見出し画像

「ツイスト・イン・ライフ」第三話

第一話:松尾誠司 その一
第二話:佐野涼平 その一

第三話:越智弘高 その一


「ローリングストーンズのライブが当たった? 嘘だろ?」
 越智おち弘高ひろたかはスマートフォンの画面を見て、椅子から転げ落ちそうになった。
 職場の休憩室にあるパイプ椅子は、身長187センチの越智にとってはいささか小さいようだ。
 すぐにスケジュールを確認するも、当選した日にはシフトが入ってしまっている。
「うーん、厳しいだろうか……ダメ元で店長に聞いてみよう」

 越智は、世界的なハンバーガーチェーン「グリージー・バーガー」の正社員である。
 グリージー・バーガーは、日本のいたるところに店舗があるため、越智はかなり短期間での異動が多く、引っ越しを伴う転勤も少なくない。


 越智は幼少から十八歳まで、その多くの時間を愛知県の児童養護施設「青桜せいおうさと」で過ごした。父親はどんな人なのか分からない。母親は端的に言えば遊び人だった。いつも違う男を連れてきていたような記憶がある。越智が小学校高学年くらいになった頃から会いに来なくなった。

 越智は小学生までは、ただひたすら心優しくまっすぐな子どもだった。「ヒロ」と呼ばれ、かわいがられていた。
 しかし中学校に上がると、母親が自分に対してどれほどひどいことをしてきたのかを徐々に理解し、その行動に対する怒りが抑えられなくなってきた。中学二年生に上がる頃には「なんで俺は生まれてきたんだ」と自分の存在に疑問を感じるようになり、「勝手な大人たち」に対する憎しみを抱くようになっていった。

 しかしそのどす黒い感情をぶつけたかった母親はすでに彼の近くにいなかったため、その矛先は施設の職員や学校の教師に向かった。

 越智が初めてその負の感情をぶつけてしまった相手が、「青桜せいおうさと」の職員である中谷なかたにかえでだった。
 楓は体育大学を卒業し、越智が十二歳のときに新卒で入職してきた。楓はバスケットボール部の出身で身長が高くスポーツ万能。体育会系出身らしく礼儀などにはとても厳しく、怒らせると非常に怖かったため、特に小学生や中学生からは恐れられていた。

 ある日、楓がいつものように「ヒロ、おっはよー!」と挨拶をすると、越智は「んだよテメェ!」と大声で威嚇をした。楓は何が起きたのか理解できず、十秒ほどその場で固まってしまった。

 睨みつけている越智に対し、楓は目を丸くしながら「ヒロ……? どうしたの?」と聞いた。越智は「知らねぇよ! ムカつくんだよ!」となおも怒っている。
 楓が入職してからこれまで、越智はずっと心優しい少年で誰からもかわいがられていた。だからこそ、彼の言動を現実のものとして受け入れるのに時間がかかった。

 すると、その声を聞いて駆けつけた松本まつもとという男性職員が「ヒロくん、どうしたんだ」と聞くと「うるせえ!」と言いながら松本の胸ぐらに掴みかかった。

 ここで初めて楓は状況を把握し、他の職員たちを呼んで総出で越智を引きはがした。
 宥められた越智は「大人なんて嫌いだ。おまえら全員嫌いだ」と吐き捨てた。

 この日以降しばらくの間、越智は施設内の誰とも話すことはせず、挨拶もしなかった。

 その数日後、越智は中学の悪友の家で、友人数名と一緒にセルフブリーチをしてピアスを開けた。まばらな金髪と左耳に大きなドクロのピアスをつけて施設に帰ってきた。
 同世代の入所者は「うお、ヒロかっけえじゃん」と言う者もいれば「えぇ、似合わな……」と言う者もいたが、彼にとってはどうでもよかった。

