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突然の孤独から摂食障害になった母。私の選択が正しいか判らないまま②

ドアから出てきたのは、ミイラ化した母だった。文字通り骨と皮だけになり、足取りも覚束ず、すり足でなんとか歩行している感じだった。
それに突然娘が帰ってきたというのに、あまり驚きもしなかった。

家も手入れされておらず、枯れ草がぼうぼうに伸び、鎧戸は汚く錆び、人が住んでいるのか分からない屋敷。住んでいるのは年寄りのゾンビ。まるでバイオハザードの世界に来てしまったかのようだった。

やっと家の中に入れた私は、母の部屋のこたつに潜り込み、東京から買ってきていたお土産をテーブルの上に広げた。
お菓子すらも食べる気が起きないという母。
しかし元来は甘いものが大好きなので、ちょっとだけ食べてみたら、と個包装のお菓子をすすめた。
小さなレーズンサンドの包装をしばらく見、胃がもたれないかなあと悩んでいる。
逡巡の末に口に運んでみた。

すると、美味しい…と言う。
食べたら胃がむかむかするのが嫌で食事も摂らないのだとか。
胃のむかつきを心配しながらお菓子を食べていたが、食べ終わっても胸のつかえやむかつきが起こらなかったことから、少し安心したようだ。

そのまま私は近所のスーパーへ買い物へ行き、晩御飯をつくった。
メニューはたしか味噌汁と、鶏胸肉と大豆のミルク和えと、チチヤスヨーグルトだったと思う。ごはんはもち麦ご飯にした。

これまで何も食事をしていない人がいきなり栄養をたくさん摂取すると、リフィーディング症候群になることがある。

少量でも食物繊維やビタミン、タンパク質が摂りやすく、血糖値が急上昇しないような食事にした。
私も一緒に同じものを食べた。
すると、ごはんを食べても胸がつかえないという。
どうやら1人で食事や間食をすると胃がむかつき、そのせいで食事=恐怖の対象になっていたのだと考える。

また、栄養が不足していると怒りっぽかったり妙に思考が頑固になってしまい話も通じないことが増えた。

10代のころに自分が通っていた心療内科に電話し事情を説明して診てもらえないか聞いたが、摂食障害はお断りしているという。
万が一のことがあって病院のせいにされるのを嫌がっているのだろう。
人の体と心を癒すはずの病院も、リスクの高い患者は診察しないということだ。

個人病院ではなく、すこし規模の大きい心療内科に連絡してみた。
すると、予約でいっぱいだがとりあえず診察の前段階として話を聞かせて欲しいということで行けることになった。
母はまったく行きたくなさそうだったが、せっかく自分も有給をぜんぶ使って帰ってきたのだから、そこを汲んで行って欲しいと半ば強引に連れていくことに。

病院は移転したばかりで施設は新しく、受付の人も感じが良かった。
その人からすこしでも感じの悪さを見出していたら、母は通わないと言っていただろう。
精神的に病に陥っている人は、とにかく敏感だ。

私が補足を加えつつ母本人が自らの症状を話し、初診の日が決まった。
ただその初診の日には私はもう東京に帰っていなければならない日だった。
長男に付き添いをお願いし、無事に予約を終えて帰ってきた。

「悪そうな病院じゃなかった」と母は言う。
田舎の病院は尊大な医師や看護師が多い。都会のように患者の取り合いをしなくても患者がやってくるので、粗末に扱われることもしばしば。
特に心の病にかかっている人はそういう部分を繊細に察知する。

しかし私と何日か一緒に過ごすうちに、ごはんやお菓子を食べる余裕が出てき、せっかくだから近場に旅行にでも行ってお互い気晴らししようかという話になった。

私も当時の仕事は朝早くから夜遅くまで、期間によっては日付が変わるごろに帰ったり、休日は勉強会に参加したりと、とにかく時間に追われる日々だった。

神戸はどうかというと、母も行ってみたいという。
トントンと話が進み、あまり計画性がなかったため、行きたかったパティスリーが閉まっていたり、ランチに選んだお店がそんなによくなかったりとハプニングもあったが、宿泊した宿の晩御飯がおいしかったこと、温泉にゆっくり入れて気持ちよかったこと、知らない土地を歩いて楽しかったこと、帰ろうと思えばすぐに帰れる距離だったことがよかった。
特に水(お湯)につかるというのは鬱やストレスにいいらしい。おなかの中にいるときのことを思い出すのだろうか。

それに宿の夕食は私でもお腹いっぱいになるくらいの量だったが、母はぺろりと平らげた。
「なんかよくわからんけど食べられる」と言っていた。
数日前までミイラになりかけていた人間とは思えない。
神戸は坂も多く、よく歩いたのできつかったのではないかと思う。
しかし前々から興味のあった異人館などを見て回って楽しそうだった。

