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「ツイスト・イン・ライフ」第八話(全二十二話)
第一話:松尾誠司 その一
第二話:佐野涼平 その一
第三話:越智弘高 その一
第四話:藤吉礼美 その一
第五話:松尾誠司 その二
第六話:佐野涼平 その二
第七話:越智弘高 その二
第八話:藤吉礼美 その二
「先週のレッスン終わった後、本当にカラオケ行っちゃったよ」
藤吉礼美は翌週のレッスンの休憩時間に、一人カラオケに行ってひとしきり歌ったことを牧村陽菜に伝えた。
「れいみ先生、本当にあの後に歌ってくれたの⁉︎ 私の影響⁉︎ 嬉しいー!」
と陽菜ははじけるような笑顔になっていた。
「え~、れいみ先生、何点だった?」
陽菜は無邪気に尋ねる。
礼美はその質問に目を丸くして聞き返す。
「ん? 何点、って?」
「採点だよ! してないのー?」
陽菜は少し残念そうに言う。
そこで礼美はようやく、カラオケに採点という機能があることを思い出した。
「あぁ採点! あったね! ごめん、全くしてない!」
「もったいない! れいみ先生なら99点取れるのに……うーん、だったら、れいみ先生の歌声、ここで採点してあげる!」
陽菜はいたずらっぽく笑いかける。
「それはイヤだ! はい、そろそろ休憩終わり! 練習再開するよ!」
あからさまに動揺し、練習を再開しようとする礼美を見て、陽菜はニヤニヤとしながらピアノに向き直った。
この日も礼美は、母親に遅くなる旨を連絡して足早にカラオケ店に向かった。
前回と同じ店員が対応してくれ、受付もスムーズに終えられた。
今回はパーティールームではなく四人くらいの部屋だったので少し安心した。
礼美はリモコンのボタンをじっくりと見てから「採点モード」のボタンを押す。
すると、画面の上部に「採点モードになりました」と表示される。これでオーケーなはず。
「そういえば、採点されるのは久しぶりだな」と、かつてコンクールなどに出ていた頃の自分を思い出して少し緊張する。
最初に入れる曲はもちろん前回と同じ
Misiaの「Everything」だ。この曲は礼美にとって歌うことの原点になっていた。
かすかな緊張感とともに歌い出した。
結果は「92点」だった。
「おぉ?」
礼美は嬉しいような、悔しいような、何とも言えない感情になった。
礼美は歌には自信がなかったため、想像以上の点数であったことは間違いない。
しかし前回のレッスンで牧村陽菜から「99点取れる」と太鼓判を押されていたことが気にかかっていた。
画面をよく見ると、想像以上に細かく採点されている。「音程はほぼ完璧に合っており、抑揚も十分だが、ビブラートとしゃくりが足りない」という評価だ。
「なるほど、今のカラオケってここまで細かく採点されるんだ……」
最新のカラオケの進化に驚きつつも、もっと歌って採点してもらいたいという気持ちが強くなった。
こうしてこの日は前回も歌った「明日への扉」「涙そうそう」「ハナミズキ」「365日の紙飛行機」などを歌い、どれも92〜93点だった。
なんとなくだが、礼美は「今日はもうこれ以上高い得点は出なさそうだな」という予感がしており、実際にその通りだった。
その翌週、レッスンの際に礼美は牧村陽菜に採点をして「92点」くらいだったという話をした。
「ウッソ! 92点? すごっ! 先生これまで本格的に歌ったことなかったんだよね?」
陽菜は驚愕の表情を浮かべた。
「うん、カラオケもほぼ初めてだよ。でも99点は取れなかったよ」
「ごめん! 99点はさすがに大袈裟に言った。そんなの絶対いきなり取れないよ! でもあれ本当に採点厳しいの。私も85点くらいは頑張れば取れるんだけど、90点以上なんて取れる気がしない」