「大人ども」の困惑した眼差しこそが、越智に優越感を覚えさせた。

 この頃には、不登校も目立った。朝に学校に行くフリをして施設を出ていっては、ゲームセンターで悪友とつるんで煙草をふかしていた。他の中学生や高校生の集団と喧嘩になったこともある。越智は中学二年生の時点で身長が177センチあり力も強かったため、高校生相手だろうと全く引けを取らなかった。

 こうして、越智はカウンセリングを受けることになった。
 越智は初めのうちこそ拒否していたが、カウンセラーにたどたどしくも自らの気持ちを述べていった。
「この施設の人が悪いわけじゃないことは分かっている」ということ、その一方で「大人に苦しめられた俺が、どうして仕返しをしたらいけないのか」ということだった。
「目の前にいる人たちが悪いわけではない」ということを頭では分かっていながらも、親からのひどい扱いを受けてきた理不尽さとどう向き合っていけばよいのか、まだ十四歳の越智には分からなかった。

 そのカウンセラーは越智の話を懸命に聞いてくれた上で
「きみはよく頑張っている」と、そして
「僕はきみの味方だ」と言い切ってくれた。
 よくいる大人たちのように「正しさ」を盾に自分を否定してこなかった。このとき越智の中に、もしかしたら世の中には「悪い大人」ばかりではないのかもしれない、という意識がかすかに芽生えていった。

 また、中谷楓の存在も大きかった。
 楓は越智からの怒声を浴びた翌日も、それを忘れたかのように
「ヒロ、おっはよー!」と笑顔で挨拶をしてきた。

 越智は驚きと動揺を隠せず、「こいつマジか」という表情で楓を見つめた。楓はきょとんとした顔で「おはよ。どした?」と言ったが、越智は何も言わず走って逃げ出した。

 楓は毎朝、越智に元気な挨拶を続けた。最初の何回かは無視をされていたが、次第に「っす」という一言や、小さな会釈が返ってくるようになった。

 こうして越智は、徐々にまた元の「心やさしい素直な子」の姿を取り戻していった。
 しかし、自分が職員たちにしてしまったひどいことへの罪悪感から、しばらく目に見えてふさぎ込むことが多くなった。

 ある日、楓は真剣な様子で「ヒロどうしたんだよ。元気ないじゃん」と尋ねてきた。
「ヒロ、急に威勢がよくなったなぁ、なんて職員のみんなと話してたけど、最近は元気ないから皆心配してるぞ」
 ここで初めて越智は、自分が楓をはじめ、施設の大人たちにしてきた八つ当たりや失礼な言動を悔いているということを伝えた。申し訳なさのため、普段通り接することができなかったと、その本心を語った。

 これを聞いた楓はしばし黙った後
「ヒロって、つくづくいいヤツなんだなぁ」と感心したように言った。

「むしろ、自分の"子ども"からそんな気を遣われてる方が私はしんどいよ。中学生なんて、ただでさえ思い悩む時期だし、特にヒロの場合、生まれたときから少し特殊な環境にいるんだから、そんなの当たり前だよ」

「大人に反抗するってのはさ、それだけ成長してる証だと思うんだよね。多分、その気持ちの伝え方が分からないだけなんだ。だから徐々にでいいから、また元気になってくれたら嬉しいな」

「胸を張れ! そんだけでかい身体なんだから! そして、私はどんなヒロだって好きだぞ! 心もでっかくあれ!」と、楓はとびきりの笑顔で言った。

 この言葉に、越智はこれまでの感情が溢れ出し、膝から崩れ落ちて号泣した。今まで押し殺してきた感情が全て溢れかえり、十分以上泣き続けた。
 楓も目を腫らしながら背中をさすってくれた。


 こうして越智は勉強にも励むようになり、無事に公立高校に合格した。

 高校生になった越智は「施設を出た後は独り立ちしたい」という思いが強かった。その資金作りのため、高校一年生の四月下旬からアルバイトに励んだ。
 そして初めに選んだアルバイトが名古屋駅の近くにあるこのグリージー・バーガーであったのだ。

