「ツイスト・イン・ライフ」第九話
第九話:松尾誠司 その三
「思ったより難しいな。準備時間いくらなんでも短すぎでしょこれ」
松尾誠司はギターを抱えながら、楽譜とにらめっこしている。
この日は本業、スタジオミュージシャンとしてレコーディングにやってきた。
今回の仕事は女性シンガーソングライターである「三富はるな」の新曲のレコーディングだ。
三富はるなは四十七歳で、小柄でウェーブのかかった茶髪、くりくりとした目が特徴的だ。二十二歳でメジャーデビューをした頃から雰囲気はあまり変わっていない。
日本を代表する女性シンガーの一人であり、およそ二十年ほど前には紅白にも二度出場している。
現在は全盛期に比べテレビ番組などメディアへの露出は減っているものの、精力的にライブ活動を継続しており、往年のファンの熱狂ぶりは未だ健在だという。むしろ歌唱力は上がっていく一方だと、彼女のファンは語っている。
彼女の夫であり、かつ彼女のプロデューサーで編曲家でもある志村貞夫と二人三脚で音楽を作り続けてきている。
志村は三富はるなの十二歳年上で、彼女のデビュー当初よりプロデューサーを務めていたが、彼女が二十八歳となった年に結婚を発表した。
三富はるなには元々、専属のギタリストがいたが、一年ほど前に病気で亡くなった。そのため現在は様々なギタリストに仕事を依頼しているらしい。
今回、松尾にお声がかかったのは「腕は確かだ」という業界内でのクチコミがあったからだという。
松尾のSNSアカウントに直接、三富はるなの事務所スタッフからダイレクトメッセージでオファーが届いた。
初めはタチの悪い詐欺を疑った松尾だが、依頼が来たアカウントにはどうみても公式マークがついており、アカウント作成日は2010年、フォロワー数も八万人だったことから、本物なのだと理解した。
松尾はこの日、現場に着くなり早々に譜面を渡され、デモ音源を聴いた。練習時間はほぼ無しで本番のレコーディングに入る。
「間奏のソロ多いじゃん。けっこう大変だよ」
音源を聴き、指板上で指を滑らせながら譜面の流れを確認する。
「まぁ、まぁ、まぁ、うん」
松尾は作業に没頭すると独り言が多くなるタイプだ。
「で、こうなると、そんで、うん。そうだよね」
「オッケー、大丈夫そうだな」
何やかんや文句を言いながらも、松尾にとって、もはやギターは身体の一部であり、短い準備時間でも集中すれば一曲を完璧に弾けるようになる。
頭で覚えたフレーズを身体に叩き込むよう繰り返し弾きながら、収録の時間が来るのを待つ。
このように鼻唄交じりに仕事をこなしているようには見えるが、松尾でさえも毎回の現場は緊張する。
多くの場合、スタジオミュージシャンにミスは許されない。何より実力が
シビアに評価される世界であるため、ミスの連発などしようものなら大きなマイナス評価が付き、今後呼ばれなくなってしまう。
ときどきライブに呼ばれて演奏することもあるが、人様のライブでミスをするなど言語道断。まさに一発勝負の世界だ。
だからこそ松尾は、直前は念には念を入れて「何があっても忘れないように」と反復練習を行っている。
いよいよレコーディングの時間だ。
全体でのガイド録りから始まってドラム、ベースのレコーディングがつつがなく終了し、すぐに松尾の出番が来た。
松尾は身体に叩き込んだフレーズを弾いていく。一つのミスピッキングも、リズムの狂いもなく、チョーキングの音程も完璧の一言だ。志村も腕を組みながら大きく頷いている。隣のレコーディングエンジニアと「今日の仕事はラクだね」などと談笑している。
松尾自身も、弾いている最中に「オッケー、今日も無事に一仕事終えられたぜ」と確信する出来だった。
一曲を通して弾き終え「ささ、俺の仕事終わり」と松尾が引き上げようとすると
ブースの外で座る三富はるなが突然、低い声で言葉を発する。
「松尾さん、あなた……やる気ある?」
松尾は思わず「えっ」と声に出して、三富はるなの顔を見る。口を尖らせたまま固まってしまう。
すでに一仕事終えて寛いでいたベーシストとドラマーも顔を見合わせている。
志村は困惑を隠しきれない様子で尋ねる。
「おいおい何の冗談だ。松尾くんの何が気に食わないんだ。これ以上ないくらい完璧な演奏だったぞ」
その隣でレコーディングエンジニアも頷く。
「完璧……そうね、そうかもしれないわ」
と三富はるなは独り言のように言い
「でも、ごめんなさいね松尾さん、貞夫さん、皆さんも……これは私のワガママかもしれない」