陽菜は早口でまくしたてる。
「85点だってすごいじゃない」
「うーん、違うんだな! 85点から90点の間に高すぎる壁があるの!」
90点以上を取ることがどれほど大変なことなのかをイマイチ分かっていないような礼美に対し、陽菜は力説し続けた。
その後、礼美はレッスン後にカラオケに行くことが日課となった。
家族での夕食の際に、最近カラオケにハマっているという話をしたところ、特に連絡なしで行ってもいいという話になった。
それから半年ほど過ぎたある日のこと、この音楽教室での「講師交流会」という名の飲み会が行われることとなった。
礼美が働き始めてからは初の開催だ。
礼美はあまりお酒が強くない。
下戸というほどではないが、すぐに顔が赤くなってしまい、大学生の頃に飲み過ぎて気持ち悪くなった記憶もある。
そして何より、礼美はガヤガヤとした空間で誰かと話すというのが得意ではなかった。
そのため、礼美は飲み会に参加するのは少々気が引けた。
しかし、この教室で働こうと声をかけてくれた教室長の川田照彦は、礼美にとって命の恩人である。
川田は、礼美の父親の幼馴染で、礼美も小さい頃から面識がある。
礼美の父親は、地獄の結婚生活でうつ病となってしまった愛娘のことで心を痛め、長年の友人である川田に「娘が心を病んでしまっている」と相談をしていたのだ。
そのため、川田は常に礼美のことを気にかけてくれていたそうだ。
この人がいなかったら牧村陽菜との出会いもなく、今の礼美はないかもしれない。
そう考えると「参加するのが筋だ」と礼美は思い、数秒考えたのちに「是非参加したいです」と回答した。
礼美が参加を表明したことに対し、講師たちの反応は驚きと感激に溢れていた。
「ウッソ! 藤吉さん来てくれるの! めっちゃ嬉しいんだけど!」
「ずっと話したいと思ってたんです!」
「こういう会、苦手かなと勝手に思ってたけど、ありがとう」
スタッフルームで同僚の講師たちからこのような反応を貰った礼美は驚いた。
自分という人間をここまであたたかく受け入れてくれる人たちがいるのかということに驚いていた。
そうして飲み会の当日、十五名ほどの参加者が店の中に集っていた。会場となる店は、駅前の雑居ビルの三階にある少しお高めの居酒屋である。
礼美は講師交流会初参加ということで、実質的な礼美の歓迎会ということになった。
礼美は一番奥の座席、いわゆる上座に案内され、向かいの席には教室長の川田が座った。
全員分の飲み物が揃ったところで、川田が乾杯の音頭を取る。
「藤吉さん、本当によくこの教室に入ってくれました。実力だけでなく人柄も素晴らしいと評判で、すでに大人気の講師としてバリバリご活躍いただいています。本日はそんな藤吉さんが交流会初参加ということで、ぜひ皆さんとの親睦を深めていただきたければと思います」
礼美は話を聞きながら、畏れ多そうに首を横に振ったり、こくこくと頷いたりしている。
「では皆さん、目の前のグラスを手に取ってー」
「楽しみましょう!かんぱーい!」
こうして交流会はスタートした。
礼美も細かく頭を下げながら周囲からの乾杯に応じている。ひとしきり乾杯が終わったところで礼美はファジーネーブルを一口飲む。
川田は上機嫌で礼美に話しかけてきた。
「それにしても、だ。藤吉さんがまさかウチに来てくれて、それでこうやってお酒を飲みながら話せるなんて。嬉しい限りだよ」
「ありがとうございます。実際あまりこういう場には来ないんですが、この教室は私にとって命の恩人なんです。生きる意味を見つけられた場所というか」
礼美がそう話すと静寂が訪れ、周囲からの視線が礼美に集まっていた。
「あっ、ごめんなさい……なんでもないです」
礼美の父から大方の事情を聞いていた川田は、礼美を見つめる。