ひとつ残念だったのは、神戸牛が食べられなかったことだ。
せっかく来たのだから神戸牛を食べたい!と主張したのだが、それは無理、と一蹴された。
中華街での食べ歩きもせず、当時まだ胃の調子が絶好調だった私はそこが不満だった。
今でも神戸牛は食べたいと思っている。

しかし数日前まで即身仏のようだった人が、いきなり牛肉などハードルが高いことを最近、自分も身を以て知った。
あの時はわがままを言って申し訳なかったなと振り返る。

そして東京に帰る日、やはり空港行きのバスの向こうで母が泣きながら手を振っていた。

私が東京へ戻ってからというものの、しばらく心療内科に通ったが、やはり食事をすると胸がつかえて胃が気持ち悪いという。
治療内容は主に投薬のみで、カウンセリング等はないという。

どうすればいいか。
彼女を信じてゆっくり治癒するのを待つという手もあったのかもしれないが、せっかちな私は東京に母を呼び寄せた。
春になっていた。

紹介状を書いてもらい、こちらでカウンセリングに関して信頼できる心療内科にしばらく通ってもらうことになった。

しかしやはり栄養を摂っていない人間と一部屋での暮らし。
なんでこんなに頑固なんだろうというくらい頑固で、しきりに早く家に帰りたい、帰りたいと言うのだった。私にはそれがストレスで、よく喧嘩もした。

東京にはおしゃれなカフェやおいしいお菓子がたくさんある。観光もできる。
けれどもあまり出かけず、病院以外は1日中私の部屋で過ごしていた。
たまに一緒に外食すれば「椅子が硬い!!」などといちゃもんをつけ、私とはよく口論になった。

「カウンセリングなんかしてもなんも効果ない!!」

当時、私もアダルトチルドレン改善のために同じ心療内科のカウンセリングを受けていたが、自分の担当のカウンセラーとはとても相性が良く、博識でどんな小さなことも拾ってアドバイスをくれていたので、相性の問題かと思い、カウンセラー変えてもらう?など聞いたが、それもいいという。
自分のことなど話しても意味がない、とにかく早く実家に帰りたい、自分はどこも悪くないと。

障害者手帳や自立支援医療が受けられるとわかっても、母は申請しなかった。

このころは1番母とコミュニケーションが上手く取れず、私もストレスを感じていた。
すると私の担当カウンセラーが

「マナミさんは問題に気づきやすいし、どうしたら問題が解決できるか、いつも問題のすぐ側にいて火消しをしようとするけれど、お母さんのことに関しても、マナミさんのやったことが正しいかどうかは分からないよ」

とズバッと指摘された。

確かにその通りである。
前の記事でも書いたが、「治って欲しい」というのは私の願望でしかなく、母は治らなくてもいいと思っているのかもしれない。

……しかし、放っておくのは違うように思えた。

世の中は正しさだけではない。
私だってこれまで周りの理不尽に振り回されてきたのだから、私のひとりよがりな想いのままに振り回させてくれたっていいじゃないか。
なんで大人しくしてなきゃいけないんだ。

神戸牛は食べない、店の椅子が硬いと、こちらの気も知らずに文句ばかり言っている母を、正しい方向でないとしても導くことは悪なのか。
半ば復讐心に近い心構えで、私は母を無理矢理にでも病院に通わせたのである。

だってあなたはあの時「見守る」ことに徹したけど、そうじゃないやり方もあるのだと、10年経ってから伝えたかった。
早期に治療を受ければ、それだけ早く治る可能性もある。
一度しかない人生を擲ってしまえば、もうそれで終了なのだ。

けれどそんなことは問題の渦中にいる本人は考えられないだろう。なにせ問題の渦中にいるのだから。
カウンセラーの言うように、私のやっていることが正しいかわからない。
正直、そう言われた瞬間はショックを受けた。

でも私はあのとき、母に病院へ連れて行って助けてもらいたかったから。

しかし世の中には助かりたくない人もいるのだ。

正しい、正しくない。

だからなんだ!

正しいか正しくないかなど、決めるのはいまの私や母や第三者ではない。
未来の私や母が決めるのだ。

母は数ヶ月、私と同じ部屋ですごした。
人がいると食事も摂るしお菓子も食べる。
また、私が朝早く夜遅いことをわかっていたので、お弁当を作ってくれたり部屋の掃除をしてくれたり、夜は帰ればごはんができている。
私の世話という使命を負った母は、買い物へ出かけられるくらいには元気になったように見えた。

しかしいつかまたお互い一人暮らしに戻らねばならない。

そうなったときに母は1人でごはんを用意し、美味しく食べることができるのか。

次回、時は流れて。

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