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「ツイスト・イン・ライフ」第七話(全二十二話)
第一話:松尾誠司 その一
第二話:佐野涼平 その一
第三話:越智弘高 その一
第四話:藤吉礼美 その一
第五話:松尾誠司 その二
第六話:佐野涼平 その二
第七話:越智弘高 その二
「里のみんな、元気かなぁ」
越智弘高は、自身の育った児童養護施設「青桜の里」での日々を懐かしんでいた。
入所者や職員はみな、施設のことを「里」と呼んでいた。
越智は「青桜の里」の卒園式を昨日のことのように覚えている。彼の人生の中で最も忘れられない一日だった。
基本的に児童養護施設は十八歳、つまり高校卒業の年をもって「卒園」となる。越智は物心ついた頃から「里」にいたため、もはや彼にとって「里」は実家のようなものだった。「青桜の里」に越智の同学年はいなかったため、越智ただ一人のための卒園式となった。
越智の卒園式は盛大に行われた。彼は年下の入所者からも頼れるお兄ちゃんキャラとして大人気であったため、別れを惜しむ声は大変多かった。大号泣する子もいたほどだ。
入所者のみならず職員たちも、彼の卒園には涙を堪えきれなかった。
特に、彼が最も慕っていた職員の中谷楓は、大粒の涙を流していた。
越智が卒園する年には、越智に昔グレていた時期があることを覚えている者など誰一人いなかった。楓すらも「えっ、ヒロってグレてたことあったっけ?」と言うほどだ。
越智は「里」を十八歳で卒園した後は、一人暮らしをすることになった。
「グリージー・バーガー」でのアルバイトにのめりこんでいたため、このときすでにアパートの家賃を払いながらでも余裕を持って生活していけるだけの貯金ができていた。
それに加えて、高校卒業後すぐに正社員になれたので、金銭面で生活に困ることはほとんどなかった。
楓は、越智の卒園後もよくグリージー・バーガーに足を運んでくれた。特に越智がまだ名古屋の店舗で働いていた頃は、月に一度、「里」から車を走らせて数名の職員と来ては、入所者や職員のための夜食を買いに来てくれていた。
いつも前もって注文を電話予約してくれているためキッチンが混乱することもなかった。
職員たちがレジ前でオーダーを待っている間、暇があれば越智は挨拶に行き、談笑していた。
「ハンバーガー買って帰るとみんな大喜びなんだ」と、楓は嬉しそうに話してくれた。
「すっかり、みんなにとって月一のお楽しみになっててね。うちら職員もけっこうな肉体労働で疲れてるからさ、味濃いもの食べると元気を貰えるんだよね」
その後、越智が豊橋の店舗に異動になった際は、楓は宿直の後などに一人で朝メニューを食べにきてくれた。
「あー、やっぱ宿直の後の高カロリーは生き返る。ちょっとお肌には悪いんだけどね……」と幸せそうにマフィンにかぶりついていた。
越智は卒園後、二回しか「里」に遊びに行くことはできていなかった。
社員になってからは怒涛のシフトが入っており、到底休暇にどこかへ出かけるなどという体力は持ち合わせていなかった。
一度目は、社員になったばかりの頃、ハンバーガーの注文を受け、越智が施設に届けに行った。当時の店長が気を利かせ「今日は届けたら仕事終わりでいいよ」と言ってくれたのだ。
見知った入所者や職員たちの喜ぶ顔が今でも忘れられない。あの笑顔で「俺はこの仕事をもっと頑張ろう」と思えたのだ。
そして二度目は、千葉の店舗への転勤が決まったときだ。いよいよ本当にお別れになるように思えて、仕事の合間を縫って挨拶に行った。このとき卒園式ぶりに楓の涙を見た。
越智も泣きながら「つらいときは電話します」と言い「楓さん、もし里を辞めるときは連絡先教えてください」と自身の電話番号の紙を渡した。
「……そろそろ里に電話したくなってきたな」と、ぼんやり考えながら越智は店舗への道をとぼとぼと歩いている。
今日は夜勤だ。最近は少し働かされすぎな気がしている。
「それにしても最近はジメジメしているな」と夜の湿度を不快に感じていた。故郷である愛知県の夏の厳しさは今でも覚えているが、千葉県の夏も負けていなかった。
すると、越智の足がもつれた。
「石か段差か?」と思い、後ろを振り返ったがそれらしきものは何もなかった。
