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いかにして自分がアダルトチルドレンだと気づいたか。幸せの正体とは。

彼との新生活を決断する一方で、会社の研修も順調に進んでいた。そこで後に私に大きな決断をさせる学びとなったのが【TA 人生脚本】という研修であった。

TAとは Transactional Analysis(トランザクショナル アナリシス)、日本語に訳すと「交流分析」という意味になる。
ジークムント・フロイトの考え方を基礎として精神科医エリック・バーンが提唱した人格理論である。
交流分析とは、目の前の相手とどう接すれば良いか、自分はどんな問題を抱えていて、どういうふうに交流し、生きていけばいいのかという深いテーマを掲げている。

人生脚本というのは、自分がどのように生きていくか幼少期の頃から既に決まっているというものである。

人間は0歳で生まれた時、既に「生きるということ」を決断する。
3~4歳で「どうあるべきか」、生きるテーマの基本を見つける。
6~7歳で「人生のテーマ」、どう生きていくか脚本が完成してくる。
12~13歳で「リハーサル」、生き方のリハをする。
20歳以降はこの繰り返し、というのが人生脚本である。

つまり我々はもうどうやって生きていくのか、幼少期に人生の設計図を描いているのである。
たとえば堀江貴文(ホリエモン)さん、与沢翼さんのように、逮捕されようがいくら金を溶かそうが成功する人はなにをやってもまた成功するように人生脚本をつくっているのである。

生きていてどこか辛い、うまくいかない、失敗や恥が多い人は、自我状態の分析をし(ここで交流分析を使う)、人生脚本を描き直すことができるというものである。
人生脚本の描き直しは実にさまざまなところで応用されている。

そしてつまるところ幸せとは、
①他者から認められること
②自分が他者を認めること
③自分で自分を認めること
なのである。
なんとも難しい条件ではないだろうか。特に「自分で自分を認めること」は、生きづらさを感じているすべての人の課題のように感じる。
このどれかが欠落していると、たとえお金があろうが仲間がいようが仕事ができようが、幸福感を感じられることはない。

たとえば「美味しいものを食べると幸せ」「寝ていると幸せ」という人がいるが、果たしてそれが本当の幸福なのだろうか。
どんなに美味しいものを食べても、食べ終えたらまた食べたくなる、食べるということは生き物として生きていく上で必要不可欠であり、過剰に腹が満たされた状態を幸せと呼ぶにはあまりにもお粗末ではないだろうか。
寝ていると幸せというのは、活動していない状態が幸せだという矛盾した考えである。

幸福感の少ない人、うまくいかないと感じている人は、人生脚本のどこかで「自分は幸せになってはならない」と組み込んでしまっているのかもしれない。

しかし人生脚本の書き換えはそう単純なものではない。
自己と向き合い問題点を洗いざらいにすることは、時に己の内臓をひっくりかえして身体の内側から出すようなことと似ている。
これまで自分を構成していたものと向き合い、構築し直していく。

漠然とした生きづらさや息苦しさを抱える人は、こうして脚本を描き直すことで幸せに近づけるのである。
またこれは部下の育成にもかなり応用が効くので、マネジメント業務がある方は知識として必須だと個人的には思っている。

ということで詳細が気になる方は、田舞 徳太郎著「幸せの心理学」という本をおすすめする。
上下巻あるが、上巻だけでもかなり勉強になる。

”他人との関わり合いに反応し、それが他人に影響していく。その交流によって幸福になったり、不幸を感じたりするわけです。つまり、幸福や不幸は人間関係によってもたらされる、と言えるわけです”
「幸福の心理学」97頁より。

会社の研修ではヒューマンスキル、つまり人間力の向上についてかなり力を入れていた。これが後々私の行動に大きな影響を与えることとなる。

バナエイエビのようにぷりぷりしていた母だが、私が言い出したら聞かない性格だとわかっており、見た目こそ派手なものの気さくに話をする彼のことも悪い人ではないと思ったことから、なんとか同棲の許可を得て2人で住めるような物件を探してもらった。

6月下旬、ついに配属先が発表となり、母は慣れない土地でいろんな不動産屋をまわり、2Kのよさそうな物件を見つけてきた。
その頃の私たちは現場研修に追われ、朝7時には家を出て22時まで仕事。帰ってくるのは23時過ぎという生活を送っており、けっきょく物件を見に行くことができないままだったが、母が見繕ってきた部屋なので間違いないだろうと思い、そこに決めた。

しかしなんとなく、時間に迫られてこんなに性急にこの人と同棲してもいいのだろうかと、胸がざわつきを覚えた。

これまで本社でのんびり座学研修を受けていた私たちは、現場研修の過酷さにすでに慄いていた。

2人で生活をしていく、ということがうまくこなせるのだろうか…。

大きなバケツの中にひと匙だけ混ぜられた不安、胸のざわつきをその時、母にも彼にも伝えられなかった。

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