マナミ|夢日記の人|アダルトチルドレン

インスタで夢日記を更新しているアラサー。 アダルトチルドレン、毒親、祖母のアルツハイマ…

マナミ|夢日記の人|アダルトチルドレン

インスタで夢日記を更新しているアラサー。 アダルトチルドレン、毒親、祖母のアルツハイマー、不登校、心の病、機能不全家族、どうやって生きてきたか。体験した当事者にしか分からない赤裸々を綴っていきます。 同じような体験をされた方の気づき、癒し、成長になればと思い、この場を設けました。

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はじめまして、自己紹介です

はじめまして。 インスタからの方はいつもお世話になっております。 Manami,(マナミ)と申します。呼び方はなんでもだいじょうぶです。 インスタでは夢日記、という珍しいジャンルをメインに投稿しております。 見た夢を文章にし、その夢の内容に合った写真とともにアップしています。 幸いなことにコアなファンに恵まれ、自費出版で出したZINE「夢日記」も素人の処女作の割にはなかなか好調なようです。 さてそのインスタから飛び出してこのnoteで何を書きたいのかというと、私を取り巻く

    • いかにして自分がアダルトチルドレンだと気づいたか。部屋が広くなるほど窮屈な彼との生活。

      (前回の記事で6月下旬に部屋を探したと書いてしまいましたが、正しくは5月下旬です。6月には現場に配属されていました。) 6月。水を張った大きな桶のなかに一抹の不安を残したまま、それぞれの現場に配属になり、家にはただ眠るためだけに帰るようなものだった。 下っ端なので誰よりも早く出勤し、掃除し、勉強し、練習しなければならない。 休憩時間中も買い出しや勉強や練習に追われ、本当の意味で休憩できるのは15分ほどだった。 休日は月7~9日。 この休日のほとんどは家事か勉強会かボランティ

      • いかにして自分がアダルトチルドレンだと気づいたか。幸せの正体とは。

        彼との新生活を決断する一方で、会社の研修も順調に進んでいた。そこで後に私に大きな決断をさせる学びとなったのが【TA 人生脚本】という研修であった。 TAとは Transactional Analysis(トランザクショナル アナリシス)、日本語に訳すと「交流分析」という意味になる。 ジークムント・フロイトの考え方を基礎として精神科医エリック・バーンが提唱した人格理論である。 交流分析とは、目の前の相手とどう接すれば良いか、自分はどんな問題を抱えていて、どういうふうに交流し、

        • いかにして自分がアダルトチルドレンだと気づいたか。彼と小さな部屋での生活編。

          彼が転がり込んできた部屋は当時1Kのとても小さなマンスリーマンションで、勤務先の本社にほど近かった。 本社で2ヶ月間の研修ののち各地に配属されるということで、東京のとの字も知らない私は下見にも来ずとりあえずどこになるか分からない配属に備えて都心の小さなマンスリーマンションを借りたのだった。 家具家電つき、光熱費込みで、テレビは小さく黄色いカーテンも趣味とは違い部屋は狭かったが、家賃以外ははじめての一人暮らしには向いていたと思う。 そこに同期の彼はお世話になりますと米を抱えて

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        はじめまして、自己紹介です

          いかにして自分がアダルトチルドレンだと気づいたか。彼との出会い編。

          アダルトチルドレンというものに侵されていると気づいたのは、ある男性を愛せなくなり、物のようにしか見えなくなり、そんな時に知り合った行き当たりばったりの人の一言がきっかけだった。 10代で社会不安障害になってから常に生きづらかった。いや、既に生きづらかったからこそ病に見出されたのかもしれない。 なにかと神経質で思い込み、考え込みすぎることがあり、物理的にも精神的にも敏感で自分にも相手にも厳しさを求め、二極化思考でひとつでも許せないところを見出したら相手を切捨て、将来に漠然とし

