「ツイスト・イン・ライフ」第六話
第六話:佐野涼平 その二
「申し訳ないのですが、ここで先にシリンダが出ると全体の動作が1.5秒も止まってしまい能力が足りなくなるので、後からシリンダを出せるようにしてもらえませんか」
目の前のデスクでふんぞり返る男に対し、佐野涼平は機械の動作変更を依頼している。
「なんで今更この動きを変えるのさ。元々は機械屋さんがこうしろって指示したんだからね? そもそも機械屋さんが構想の段階から一つサイズの大きいモーターを選定するべきだったんじゃない? そしたら動作がどうのこうの細かいこと考える必要なかったよね」
早口に言葉を並べ立てるのは電気設計課の池田主任技師だ。
「申し訳ありません。ただ今からモーターを変えるのは現実的に困難なので何とかPLCの動作変更で対応いただけませんか」と佐野は頼み込む。
「……じゃあ、この動作変更にかかる工数はどうなる? そのお金はどこから出る? 機械設計ミスが原因ってことにしていいんですか?」
「……それでお願いします」
「はいはーい。わかった、わかったよ。席戻っていいよ。変えておきまーす」とぶっきらぼうに言いながら池田は画面に向き直る。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
小さく息を吐きながら佐野は席に戻る。
「気を付けないとな」
佐野は独り言を漏らす。
機械設計課の加藤係長が「この会社の電気屋さんはとにかく気難しく、何か頼みごとをする度に疲弊する」と話していたのを思い出した。
普段は穏やかな池田主任技師でもあの調子だ。
デスクに戻った佐野は、すぐに製造工場に内線電話をかける。
「機械設計の佐野です。お疲れ様です。先ほど質問のあった機械の能力の件ですが、シリンダの動作を電気設計さんに変えていただくことで対応可能になりまして……」
佐野が話すと、電話口から怒声が飛んでくる。
「はぁ? なんだよ! 動作変わるんだったら今日はもう進められなくね? おたくら設計のせいで工程遅れるんだけど? そういうのマジでやめてほしいんだけど」
「すみません。気を付けます」と佐野は受話器を握りながら頭を下げる。
「相変わらず設計はクソだなマジで……てかお前、佐野って言ったっけ?」
「はい。私は佐野ですが……」
「お前けっこう有名だよ。研究所出身なんでしょ? その割に全然ダメなやつだって。どーせ使えないから飛ばされたんだろうね。お勉強しかできないヤツなんだろうなー。マジ嫌い。俺お前みたいな奴マジ嫌いだからさ。ほんと迷惑だか」ガチャッ
佐野は何も言わず受話器を置いた。
大きな溜息を吐き、パソコン画面の右下の時計に目をやる。
「22:47」と表示されている。
佐野は立ち上がって、建物の外に出ていく。まだ設計フロアには煌々と明かりが灯っている。新規開発機械の製造が始まると工場もフル稼働だ。様々な部署やセクションが大忙しのようで以前に加藤係長が話していたように、本当に帰れていない。
ついこの前まで一緒に軽口をたたいていた加藤係長その人も、今はかなり余裕がなくなっているようで、見るからにイライラを募らせている。
建物を出て敷地内を中庭まで歩くとテントのようなスペースがある。喫煙所だ。木々が風に揺られ、葉がこすれる音がかすかに聞こえる。もう夜も深いというのに、汗でインナーが肌にまとわりついてくるような蒸し暑さだ。
普段のこの時間には誰もいないが、今は五人ほどがいる。
「ママごめん」と呟きながら佐野はハイライトメンソールを作業着の胸ポケットから取り出して火をつける。
「吸わなきゃやってられん」
スマホを取り出してニュースをチェックし
妻に「ママ、今日もごめん、遅くなる」というラインを送る。
吐き出す細い煙を見ながら、ぼーっと考える。
「ウチの会社、とにかく『お前が悪い。俺は悪くない』って考えの人間ばっかなんだよな」
「同じ一台の機械を作ってるってのに、まるで敵同士だ」
「みんな遅くなってカリカリしてるのは分かるけどさ……」
