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「ツイスト・イン・ライフ」第十二話(全二十二話)

第一話:松尾誠司 その一
第二話:佐野涼平 その一
第三話:越智弘高 その一
第四話:藤吉礼美 その一

第五話:松尾誠司 その二
第六話:佐野涼平 その二
第七話:越智弘高 その二
第八話:藤吉礼美 その二

第九話:松尾誠司 その三
第十話:佐野涼平 その三
第十一話:越智弘高 その三

第十二話:藤吉礼美 その三


「あれは、カラオケ……」
 藤吉ふじよし礼美れいみは、勤務先の音楽教室での講師交流会の二次会に来ている。
 二次会は、礼美による鶴の一声で開催が決まった。

 その二次会の居酒屋で案内された個室席には、見覚えのあるリモコンと大型のテレビがあった。

「おおっ! カラオケあるじゃん!」
 音楽教室のヴォーカル講師である小杉こすぎ純平じゅんぺいは、目を輝かせる。
「久々に小杉くんの美声が聴けるのか」と教室長の川田かわだ照彦てるひこは言う。
「僕はいつだって美声ですよ!」
 小杉のそんな返答に、礼美は小さく噴き出してしまう。
 しかしそんな礼美の頭の中は、カラオケのことでいっぱいになっていた。

 礼美は酔いも少し醒め、一言では表せぬ感情になっていた。
「もしかすると自分にも歌う機会が回ってくるのだろうか」

 彼女の中には「初めて人前で歌うかも」という緊張感と「初めて自分の歌を誰かに聴いてもらえるかも」という高揚感が同居していた。

 そうこう考えているうちに店員がやってくる。

「幹事の小杉様、十五名様の二次会コースでお間違いないですね。ドリンクは飲み放題でグラス交換制、九十分でラストオーダーとなります。カラオケはご自由にご利用いただいて大丈夫です。ドリンクのご注文お決まりでしたらどうぞ」

 店員が飲み放題のシステムを説明しながら、注文を取っていく。
 礼美は大学時代の友人がよく飲んでいたジンジャーハイボールを頼んでみた。

 それからおよそ五分後に、全員の手元にドリンクが揃った。

「じゃあ、せっかくだし、藤吉さん! 乾杯の挨拶いける?」
 川田はやや離れた席から礼美に笑顔で呼びかける。
「無理にとは言わないけどね!」

「えっ!」
 突然の一言に固まる礼美だが、すぐに意を決したように
「で、で、では僭越ながら」と立ち上がる。

「よっ!」
 参加者から拍手と歓声が上がる。

「あの、さきほどの講師交流会は、私の人生で一番楽しい飲み会でした」
「し、締めの挨拶のとき、ワガママ言ってしまい申し訳ありません」
 礼美はたどたどしくも言葉を選びながら話し、頭を下げる。

「ありがとう!」
「私も楽しいよ!」
 声援も勢いを増してくる。

「なので、皆さんとまた楽しい時間を、過ごしたいです」
「か、乾杯!」

「かんぱーい!」
 一度は終わったかに思えた宴が、再び始まった。

「藤吉さん、乾杯の音頭おつかれ!」
 拍手が鳴りやまぬ中、礼美はジンジャーハイボールに口をつけた。

「え! 美味しいっ!」
 よほど礼美の口に合ったのだろう、思わず礼美は感嘆の声を上げた。

「礼美ちゃん何飲んでるの?」
 向かいの席の三上みかみ純子じゅんこが話しかけてきた。順子は五十代のピアノ講師である。今回の講師交流会ではかなり礼美と仲を縮められたようだ。
「ジンジャーハイボールです。学生時代の友人がよく飲んでて試しに頼んでみたんですけど」
「あぁ、ジンジャーハイボール甘くて飲みやすいのよね。でも飲み過ぎないようにね」
 純子は笑いながら注意をする。礼美も頭では分かっている。飲み過ぎは危険だということを。

「あと、ちゃんと食べておきなさいね」

 純子のその言葉と共に、二次会コースが運ばれてきた。
 枝豆、茄子ときゅうりの浅漬け、ピンク色のえびせん、フライドポテト……とよく知らない食べ物だ。
 リーズナブルな二次会コースなのでシンプルな内容である。

 礼美が気になったのはフライドポテトの皿に盛りつけられた正体不明の食べ物だ。きれいな楕円形をした揚げ物のような、何だろうか。

「これは何だろう?」
 礼美はその楕円形の揚げ物が気になり、自分の皿に取る。
 箸で持った感じは、揚げ物というよりも柔らかい餅のような感触だ。
 本来は脂っこいものが苦手な礼美も、初めて見る食べ物に興味津々だ。