 越智はとにかくこのアルバイトを好きになった。

 越智がアルバイトを始めた当時は、仕事が一定のレベルでこなせるようになると、それに応じて名札に貼るシールをもらえたのだ。
 例えばバーガーを作るスキルが一定の基準に達したらその証のシールを貰えるし、レジでのお客対応スキルが一定の水準に達したらその証のシールが貰える
 といったシステムだ。
 十六歳の越智にはそれが勲章のように思えた。
「俺もたくさんシールが欲しい」と必死に働いた。
 そんな彼の実直さやモチベーションの高さは、すぐに店長や社員、マネージャーから評価されて気に入られた。指の皮が厚くなりすぎて「スチームしたばかりのフィッシュフライバーガーのバンズを掴んでも熱さを感じない」ということは彼のちょっとした自慢であった。

 また、楓は仕事休みの日、こっそりと越智のアルバイト先に行ったことがある。気づかれないよう、念入りに化粧をして丸いサングラスをかけ、水色のワンピースを着て行った。
 レジでハキハキと「いらっしゃいませ! ご注文をどうぞ」と笑顔で接客し「かしこまりました」と適切な敬語を使いこなす越智の姿は、サングラスで隠れた楓の目を赤く充血させた。

 越智は高校二年生のとき、店からの特別待遇でアルバイトながらマネージャーに昇格した。
 本来は高校生でマネージャーのポジションになることはないが、彼の仕事への情熱やスキルの高さから満場一致で決定した。若くして店舗の運営の一部に関わる立場になり、新人アルバイトの教育や、日々の売上の把握。社員とのミーティングに参加したりと、越智にはとにかくそれらが新鮮で楽しかった。店に貢献できている、そして間接的に社会にも貢献できているという実感があった。

 越智が高校三年生のある日、彼の店舗にエリアマネージャーが訪れた。エリアマネージャーは越智は声をかけ、彼の勤務後に話があると、喫茶店に誘った。
「越智くん、いつもお疲れ様です。君のこの店での活躍はよく耳にします。いつもありがとう」と感謝を述べられた後に「本題ですが、今の店舗は本部直営店なのでアルバイトからでも正社員になることができます」と言った。
「もし良かったら、社員登用試験を受けてみませんか? 合格したら、高卒後すぐに正社員になれます」
 越智は、あの社員たちと対等の立場になれること、そして「正社員になれる」ということが非常に魅力的に感じ、二つ返事で承諾した。
 こうして越智は試験を受けて見事に合格し、高卒後に社員になることが決まった。
 越智は心の底から喜び、「青桜の里」の職員や入所者たちに就職お祝いパーティーを開いてもらった。

 しかし、社員になってからが越智にとっての本当の試練だった。越智は早々に、豊橋の店舗への転勤を言い渡された。

 この店舗に配属されるや否や「あの社員、無駄にアツくて嫌い」とか「若造のくせに」というアルバイトからの陰口を聞いてしまった。
 また社員になると、アルバイト希望者の面接とその結果連絡、資材搬入などの仕事が増えた。以前はあまりしていなかった夜勤も、人手不足から入らざるを得ない状況となり、バックヤードのソファで寝ることも増えた。
 夜の二十時から朝の八時まで十二時間働き、仮眠を取った後は昼の十二時から夜の二十時までというシフトもあった。
 また、店舗の売り上げ目標が達成できないと、エリアマネージャーからお叱りの言葉をもらうこともあった。

 どれほど店舗が忙しいときも弱音などほとんど吐かなかった越智だが
「社員ってこんなにキツいのかよ…」と無意識のうちに漏らすようになった。

 高卒後すぐ正社員になり、六年の月日が流れていた。もうどれほどの店舗を回ったか覚えていない。現在は千葉県にある店舗で働いている。


「というわけで、この日は急用ができてしまい、お休みをいただきたいのですが…」
 越智はローリングストーンズのライブが当選した日に休みたいという旨を店長に伝えている。
「いやいや、社員が自分の都合で休むのはダメでしょ。アルバイトの子じゃないんだからさ」
 見事に店長から突っぱねられてしまった。
 想定内ではあるけど、泣けてくる。