          いかにして自分がアダルトチルドレンだと気づいたか。彼との出会い編。

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話。最終回。みんなクレイジー。

          管理会社をたずねてから数日後、突然のピンポン。 我が家はインターホンがなく、宅配やら来客の予定のないピンポンには急に出ないことにしている。 それでも諦めないピンポンだったので、出ると大家さんだった。 「管理会社の人に少し聞いたけど、あれからどお?」 「いやー、カクカクシカジカで、隣の部屋とつぜんドンドンされて…話を聞いたら、20Aのうちに苦情を出してたくせに、20Bの人だって言うんですよ。玄関の泥除けマットを見て、その犬飼ってる人と同じやつだったから、20Bに住んでるんだ

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話。最終回。みんなクレイジー。

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話④

          〜前回のあらすじ〜 まさかのご本人登場、おうちは刑務所なみの塀の高さ! 淡々と説明するもまた来そうな予感―?! しかし管理会社から電話があってわずか数日、突然会いたいなんて夜更けに何があったのと岡本真夜状態である。 もしかして管理会社、私に言うだけ言って相手に何も伝えていないのでは? クレイジークレーマーもクレーマーで、「自分で部屋を間違えてましたと管理会社に電話する」と言っていたが、本当にするか分からないので、翌日、管理会社へ向かった。 そもそも犬、おりませんよと管理

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話④

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話③

          〜前回のあらすじ〜 ご本人登場だドン!玄関ドアで太鼓の達人やってるドン! でもうちじゃなくて、隣の部屋で奏でていたドン! どうやら20Bのドアを一所懸命叩いていたらしい。叩きすぎてうちにも音と振動が伝わったのだ。 女性はそのまま帰ろうとしたので「犬の件ですよね」と引き止めた。 少々驚いたように「えっ」と声を上げるので 「私は20Aの者です、隣は20Bです。管理会社から話は聞いています」と説明。 「えっじゃあ、部屋番号を間違えました、すみません。隣、犬飼われてますよね」

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話③

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話②

          みなさんお待ちかね、クレイジークレーマーの件。 事態は突然、思わぬ方向へ動き出す。 クレームもラブストーリーも、突然。 小田和正が言ってた(言ってない)。 とりま先に、今後の展開が分かりやすいようにおさらいしておきたい。 【建物・環境】※超重要 我が家→20A号室(アラサーのひとり暮らし) お隣→20B号室(若い女性ひとり暮らし) 階下→C号室(喧騒系ファミリー) オートロックとかエントランスとかセキュリティ関係は一切無し。 部屋番号はお部屋の目の前に来なければわ

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話②

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話①

          2022年 5月16日(水) 19時過ぎ。 入居中のお部屋の管理会社から留守電。 知らない番号だったので出なかった。 すぐに再生。 「近隣から"犬を飼っているお宅があるのかな"と連絡が入りましてお電話しました。私担当のAといいます。明日、明後日とAが休みのため、また木曜日に電話します」 ……? すぐに折り返すも、本日の営業は終了しましたと音声案内。 この時点で察せるのは、この担当さん仕事できない人なんだな〜ということ。 まず、即折り返してんのに営業時間終わってるっ

          ご近所のクレイジークレーマーと闘った話①

          20年以上親友だと思っていた幼なじみの不倫、子どもはシッターに育ててもらう宣言、不払いの千円に「もう終えよう」とピリオドを打った話。

          読者のみなさんには親友と呼べる存在はいるだろうか。 私はもともと友だちが少なく、狭く深くタイプである。 そもそも心の部分で深く交われる親友が居れば、友人などただ寂しいときや時間が空いたとき、親友が対応不可のときに代打をしてくれる上辺の存在でしかないのではなかろうか。 私が中学生のときに不登校になり、だれとの面会も拒否し、そのうち離れていった同級生たちの中で、ひとりだけ粘り強く私と交流を絶たなかった人物がいた。 社交不安障害のため人と会うことが難しいと説明すると、手紙をくれ

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          20年以上親友だと思っていた幼なじみの不倫、子どもはシッ…