「あっ、それ多分熱いから気を付けてね。切った方がいいかも」と純子は言う。

 言われた通りに、箸でその食べ物を切ると、中からとろけたチーズが出てきた。

「確か”チーズもち”ってやつ? いや、”いももち”だっけ? 正式名称わかんないけど」

「初めて見ました。チーズのいい香りがします。いただきます」
 礼美はフーフーとその食べ物を冷まして、恐る恐る口に入れる。

「えっ! 美味しいっ!」
 礼美は眼を見開き、再度感嘆の声を上げた。

「あははは、礼美ちゃんは元気だね。私はもう胃もたれしちゃうわ。私の分もあげるから食べて」

 礼美はすっかり、この「チーズもち」の虜になってしまった。
 どこか懐かしさを感じるとろけるチーズの味と、柔らかい餅のような食感に感動を覚えた。

「ここ最近で食べた中で、一番おいしいです」
 と本心からの感想を伝える。
「礼美ちゃんって、こういう居酒屋さんが新鮮なのね。礼美ちゃんのこと、また好きになっちゃった」
 純子は、一次会の前半までは「藤吉さん」と呼んでいたが、いつの間にか「礼美ちゃん」呼びに変わっていた。

 礼美は二つ目のチーズもちを小皿に取り、食べる。
 その美味しさに浸っていると


 小杉が突然
「歌ってもいいですか!?」と立ち上がった。

「よっ! 小杉!」
 パラパラと拍手が起こる。

 酔いが回ってきている礼美も
「聴きたいです!」と、小杉に伝えた。
 自分が歌うときに弾みをつけたいという気持ちが、わずかながら含まれていた。

 ちょうど礼美の声が拾われる形になり、小杉は
「あぁ! 主役の藤吉さんに言ってもらえるんなら、そりゃあもう歌います! 歌いますとも!」
 と大袈裟にリアクションを取る。

「お前が歌いだけだろ!」
「人のせいにすんな!」
 とヤジが飛び、笑いが起こる。

「すいません、曲入れますね」
 と言いながら小杉は慣れた手つきで曲を予約する。
 画面が暗転し、映し出されたのは
「I LOVE YOU」という見覚えのあるタイトル。
 尾崎豊の名曲だ。これは礼美も知っている。

 ピアノのイントロが終わり、小杉が歌い始める。


 あいらあぁびゅぅうぅ いぃまだぁけは くなしいうた……


 礼美は思わず目を見開く。思わず聞きほれてしまうような歌声である。
 さすが、歌の講師をやっているだけある。
 まさにプロだ。

 少々クセは凄いが、それはカラオケで尾崎豊を歌う人間のおよそ九十七パーセントが当てはまる。

 このときばかりは、ヤジを飛ばしていた講師たちも静かに聴いている。
 もちろん礼美はこれまでも数えきれないほど「上手い歌」を聴いてきている。しかしそれでも、小杉のこの歌声は胸に来るものを感じた。
 歌い出しの第一声から心を掴まれ、最後まで聴いてしまう。
 礼美は「小杉さんって凄いんだな」と心の底から思った。

 やがて歌が終わり、会場はあたたかな拍手に包まれる。
 終わった途端「お邪魔しちゃってすみません」といつもの小杉に戻る。
 礼美は「なんか不思議な人」と思った。


 その後、しばらく歓談が続いていたが
 あるとき小杉が「誰か歌いたい人いますか?」と確認した。

 礼美はピクッと反応した。

「いないんじゃないの? それこそ小杉くんの次なんて」
 礼美の向かいの席で純子は言う。
「そっかぁ、じゃあもう一曲入れちゃおうかなぁ」
 と小杉は独り言のように呟く。

 礼美は下を向きながら、少し呼吸を整える。
「言うぞ」と心に決めたが

 おかしいな、声が出ない。

 こうなったら手を上げよう。


「は、はいっ!」


 礼美は下を向きながら挙手をしていた。
 どよめきの後、「何が起こったか」を理解した同席者からの拍手が巻き起こる。
「これは面白い! 小杉の次はまさかの藤吉さん!」
「藤吉さんの歌めっちゃ聴きてえー!」
 目の前の純子も「礼美ちゃん頑張って!」と嬉しそうに目を細めている。


 言ってしまった今となっては、もうほとんど緊張はない。

「こういうのって、言い出すのが一番大変なんだな」
 と礼美は思う。

 小杉もまた嬉しそうにリモコンとマイクを手渡し
 礼美はそれを受け取る。
 何を歌うかは、もちろんもう決まっている。
 礼美もまた手慣れた操作で曲を選択し、予約する。

 画面に出てくるのは「Everything」の文字。
 礼美がはじめての一人カラオケで歌ったMisiaの代表曲だ。

「こんな難しいの歌えるの⁉」
「懐かしい!」
「がんばれ! 小杉に負けるな!」

 小杉も「おー!」と、拍手しながら画面を見つめている。
 もう礼美の身体の力は抜けていた。息を吸い込み歌い始める。


 すれ違う時の中で


 歌い出しの時点で、十四人の聴衆は彼女の世界に引き込まれた。
 みな、ドリンクに口をつけるのも忘れて聴き入っている。
 最初のサビに入った時点で、小杉の目には涙が溜まっている。
 純子はハンカチで、川田はおしぼりで目を拭っている。