「松尾さん、『やる気ある?』と聞いたのは取り消します。ごめんなさい」
と、三富はるなは困惑している松尾に頭を下げる。
「あなたの仕事は完璧だった。スタジオミュージシャンとして素晴らしい仕事をしてくれた……」
「でもね……だからこそ私の欲が出てしまったの」
数秒、間をおいてから、言った。
「私、あなたの本気の演奏が見たくなっちゃったの」
「俺の、本気……ですか?」
と松尾は相変わらず眉毛をハの字に曲げている。
「そう。松尾さん、この曲を弾いてて、楽しかった? 魂が震えた?」
三富はるなは松尾を見つめている。
正直なところ、この質問に対する松尾の答えは「ノー」だった。彼の好みのフレーズではない。
ここで松尾は思わず、座っている志村の顔を見る。
おそらく、このギターのフレーズを作り込んだのは編曲家の志村であろう。だから絶対にこの人の顔に泥を塗るわけにはいかない。
数秒考えたのちに、松尾は下を見ながら言葉を絞り出す。
「あの……楽しいとかそういう以前に、あくまで俺はスタジオミュージシャンという立場上……その、あくまで、仕事……といいますか」
「そうだ。それが松尾くんの仕事だからな。きみは何も間違っていない」と、志村もすかさずフォローに入る。
「そうよね? そうだと思う。わかるもん」
「だって私も、今のあなたの演奏聴いてても全然楽しくないもん」
松尾はその言葉に思わず表情をこわばらせる。
周囲にも緊張が走る。
「はるな! 与えられた仕事を完璧にこなしてくれた松尾くんに、それは失礼だろ!」
志村はすぐに止めに入る。
「しかも彼とはこれが初対面だろ! きみに彼の何がわかるんだ!」
「うん! 何もわからないよ! 確かに彼のことは何も知らない」
はるなは志村に対して言い返す。
「だけど私、わかるんだよ!」
「この人、何ひとつ本気で演奏してない! 今まで一緒に仕事してきたミュージシャンの中でも、これまで見たことないくらい、つまらなそうに弾いてる!」
予想外のことを言われ、松尾はただただ吃驚する。
まさか自分がクライアントに対してそのような悪い印象を与えているなど、夢にも思っていなかったからだ。
「でも彼は、松尾さんはね……」
と、はるなは一呼吸おき、落ち着きを取り戻しながら話す
「ものすごい才能と、それから情熱も持ってるの。でもそれらをきっと、無意識のうちに隠しちゃってるの。私そういうの何となく察知しちゃうのよ」
そう言うと、はるなは松尾に顔を向ける。
「だから松尾さん、私はあなたに【それ】を解放してみてほしい」
「松尾さん、あなたは自分を出すのが怖いんじゃないの? 『周りに迷惑かけちゃう』って遠慮してるのかな?」
はるなは、そう言いながら松尾に近づいていく。
「まぁ……正直スタジオミュージシャンという立場ですし『自我を出すわけにはいかない』って思ってた節はあるかもしれないです。特に俺のプレイングは……そうですね、大半のクライアントにとって迷惑になるのは事実だと思います」
松尾は妙に言い当てられた気持ちになり、素直に答える。
「やっぱりね! でも、あなたの場合は自分を抑えすぎよ。さっきも言ったけど、つまらなそうに見えちゃう。私はそう思うよ」
「なるほど……俺は、自分を抑えすぎてた……と。クライアントの満足のために、俺の満足を殺していた、と」
「そう! もちろんスタジオミュージシャンならクライアントの満足を優先するのがあるべき姿だと思うけど『あなたが全く満足しない』というのは絶対に違うと思うの! だって音楽よ? エンタメよ? 私たちが作り上げてるのは」
はるなは、自分の伝えたかったことを相手が理解してくれたことで、さらに饒舌になる。
「それじゃ無難なものしか作れないのよ。誰からも嫌われない演奏なんて、ぜんぜん面白くないと思うし、少なくとも私はしてほしくない」
松尾は、その言葉に聞き覚えがあった。
アルバイト先のテレビマンである手島清志が語っていた言葉だ。
「いいか。誰にとっても心地のよいモノって、逆に言うとものすごく無難なモノだって俺は思うんだ。特にこういうエンタメに関わっている人間にとっては、ある程度『嫌い』だとか『不快だ』っていう声もあるモノの方が間違いなく面白い……」
松尾は「なるほどね……」と小さく独り言を漏らし
「そういうことだったのか……つまり、俺自身がずっと『無難な仕事』をしていた。だから手島さんの言葉があれだけ刺さったのか……そして、今回も……」
松尾は、笑っていた。
「そういうことだったのか」