 こんな多忙な越智にも一つだけ、何にも代えがたい趣味がある。
 それがドラムの演奏である。

 越智の家の近くに、二十四時間オープンしている音楽スタジオがある。
 彼はいつもそこを一名で予約して、設置されているドラムセットに勢いよく日頃の鬱憤をぶつける。今回はローリングストーンズのライブに行けない悔しさをぶつける日だ。

 越智は幼少の頃から「叩くといい音が鳴るもの」を太鼓に見立ててリズムよく叩いていた。周りの人間からは「五月蠅いからやめろ」と注意されることも多かったが、何かに熱中すると周りが見えなくなるタイプであるため、全く気にせずに続けていた。
 そんなある日、音楽教師から「越智くんってリズム感すごいのね」と褒められたことがきっかけで、もっともっとリズムよく叩けるようになりたいと練習するようになった。
 このおかげで小学生の頃は音楽祭ではティンパニーを、運動会では応援団として大太鼓を担当していた。

 越智はその後、インターネットで観た「空き缶やお菓子の空き箱をドラムに見立てた演奏動画」に感銘を受け、何時間も繰り返し観た。
 そして彼自身も見様見真似で、お菓子の空き箱や空き缶を集めては並べて、この「ゴミドラム」の練習に励んでいた。いっときは毎日のように夜遅くまで練習していたため、施設の職員からよく注意を受けていたものだった。

 越智が小学校六年生のときの「青桜の里」でのクリスマスパーティーのことだ。
 越智が「かくし芸」としてこの「ゴミドラム」で、エックスジャパンの「紅」を披露した。
 同世代の入所者はもちろんのこと、日頃口うるさく注意している職員さえも、そのクオリティの高さに感銘を受け大絶賛だった。
 一年目職員だった楓は、口を開けて大きな拍手を送っていた。

 中学生になるとティンパニーを叩くためだけに吹奏楽部に入部し、三年間不動のリズム隊として活躍した。

 そしてここで、越智は初めて本物のドラムセットと出会った。
 これは彼にとって運命の出会いであった。

 中学入学時点で身長が169センチあり、体格もよかった越智は友人や先輩から柔道部への入部を強く勧められていたが、本当にあの誘いを断って吹奏楽部を選んでよかったと回顧する。

 越智は給食を食べ終えると一目散に音楽室へ走り、このドラムセットを毎日のように叩いた。中学校二年生の不登校になった時期にも、ドラムを叩きたいという欲求はいつも心のどこかにあった。

 中学一年生の頃はまだ力の加減が分からず、スネアをドカドカ五月蠅く鳴らしてしまったり、バスやハイハットのペダルの感覚に慣れなかったりと苦戦していたが、中学二年生に上がるころには昼休みにギャラリーが足を運ぶほどのテクニックになった。このギャラリーの中には同級生のみならず先輩後輩や教職員も含まれていた。

 越智は勉強が得意なわけではない。恵まれたフィジカルをもって生まれたものの、いまいち熱中できるスポーツもなかった。

 しかしドラムに対しては「俺が人に誇れるものはコレに違いない」という確信があった。


「あぁ、やっぱりドラムは最高だった」
 越智はスタジオでのドラム演奏を満喫して帰路に就く。
 この日は、今は亡き樋口ひぐち宗孝むねたかのドラムソロをモチーフにして、彼なりのアレンジを加えて演奏した。
 基本的にアドリブであるが、今日の出来はかなり満足だったらしい。

「でも最近はドラムだけじゃ取れない疲れが出てきてるな。まぁ何とかなるか」
越智はそんなことを考えながら、部屋に帰り着いた。

続きの話


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?