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突然の孤独から摂食障害になった母。私の選択が正しいか判らないまま①

愛犬が死ななければ、上京など微塵も考えなかっただろう。祖母が施設で静かに暮らしていたなら、その面倒を見る母を置いては行かなかっただろう。

しかしすべては重なった。
祖父の死、愛犬の死、祖母の死。

これは私に”いま行け”というシグナルなのだと受け取り、会社の採用通知を受け取り、東京へ来た。

東京の人はやさしかった。
来たその日に作ったSuicaを落としてしまったが、届けてくれた人がいたと駅から電話があった。
お店の対応は丁寧だ。
地元では考えられない。

洗濯機の使い方が分からなかったり、肉や魚の適正価格がわからずに度々母に電話した。
どれだけしつこくかけても夜中にかけても怒られることはなかった。
ひとつひとつ、教えてくれた。

しかし最近、ごはんを食べられないのだという。
食事の内容を聞くと、カフェオレ1杯だけで1日の飲食が終わる日もあった。

私は本社の近くにマンスリーマンションを借りていたのだが、2ヶ月の研修が終わると各地へ配属されることになっていた。
その配属先近くへの引越しの手伝いに母がくることになっていたのだ。
最寄りの駅から、住んでいるマンスリーマンションまでの道のりを何枚も写真に収め、ロックがかかったポストの中に部屋のカードキーを入れておき、部屋の暗証番号をメールで送った。

その日、どきどきしながら借りているマンスリーマンションへ帰った。
ドアを開けると母がいた。

約2ヶ月。たった2ヶ月。されど2ヶ月。
これまで親元を離れたことのない私と、娘がずっとそばにいた母との再会だった。
母は痩せていた。
妙に部屋が暑いと思っていたら、6月だと言うのに寒いといって暖房をつけていたのだという。
痩せて脂肪がなくなってしまったからだろう。

しかし母は引越しのために精力的に動いてくれた。
このころはまだ元気だった。

朝から晩までほとんど仕事づくめの私の代わりに不動産屋を見つけ、足を運び、いくつか物件をみつくろってくれた。
この時私には、上京してすぐできた恋人がおり、仕事の忙しさからもう一緒に住んだ方がいいだろうということで、2人が住める部屋をお願いしていた。
母も最初はいきなり同棲かと呆れた様子だったが、言い出したら聞かないとわかっていたので、すこし反対しつつも2人で住めそうな物件を見つけてきた。

そして恋人との同棲がはじまり、母は夏頃までなんやかんや世話を焼くために居てくれた。
(そのうち書きたいと思うが、恋人とのケンカが絶えず、心配で帰れなかったというのもあるらしい。)

そして母が地元に帰ってから再び不調はおとずれた。
やはりご飯がすすまないという。
私が上京してすぐの頃は、斡旋したアルバイトにも行っていたようだが、体調不良からもう長いこと休みをもらい、実質辞めてしまったようなものだった。

今日はなにを食べたのかとたずねると、クラッカー1枚。そんな日もあった。
内科に行くように促したが、病院嫌いがたたってなかなか行こうとしなかった。

しかし血便が出る、眠れない、食欲もないというので、実家近くに住んでいる兄たちに頼んで、ごはんを持って行って一緒に食べてあげてほしいと頼んだが、本人は誰とも話したくないので、せっかく来ても母が拒否したり、兄は兄で極力関わりたくないので、ドアノブに溶けかけたドーナツがぶらさがっているだけだったりと、誰も頼りにできなかった。

体調不良はすすむ一方で、地元の内科に連絡をとり事情を説明し、もう電話したから、病院の方が待ってるからと、なんとか本人に病院まで行ってもらい、栄養を経口摂取できないぶん点滴をしてもらった。

母の様子を聞くために内科に連絡し、体重を聞いたら28kgだという。強制入院させるか、胃瘻するかという話にまでなったが、けっきょく精神的な問題なので、入院しようが胃瘻しようが、本人に「食べたい」という気持ちが湧かなければ意味が無いのだ。

電話をしてももう声に覇気はなかった。
目が覚めずに死んでいたらいいのにという。体重28kgだと、その可能性も有り得なくない。
1日もつかもたないかの事もあるだろう。

当時勤めていた会社に事情を説明し、有給すべて使って地元に帰れないだろうかとお願いした。

体調不良で休んでも、病院の領収書がないと事後は有給の申請を認めないような会社だった。会議にかけてみますとの回答で、すぐに帰れるか分からず、とにかく生きていてくれよという想いだった。

しかしいま思うと、「とにかく生きていてくれよ」というのは私の想いの押しつけでしかないと思う。
本当にこのまま死にたい人もいるだろうし、無理矢理病院へ連れて行って生きながらえさせても、その後の責任を取れるのかわからない。
私が思っていること、やっていることは正しいことなのだろうか。

会社から許可が降り、すぐに飛行機のチケットをとった。
急だったし、体調も悪い人がほっつき歩かないろだうと思い母には連絡せず家まで帰った。

インターホンを押す。
だれも出てこない。
電話を鳴らす。
だれも出ない。

もしかして内科に行ってるかと思い病院に電話をかけるも、今日は来ていないとのこと。

しばらく家の前で立ち尽くしていると、がちゃりとドアの開く音がし、ミイラのようになった母が玄関に立っていた。

次回、一緒に心療内科へ。

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