と、何年も彷徨っていた霧の中から抜け出したような感覚だった。
そんな松尾を見て、はるなも笑顔で言う。
「松尾さん、今日はお仕事モードでの演奏じゃなくて、【松尾さんのギター】を聴かせてくれない?」
「任せてください!」と松尾は歯を見せて笑う。その顔に迷いはない。
「あっ、ただ、少しだけフレーズいじってもいいっすか? もちろん用意されてるフレーズはほとんど変えずにやりますけど、手癖が全くないから、ぎこちなくって」
「全て、はるなからの要望だ。つまり君のクライアントからの要望だ。松尾君の好きなように弾いてくれて構わない」
プロデューサーで編曲家の志村も快諾をする。はるなも満足そうだ。
こうして、松尾は2テイク目に入る。
傍から見ていても1テイク目とは気迫からして違う。
間奏のギターソロの入り、松尾はレガートの速弾きにアレンジする。こうすることで感情の盛り上がりを演出し、その勢いを殺さぬままに用意されたフレーズを感情いっぱいに弾いていく。
志村は「自分が作ったギターフレーズはこんなに格好良いものだったのか」と言葉を失っている。
その隣の三富はるなも満足げな表情でギタリストを見つめている。
ネックを大きく傾けて、恍惚とした表情を浮かべる松尾。この狭いレコーディングスタジオが松尾のステージになっていた。
こうして、松尾が弾き終えると、しばし静寂が訪れる。
「アハハッ、やりすぎちゃいましたかね……もっかい録りますか……」
と松尾は頭をかきながら、周囲に軽く謝罪をする。
すると、拍手が起きた。三富はるなが大きな拍手を送っている。それに続き夫の志村貞夫、レコーディングエンジニアやリズム隊のメンバーまでも拍手をしている。
「レコーディング終えて拍手? 今までこんなことあったか?」
松尾は口を開けたまま、首を動かして「観客たち」を見渡していた。
その翌日、松尾はプリンセス・マイカの番組「マイカ発光中」の収録に来ていた。今日はADのアルバイトの日だ。手島は松尾を見かけるなり喫煙室に誘い、松尾もそれに従う。
手島は世間話のように「最近は調子どうだ。何か仕事あったか」と尋ねる。
「ちょうどお話ししようと思ってたんです」
と、松尾はマールボロを箱から取り出しながら話す。
「昨日、三富はるなさんのレコーディングに参加してきたんですけど……」
手島は思わずくわえていた煙草を落としそうになる。
「何! 三富はるなのバックでギター弾いたのか!」
「はい。新曲のレコーディングです」と松尾は淡々と答える。
「それはお前すごいことだぞ。俺らの世代なら誰もが知ってるような人気歌手だったからな。ほー、やっぱりお前はスーパーギタリストだったんだな」と、手島は熱を持って話す。
「あの、それでですね……実は、三富はるなさんから、専属のギタリストになってくれないかっていうお話がありまして」
と松尾は説明する。
「今後ライブとかでも弾けるかもしれないっていう」
「すごいじゃないか! お前! そこまで出世するか! みんな俺を置いていくな!」
手島は松尾の両肩を握り、揺らしている。
「あっ、あぁ、ギ、ギタリストの肩、やめてください……」
と松尾が弱弱しく言うと、手島はすぐに手を放す。
「だから……あの……」
と松尾が言い淀むと、全てを察した手島は言う。
「ということは、俺らともおさらばってわけだな」
「……ええ」
「手島さんや、プリンセス・マイカの皆に会えなくなるのは寂しいですけどね」と松尾は複雑そうな表情で話す。
「なぁ松尾、きっとまた俺にもプリンセス・マイカにも会う機会はあるよ。間違いなく。そりゃ確実に頻度は減るし一緒にこうして仕事はできなくなるけどな。でもお前がこれまで散々俺に語ってきた夢は何だ? 俺みたいにテレビ番組を作っていくことだったか? 違うだろ」
と手島は早口でまくし立てる。
「夢、そうですよね……ブレちゃいけないですよね」
松尾は、見慣れた喫煙所の天井を見ながら話す。
「もう何百回も誰かに言い古されていることだけどな、”決断”という文字には”断つ”っていう文字が含まれてるんだよ。何かを選ぶんなら、何かそれ以外のものを断たなきゃならないんだ。お前はプロミュージシャンとADの二兎を追うのか?」
松尾は何も言えなくなり、虚空を見つめている。
「まぁ、経験上こういうことは早く決めた方がいいぞ。早めに決めて上に伝えとけ」
続きの話
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