          母と私を悩ませた摂食障害。治るときは突然に。きっかけは何気ない会話。

          半年ほど東京で過ごした母は、体重28kgから34kgになっていた。 もともと細い母は、これぐらいがちょうどいいと言い、家も心配だし一旦帰るといって年明け前に山口へ帰って行った。 しかし「病院に通っても一緒やな」と感じた母は、田舎に戻ってからは内科も心療内科にも通院しなくなってしまった。 ”私”と一緒にいたこと、家で話したり家事などやることに追われていたことで気が紛れたことが大きかったと本人は振り返る。 年が開けると体重は30kgと再び落ち始めていた。 節分には「恵方巻き

          母と私を悩ませた摂食障害。治るときは突然に。きっかけは何気ない会話。

          突然の孤独から摂食障害になった母。私の選択が正しいか判らないまま②

          ドアから出てきたのは、ミイラ化した母だった。文字通り骨と皮だけになり、足取りも覚束ず、すり足でなんとか歩行している感じだった。 それに突然娘が帰ってきたというのに、あまり驚きもしなかった。 家も手入れされておらず、枯れ草がぼうぼうに伸び、鎧戸は汚く錆び、人が住んでいるのか分からない屋敷。住んでいるのは年寄りのゾンビ。まるでバイオハザードの世界に来てしまったかのようだった。 やっと家の中に入れた私は、母の部屋のこたつに潜り込み、東京から買ってきていたお土産をテーブルの上に広

          突然の孤独から摂食障害になった母。私の選択が正しいか判らないまま②

          突然の孤独から摂食障害になった母。私の選択が正しいか判らないまま①

          愛犬が死ななければ、上京など微塵も考えなかっただろう。祖母が施設で静かに暮らしていたなら、その面倒を見る母を置いては行かなかっただろう。 しかしすべては重なった。 祖父の死、愛犬の死、祖母の死。 これは私に”いま行け”というシグナルなのだと受け取り、会社の採用通知を受け取り、東京へ来た。 東京の人はやさしかった。 来たその日に作ったSuicaを落としてしまったが、届けてくれた人がいたと駅から電話があった。 お店の対応は丁寧だ。 地元では考えられない。 洗濯機の使い方が

          突然の孤独から摂食障害になった母。私の選択が正しいか判らないまま①

          愛犬の死。祖母の死。そして私が上京を決めた日。

          愛犬は私が小学4年生の時に里親募集のイベントでもらってきた雑種である。 もらった当日は片手に乗るくらいまだ小さかった。 ほとんど1日眠ってばかりで、小さな段差も登れないほど赤ちゃんの時に譲り受けてきたのだ。 私はずっと犬を飼いたい飼いたいと主張してきたが、動物アレルギーがあったり、どうせ世話するのはアンタじゃないやろと言われ続け、やっと念願叶って飼うことがゆるされた子だった。 祖母も祖父も変わり者だったが、犬は好きだったようでよくかまってくれた。 母もいつのまにか溺愛する

          愛犬の死。祖母の死。そして私が上京を決めた日。

          祖父と私。10年以上同じ家に住んでいたが交わした言葉は数えるほど。私は祖父が苦手だった。そんな祖父の死②

          その日祖父はいつも通り朝から部屋でテレビを見ていた。 祖母のアルツハイマーが進行し脳梗塞も見つかり、特別養護として入院生活がはじまってから、これまで暗黙の了解で出入りを禁止されていた1階リビングが祖父の主な拠点となった。 しかしそれ以外は変わりなく、祖父は自分で自分の飯を作り、二槽式洗濯機で洗濯をして干した。 ほかに変わりがあるとすれば、大腸がんが見つかったことだ。手術で大腸を切り取り、ストーマ(人工肛門)を着けることになるかも、と話していたが、なんとかストーマは免れた

          祖父と私。10年以上同じ家に住んでいたが交わした言葉は数えるほど。私は祖父が苦手だった。そんな祖父の死②