている「戦隊モノ」だ。
涼平と瑠璃子が生まれる遥か昔から、子どもたちに夢と憧れを与え続けているエンタメの最高峰である。
今放送中の番組は「トラレンジャー」というらしい。その名の通りトラがコンセプトなので、珍しく赤ではなく黄色が主人公らしい。
この番組は涼平も瑠璃子も一緒に観ている。
慶太はライバルキャラの「ブラックタイガー」が大好きだという。
泳ぎが大の得意で鋭い尻尾を持つその姿に惹かれたのだとか。涼平も瑠璃子も「こいつ、トラには見えないんだよな」と不思議に思っている。
ある日曜日の朝、いつものように家族三人はトラレンジャーの放送を観ていた。
CMを眺めていると「トラレンジャーが、みんなの街へ行くぞ!」というコーナーが始まった
「なんとか遊園地で僕と握手!ってヤツだよね」と涼平と瑠璃子は顔を見合わせて笑った。
どうやら偶然この日、隣の区にある「アニオン」というショッピングモールに、トラレンジャーがやってくるらしい。
「え? 今日じゃん! ここ車で三十分かからないよ!」と瑠璃子は言う。
「おお、マジだな。行っちゃう?」
涼平も乗り気だ。
慶太も文字は読めないがテレビ台の前に立って画面にかじりついている。瑠璃子も笑顔で頷く。
「よし決まりだな。先に準備するわ」
と涼平も笑顔になる。
「道が混むかもしれないから早めに出よう」
「トラレンジャーに会いにレッツゴー!」涼平は慶太を楽しませようと声を張る。
後部座席のチャイルドシートでは慶太がはしゃいでいる。やや道は混んでいるが、久しぶりの家族での外出に心なしか涼平も瑠璃子もテンションが上がっている。
今日のドライブのお供は「ビー・エフエム」のラジオ番組だ。
涼平はこのビー・エフエムの道路交通情報のBGMが大好きである。
ビー・エフエムは関東地方でしか受信できないため、遠方にいた会社員時代はほとんど耳にすることがなく、懐かしい気分に浸っている。
穴川で五キロ渋滞しているらしいが、幸い今の佐野家の行き先に影響はない。
そうしてトラレンジャー公演開始の一時間前にアニオンショッピングモールに到着した佐野家が特設ステージに行くと、既にたくさんの家族連れが席に座って開演を待ちわびていた。
「すげえー。人気なんだなぁ。こりゃ五列目ってとこか」
と涼平が驚いていると
「まぁ、見やすくていいんじゃない?」
と瑠璃子は慶太の手を取って、空いている席を見つけて入っていく。
二歳の慶太は「トラレンジャーに会える」とは聞かされているものの、今からここで何が始まるのか、まだハッキリと状況が読み込めていないようだ。
あまりに退屈だと泣き出してしまうかもしれない。何とか席を死守していたく、絵本を読んだりトラレンジャーグッズを見せたりして凌いだ。あまりにも長い一時間に感じた。
開演時間になると、「観覧マナー遵守のお願い」というアナウンスが流れた後、静寂が訪れる、
突如、大きな爆発音が鳴り響く。
慶太はその音にビクッと驚く。
「ガハハハハ!」という声と共に何者かが姿を現す。
あれは……トラレンジャーの敵である怪人マーライオンだ。
口から勢いよく炎を噴き出して目の前の相手を焼き尽くす強敵である。
見覚えのある”敵キャラ”の登場に慶太は目の色が変わる。
「マーライオン! マーライオンだ!」
「今日はこのアニオンを焼き尽くしにやってきたぞ!」
怪人マーライオンは高らかに叫び声を上げ、暴れ回る。
「待てマーライオン! お前の好きにはさせない!」
真打の登場だ。3人のレンジャーが登場し、客席からも大歓声が上がる。
「アニオンの平和は我々が守る!」
アクションの時間が始まり、子どもたちのテンションは最高潮だ。
マーライオンの手下としてライバルのブラックタイガーが現れると大歓声が上がる。慶太も瞬きを忘れて、目を輝かせていた。
こうして佐野家は大満足のヒーローショーを観終えた。
「やっぱり、大人も熱中しちゃうよね」と、涼平と瑠璃子は顔を見合わせて笑っている。
慶太も興奮が冷めやらぬ様子で、両親の前を闊歩している。
すると、歩いている佐野家の目の前を、スマートフォンを片手にあたふたしている男が横切った。
スーツ姿で、買い物客には見えない。店舗スタッフだろうか?
「はい……どうやら、怪我人が出てしまったようで……」
青ざめた顔でどこかに電話をかけている。何かトラブルでもあったのだろうか?
涼平はその男のことが気になって仕方がなかった。
続きの話
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