 礼美はついに歌い終えた。
 酔いと、わずかの緊張で、少しピッチが怪しい部分もあったが
「何とか歌いきれた」という安堵とともに席に着いた。

 しばらくして、小さな拍手が起こる。
 拍手が小さい理由は、拍手よりも感想を伝えたい聴衆が多かったこと、そして放心状態になった者がいたためだ。

「いや、これは凄い……藤吉さん! 凄すぎるって」
 と涙ながらに訴える小杉を見て、礼美は目をまん丸くする。

「ちょっと礼美ちゃん、感動しちゃった」
 純子もまだハンカチで目元を押さえている。

「え、ありがとうございます皆さん……なんかすみません……」
 礼美はまだ事態を把握できておらず、あたりをキョロキョロ見回しながら、小さく頭を下げる。


 目を真っ赤にした川田は何も言えずに礼美を見つめていたが
「いやぁ……藤吉さん。知らなかった……歌もこんなに凄いなんて」

 少しずつ、川田は自分の思いを言葉にしていく。
「あのね……藤吉さんみたいな人がこの教室にいてくれることが、僕は本当に嬉しい」
 誤解を招かぬよう少しずつ。

「でも同時に『君がここにいるのは本当に良いことなのかな』って思うことも、確かにあるんだよね」

「君は、もっともっと多くの人間を幸せにできるような気がして」

「そしてそれは、もしかしたら君の"歌"なんじゃないかと思ったんだよね、今」

「君は楽器もとてもすごいけど、心に響く歌だなぁって思ったよ」

「言ってしまえば世界中の人に、藤吉さんの歌を届けられるような、そんな環境にいつかは身を置いてほしいなって」

「ごめんね。決して辞めてほしいっていうんじゃないんだ。ずっといてほしい。でも凄く感動しちゃってね……」


 礼美は信じられなかった。
「まさか、自分の歌がこの人たちを涙させたのか?」
 そして川田から「歌で人を幸せにできる」と言われたことは礼美にとって青天の霹靂だった。

「……ありがとうございます。でも少なくとも今は、私にとってこの教室から離れるなんて考えられません」
 と、戸惑いを隠せずに礼美は話す。

「もちろん、今日明日という話じゃないさ。それはさすがに困るからね。でも二年、三年と長いスパンで考えると、君はもっと広い世界に挑戦するべき人のように思えるんだ」

「挑戦……」
 礼美は若い頃から音楽の世界で数多くの挑戦をしてきた。
 そして、音楽以外の原因で諦めてしまった夢があった。
「今の平和な日常を捨てて、また挑戦などできるのだろうか」と不安を覚えていた。

「まあ、ダメそうだったらいつでも戻ってきなさい! ウチはいつだって大歓迎だから!」
 川田の一言に礼美は顔を上げ、静かに泣いた。

「こんなあたたかい世界にいられる自分は何と幸せなのだろう」
 その温もりを全身に受け止めて涙を流した。


 この二次会の残りの時間は
 全員が、礼美の歌の余韻を感じながら過ごす時間となった。
 小杉も「この余韻をぶち壊したくない」とこの後に歌うことは固く拒んだ。

 やはりこの二次会もあっという間に終わってしまい、最後には川田が締めの挨拶をした。
「ウチの教室には、すごい人が来てくれたんだなと改めて思いました。いつの日か巣立っていくのかもしれませんが、今はまだ考えたくありません!  そして藤吉さんだけではなく、皆さんも最高のメンバーだと、改めて思いました。今後とも末永くよろしくお願いします」


 このとき、礼美には
「近い将来、この教室を離れる日が来る」という予感があった。
 彼女の直感のようなものが働いていたのだ。

 そう考えると寂しくて、また涙が出てきた。

 少しずつ肌寒くなってきた十月。
 二次会終わりの二十二時の気温は、秋の深まりを感じる。

 礼美は家に向かい
 線路沿いを歩いていると、ひとつの無機質な細長いビルが目に留まった。
 扉にかけられた"OPEN"というネオンが弱々しく赤い光を放っている。

 ビルの看板に目をやると「バー・ツクシ」と書かれている。

「こんなところに……バー?」 
 あまりお酒が得意でなかった礼美はこれまで意識したことがなかった。こんなところにバーがあったなんて。
 礼美は吸い寄せられるようにその扉を開く。その中にはようやく人が一人通れるほどの階段が続いている。バー・ツクシはどうやら地下一階にあるらしい。華奢な礼美は特に不自由を感じることなく階段を降りて行った。

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