「あ、あれ? 何だ今の? 変だな。まぁ、ただの寝不足だよな」
確かな違和感を覚えながらも、まさにこれから仕事があるので、気のせいだと思い込むようにした。
越智は二十時前に店に到着した。客足はまばらだが決して暇ではない。シフトの人員も少なく、夜のうちにしかできない仕事をしなくてはならないからだ。特にこの日は資材搬入があるので大忙しだろう。
二十二時をまわった頃、五人の若い男性客がやってきた。どうやら飲み会の帰りらしい。ファーストフード店といえども、夜間にはこのように酒気帯びの客は少なくない。注文もだいぶフランクな言葉づかいで、しばしば聞き取れないことがある。
キッチンの少ない人数でハンバーガー、ドリンク、ポテトなど一通りの注文をさばいた。会計を済ませ、男たちが席に向かっていく。
「とりあえずひと段落か。何もないといいんだけど……」と越智はどこか嫌な予感を覚えながら、資材搬入の準備を整えていた。
「んだゴラァ!」
静かな店内に突如として怒号が響き渡る。
「あぁ……やっぱりな」
越智はがっくりと肩を落とす。周りのスタッフたちも眉間にしわを寄せ、互いに目配せし合う。
喧嘩が始まったらしい。
他の客が、みな無言でそそくさと店を立ち去っていく。すれ違う客たちに「ご迷惑おかけしました」と声をかけつつ現場に駆けつけると、どうやら内輪揉めのようだ。
男たちが座っていたと思われる席の床には、食べかけのハンバーガーやポテトがこぼれたドリンクの上に散乱し、テーブルが横倒しになっている。
二人が胸ぐらを掴み合った状態で、他の三人は制止しようとしているようだ。
「てめぇマジやるぞコラ。ああ?」
社員である越智が「どうされましたか!」と先陣を切る。
制止している三人は、集まってきた店員を見て申し訳なさそうな表情を全面に出す。
「やるならやれよ、ああ?」
二人の男に、越智の存在は目に入っていない。
そのまま片方の黒い服の男が殴りかかりに出たので、必死に三人がかりで動きを止める。もう片方の青い服の男も威嚇を続けている。
「やめましょう。落ち着いてください」
「うるせえ!」
越智はいきなり青い服の男に殴られそうになった。が、間一髪、こちらも三人がかりで押さえつけて難を逃れた。
二人の男はまだ息を荒げている。
越智が「やめないと警察呼びますよ!」と言うと、二人はそれ以上何も言わなくなった。
その後、五人組には出入り禁止が言い渡された。
二人の男はふてぶてしく、三人の男は申し訳なさそうに、しかしどこか安堵の表情を浮かべながら帰って行った。
越智は資材搬入に行っている間、二人の店員が争いの後を片付けている。
「今日は危なかったな」
「刺激できないから難しいんだよね」と口々に言いながら床に散乱したゴミを捨て、モップをかけて机を並べている。
「そろそろ陽も登ってきた。あとはカラオケオール帰りの人とか、飲み屋の店員さんが来るけど、早朝シフトで三人増えるし、とりあえず一安心かな?」
越智は独り言を呟きながら、シフト表を眺めている。
「今日もドラム叩きに行っちゃお」と越智は力なく笑っていた。
この夜勤が終われば久々の休みだが、特に何の感慨もなくなっていた。
そうして、夜勤を終えた越智は
「じゃ、お疲れ様です。あとはよろしくです」と言いながらバックルームへと戻る。
「おはようございます」
店長と早朝シフトのアルバイト三名が準備を済ませているようで、挨拶が聞こえる。
「あ、どうも皆さんおはようございます。いやーどうもおはようございます。挨拶が遅れてすみません」
遅れて越智が挨拶をする。
「それにしても、あいにくのお天気で。あ。今日からハンバーガー食べます私」
「ん? 今朝はマフィンだから明日か」
「夜にコーヒー飲みすぎてカフェイン取っちゃったから眠いんですよね」
「そう、モンスターエナジーじゃなくてコーヒーなんですよ」
「越智くん! どうしたんだ!」
店長が虚空を見つめながら何かをブツブツと呟く越智を止める。
他のアルバイトも唖然としてその光景を見つめている。
次の瞬間、越智は糸がプツンと切れるかのように
その場に勢いよく倒れこんだ。
続きの話
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