佐野は煙草を根元まで吸いきると「はぁ、なんかバカみてぇ」と呟きながら、少し焦げ臭くなった吸殻を灰皿に投げ込み、自分の席に戻った。
佐野は今年の四月に研究所から機械設計課に異動してきてからというもの、平たく言えば、あまり上手くいっていない。
研究所では企業の数年先、あるいは数十年先を見据えたような技術の研究を行っていた。今日明日すぐに使える技術ではなく、数年後の実現に向けての地道な研究が日夜行われていた。
しかしその反面、機械設計課は目の前の顧客のニーズに応えることが求められた。
案件によっては、すぐに必要とされる製品を短期間で完成させることもあり、かなり短納期のものもある。
このため、電気設計課や工場の製造部門とのスピーディーなコミュニケーションが求められた。
佐野にとってはとにかく戸惑いが大きかった。これまでにいた世界とあまりにも勝手が異なっていたからだ。
しかも今現在、社内の一大プロジェクトとして新たな開発機の製造が進められている。大きな組織とはいえ猫の手も借りたい状況にあるため、佐野に対して丁寧な研修は行われていない。
いずれは適応できるだろうが、少なくとも今すぐに適応できるほど佐野は器用な人間ではなかった。
「どーせこの案件が終わったら飲み会とかでみんな俺ことボロクソ言うんだろうな」と考えなくてよいことを考えてしまう時間が増え、過去に言われた嫌なことを反芻することも増えた。
「俺は失敗作なのか?」
過去、あの「クソ親父」から言われて心が壊れた言葉を再び思い出す。
佐野の頭の中には、今でも「失敗作」という言葉がこびりついている。
「あーあ、お前みたいな失敗作、生まなきゃよかったよ」
あのときの父の顔と声が今でも鮮明に記憶され、リフレインされる。
「クソッ!」
佐野は、忌々しい記憶が今でも自分の中に残っていることが嫌で仕方がなかった。
「ダメだ……こんなときに思い出すな!」
デスクで思わず頭をかきむしる。
「あのクソ親父、一発殴ればよかった……クソがっ!」
妻と息子という大好きな家族に恵まれ、もう乗り越えた記憶のはずなのに、なぜこのタイミングで反芻してしまうのだろう。
「ダメだ。帰ろう」
佐野はこのままやっていても埒が明かないと判断し、帰宅することにした。ガムを嚙みながらステップワゴンを走らせ、帰路に着く。
自宅に着くなり、いつもの忍び足で廊下を歩く。
「パパァ! おかえり!」
息子の慶太が駆け寄ってきた。足に抱きつかれた涼平は驚きのあまり声を上げる。
その後ろから「今日は起きてたの」と、妻の瑠璃子が笑顔で話す。
「おっ! ちょ、ちょっと待ってて! 先にシャワーしてくるわ!」
涼平は鞄をその場に置いて大急ぎで服を脱ぎ、浴室へ向かう、食事前だが念入りに歯も磨く。「やっぱ煙草よくないなぁ」と考えながらしっかりとシャンプーをする。
最近、瑠璃子はシトラスサボンの香りのシャンプーがお気に入りらしく、涼平もこっそりと使わせてもらっている。柑橘系のさわやかな香りが疲れやモヤモヤ感を癒してくれる。
シャワーを終えて部屋に戻ると慶太が小さな椅子に座って待っている。
「ただいまー、ごめんな、パパいつも遅くてな」
少し悲しげな笑みを浮かべ、愛息に話しかける。慶太はこちらを見つめながら、一言だけ「いい」と答える。一つ一つの言動が愛しく、自然と口角が上がり、頬も緩んでしまう。その様子を見ながら瑠璃子も嬉しそうに、食卓に夕食を並べていく。
「今日はラッキーだったね」
「あぁ、もう最高だ。全部いい日……なのかな?」と涼平もよくわからないというような笑顔で話す。
瑠璃子の作った夕食を堪能し、平和な食事のひとときが終わり、慶太もすっかり寝静まった。
「愛するママと慶太のためであれば身を粉にして働けるよ……」
涼平は食器洗い機に皿やスプーンを並べながら呟く。
瑠璃子はダイニングテーブルを拭きながら「それはどうなのかな……」と返した。
「え、どういうこと? 俺のこと信じてくれないの?」