「あの……なにか色々と大変なご経験を?」
礼美の斜め前に座った小杉純平が恐る恐る尋ねる。
小杉はボーカルコースの若い男性講師だ。つまり、歌唱指導のプロである。
ハイテンションで時折冗談を飛ばしながらの指導で、彼もまた礼美に負けず劣らずの大人気講師だ。
「すみません。そんなに大変ってわけではないんですけど……」と礼美は申し訳なさそうに言いながら、静かに自身の人生を話し始めた。
東京音楽大学を卒業後、日本でも屈指の「栄光交響楽団」に在籍していたこと。
しかしそこで人間関係のトラブルから体調を崩しがちになったこと。さらにそこで出会い結婚した男から数多の心ない言葉を投げつけられ、心に深い傷を負って離婚したこと。
うつ病で三年半ほど休養していたこと。
そして、ちょうど回復してきた頃にこの音楽教室で働かないかと川田さんからオファーをいただいたこと。
講師たちはみな、動きを止めて礼美の話に聞き入っていた。礼美が話し終えた後も、数秒の沈黙が続いていた。
「あっ、ごめんなさい……話しすぎてしまいました」
「いや。やばい。泣きそう」
沈黙を破ったのは、やはり斜め前の小杉だった。
茶化すような声色でないのは明らかだった。
「壮絶だ」
「大変だったね」
「マジか……」
小杉の一言をきっかけに、席からは各々の感想が漏れ出すようになった。その中に礼美を非難する声など、ひとつもなかった。
礼美もこの日は普段よりもお酒が進んでおり、これまで飲んだことのあるカシスオレンジとファジーネーブルの二品だけでなく、マリブミルクにレゲエパンチなどの飲んだことのないお酒も試していた。
テーブルに並んだ肴も塩ゆで枝豆、刺身五点盛、串焼きの盛り合わせ、豚しゃぶサラダ、だし巻き玉子と、揚げ物などの油が苦手な礼美にとって嬉しいチョイスであり箸が進んだ。
この日、礼美は「お酒ってけっこう美味しいかも」ということを人生で初めて感じていた。
楽しい時間は早く過ぎるというのは本当にその通りで、ラストオーダーも終わり、講師交流会はお開きの時間を迎えようとしていた。
そうして、礼美の挨拶で締めることとなった。
「えー、今日はこのような形で歓迎会をありがとうございました。あまり上手く話せないんですけど、今日は本当に楽しい時間でした」
「正直、本当に名残惜しくてまだ帰りたくないくらいです」
と礼美は最後に付け加えた。
「えっ! もう一軒行っちゃう⁉︎」
小杉が類を見ない反応速度で立ち上がり、笑いが起きた。
「もう一軒? いいんですか? 行きたいです!」
礼美は反射的にそう答えた。
その瞬間、この日一番の大歓声が湧き上がり、礼美もすっかり笑顔になっていた。
礼美の締めの挨拶は、二次会の開始を告げる合図となった。
二次会には参加者全員が残った。
「この日だけは残りたい」と家庭がある講師たちもいち早く配偶者に電話をかけ、帰りが遅くなる旨を伝えていた。
礼美も母親に連絡をし「今日は時間を気にせず楽しんできなさい」とすぐに返信が来た。
そして、二次会は隣のビルの二階。全国チェーンの居酒屋になった。
次は学生も通うようなリーズナブルな店ではあるが、この大所帯で、なおかつ当日予約であるため、文句を言う者など誰もいない。
次の店に着くと、履物を脱いで大部屋に案内される。「こちらです」と店員が扉を開くと、そこは座敷の部屋ですでに席には十五人分の皿と箸、おしぼりが用意されていた。
そして、礼美の目には「見覚えのあるもの」が飛び込んできた。
「あれは……」
部屋の隅の60インチはありそうなテレビ画面。テーブルの隅に直立した大きなリモコン。
礼美たちが通されたのは
カラオケ付きの部屋だった。
続きの話
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