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ハートの奥に鎮座していた
この12日の新月前後、なぜだかとても自分自身がセンシティブになっていました。前回の投稿『自分を辿る』の続編のようなnoteになります。
ほんとの自分自身と対話するって、なかなかエネルギーのいることです。
自分でもこんなセンシティブになっている自分自身にビックリ。辿れば辿るほど、でてくるものです〜・・・。まさかのハートの奥々に鎮座していた、癒されていない自分自身を発見。よく世に言われる『インナーチ
自分を辿っていくと、、
さて、noteという場所で、心機一転です。
昨年から2021年にかけて、みなさんのほとんどが劇的な変化の時期を過ごされているのではないでしょうか?
仕事が変わったり、住む場所がかわったり、、、気持ちの大きな変化であったり。
私自身は311以降の数年間がもっとも大波時代でしたので、その時の中で否応無く自分自身を徹底的に見つめる作業がありました。
元々、自分という存在がなぜこの世界の中に在るのか?
all rivers flow to the sea
明日は節分。明後日、立春、明々後日は旧暦の新年。新月。
私たちは生命のひとしずく。雨になって川をつたって流れ、やがて大いなる母、海に流れて1つになる。そしてまた、太陽に照らされて、水蒸気になって雲になる。繰り返す。
世界は自分の小さな脳みそで思考するより、いろんな事が繋がり合っていて、懐の深いところで循環している、、、
旧暦新年を前に。本年もどうぞよろしくお願いします。
2月10日(日
自然に同調するということ
自宅から歩いてわりとすぐに平和大通りという大きな道路が通っています。この大通りの脇には沢山の木が植えてあり緑と緑にサンドイッチされた通りなのですが、今日この通りを車で通りながら、この両脇の木々があるのとないのとでは随分心持ちが違うんだろうな。。。とぼーっと感じました。また、近くには私が通っていた小学校があり、その小学校にも「森」と呼ばれる大きな木々が校庭をぐるっと取り囲んでいます。その小学校の
満月のFREEKIRTAN
先月28日 満月の晩にMANOSでキールタンを久しぶりに開きました。今回の西日本を襲った豪雨で大変な状況に迫られた人たち。被災した人を取り巻く様々な場面を目にする度、そして、それ以外にも時々感じる地球のこの先について。何とも言えない気持ちで悶々としながら、ある朝、暗い気分でなかなか弾こうとしていなかったギターを久しぶりに手にとりました。ポロンポロンと爪弾きながら、なんとなく鼻歌まじりにmantra もっとみる