「違うのよ。そういうことじゃなくてさ、パパ本当にお仕事大丈夫かな? って、今年に入ってから思うんだよね……」
「大丈夫だって! ちょっと遅いだけなんだ! 今の機械さえ納品されればもう全然大丈夫だから!」
涼平は、つい大声で否定してしまった。
「しまった、慶太が起きてしまう」と二人は焦ったが、幸いそのような気配はない。
「ごめん……大声出しちゃって」
「いいんだけど、本当に大丈夫なのね? 無理してない?」
「うん。本当の本当に大丈夫。この大黒柱を信じて!」
「……わかった。信じてるね」
その翌日、涼平は元気に仕事に出て行った。
昨夜の慶太との予期していなかったコミュニケーションのおかげで気力も体力もかなり回復していた。妻にも「頑張る」ということを宣言したのだから、改めて頑張らなくてはならない。
しかし、その日の仕事は、昨日よりもひどい状況にあった。
どんどん見つかる機械の不具合。相変わらず他部署の人間からは罵声や嫌味を浴びせられている。
涼平は、現状判明している機械の不具合への緊急対応策の一つを考えていた。多数の不具合が見つかっているが、設計課が総出で対応している。大手企業ならではのマンパワーである。
明らかになっている不具合への対応は、手早く一つ一つ潰していくしかなく、また失敗を繰り返すことも許されない。スピードと確実性が求められる仕事である。
そして涼平が担当していた構想案の一つが完成し、加藤係長に報告をしに行った。
「……という風に、このコンベアのサイドに取り付けてある光電センサーを、上から吊るようにしてやれば、斜めに入ってきたワークを誤検知するという問題が解決すると思います」
加藤係長は構想図面を見ながら尋ねる。
「うーん、上からか……まぁ悪くはないんだけど、上から吊るってなると新しくタップを開けたりしなきゃダメだよね? だったら、今の取付穴は変えずにこう違う形のブラケットにして斜め上から見られるようにするとかさ」
図面の横のスペースに概略スケッチを描きながら加藤係長は説明をする。淡々としているように見せながらも、苛立ちを隠しきれていない。
「なんていうか……ちょっと、配慮がないよね。気が利かないっていうか」
「申し訳ありません」
「んー……佐野君はね、研究室でやってきて、きっと頭いいだろうし、光るところもたくさんあるんだろうけど……それはわかるんだけど」
「デザインのセンスがまるでないんだよねぇ……」
このとき涼平は、父親から「失敗作」と言われたときと全く同じ感覚に陥った。生々しく思い出される「心が折れる」という感覚。
涼平はこの瞬間から、心ここに在らずになった。
涼平は何も言わず、加藤係長の席を離れ、喫煙所に向かった。
今言われた言葉が、あの「中央線に揺られたとき」と同じように頭の中に響いていた。
そうして涼平は二十三時過ぎに帰宅した。いつ、どのタイミングで帰ったのか、記憶はほとんどない。
忍び足で廊下を歩いて行くと瑠璃子が「おかえり」と迎えてくれ、ダイニングには夕食が用意されている。
涼平は椅子に座り、あたためられた味噌汁を一口すする。
「美味い……」
涙が出てきた。
涼平は「うわ、ちょっと、これどうしたんだ」と、自分の目からいきなり涙が溢れ出てきたことに驚く。
「えっ、大丈夫?」と瑠璃子は席を立つ。
「ママの味噌汁が美味しすぎて涙が出てきたんだな」
涼平の目からは大粒の涙が流れ続けている。瑠璃子は、涼平の横で背中をさすっている。
ひとしきり涙を流した後、涼平は目を腫らしながら妻の名前を呼ぶ。
「瑠璃子」
「んん? なに? どうした?」
久しぶりに名前を呼ばれ、瑠璃子は目を丸くする。
慶太が喋るようになってからというもの、お互いずっとパパ、ママ呼びになっていた。
涼平は視線を下に向けながら、絞り出すように言った。
「俺、やっぱり、もう今の仕事ムリかも」
続きの話
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