#2 映画『福島は語る』を観て
東日本大震災から8年。
あの日のこと、
あの日からしばらくのこと。
私自身の記憶はあっても、
他の人たちの8年間を
こんなにもリアルに感じた時間は
初めてだった。
170分間。
14人の方が
震災後の自分自身を
語ってくれるドキュメンタリー。
他人の私が聴いていいのかな、という
その方の深い真実が描きだされていた。
切々と、でもあくまで静かに話している
その想いの強さ。その悔しさ。無念さ。
映画を観たのが6月23日。
観てほしい映画だと強く感じたけれど、
どう言葉にしていいか分からず
今日になった。
子どもを守りたいという想いの方向性が
旦那さんと折り合わず、涙を流す女性。
「この子を守れるのは私しかいない」
でも、家族いっしょにいたい。
それが叶わない無念さ。
原発の近くの小学校から、
移ってきたことを言えない子どもたち。
その気持ちを汲みとって、
言ってみようよ、という先生。
その先生も、3月11日だけは
どうしても教室にいられないと言った。
故郷を愛する気持ちと、
そこでは生きていけない現実。
次に進みたいけれど、
進むことさえできない人もいる。
ただ、
人間は弱くあり、強くもあるんだなあ。
生きることは尊いのだなあ、と思った。
そして、
実際を観て聴いて、
ちゃんと考えなければ
より良くすることは
できないと感じた。
もっと知ろう、考えよう、
行動しよう、と。
いまだに、圧倒されている。
正直、まだこの映画で
観聴きしたことを
受け止めきれていない。
今まで、ニュースや新聞で
見聞きしてきた内容ではあるが、
それらとはまったく違う
残り方をしているのだ。
仕事からの帰り道、
ふと彼らの言葉が
聴こえてくるのだ。
14人の方からは、
「こんなこと誰にも
言ったことねえんだけど」
という言葉が、たくさん出てくる。
本当に、そうだろうなと思った。
言葉にすることさえ、
自分で抑えてきたこと。
それは誰かを守るためだったり、
自分で自分を支え抜くためだったり、
様々な理由があって、
言わなかったことたち。
そんな
とてもとても大事なことを、
その人、が、私に、
喋ってくれていると感じたのだ。
この予告編を観ると、
それぞれの方の物語を想う。
私は私の場所で、
日々懸命に生きることを
想いなおす。
8年前、
私の周りではたくさんの人が
被災地と呼ばれる地域に行って、
実際に体を動かして支援していた。
私は、動かなかった。
できなかったのか、しなかったのか。
そんな負い目がある。
情報をくれる人、
動き方を教えてくれた人、
いっしょに動く機会をくれた人。
それらから、目をそらした。
だから、この映画を観ることも
初めは怖かった。
結局、自分の過去にばかり
目を向けてしまうのではないか。
でも、観て良かった。
170分間。
私に向かって喋ってくれる人たちを
知ろうとすることで精一杯で。
震災や原発事故が
忘れられ去られようとしている
と言われているが、
私は”何も知らない”ということを
今気づいて良かった。
『福島は語る』を観た人と
話をしてみたいと思っている。
全国各地で、少しずつですが
上映されているので、
興味があれば、ぜひ観てほしい映画です。
photo by 写ルンです│
2種類の桜が、重なっている。どちらが良いとか、どちらが美しいという訳ではなくて、ただ重なっている。