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数値で測れない健康

一昨日のトレーニング中に太腿の肉離れを起こしてしまい、昨日今日と久しぶりにトレーニングをしない朝を過ごしている。

昔はトレーニングをしない自分に「焦り」を感じてしまい、精神は不衛生だったなあと感じる。しかし最近はトレーニングを休めてラッキーだなあと感じるようになってきた。不思議なものだ。

僕は身体が極限まで疲れたら必ずサウナへ行き、ちょっとした健康診断をする。

それは何かと言うと、「潜水」だ。

いわゆる「ととのう」ためには、
サウナ→水風呂→外気浴
が良しとされている。

しかし僕は性格上、すぐ既存のフォーマットを壊したがるので、ある時から水風呂の最中に潜水を取り入れるようになった。
つまり、
サウナ→水風呂→潜水→外気浴
を3ラウンドくらいするのだ。

地元流山にある龍泉寺の湯は、水風呂の深さが157cmあり、しっかり汗を流せば潜水がOKなのだ。ここに目を付けた僕は、「一人健康診断」と題し、2年程前からひたすら潜水を続けている。

初めは「時間」を計測する事でその日の体調を測ることにしていた。そして日々続けていくと、始めは45秒くらいで苦しくなっていたのが最長で2分くらいまで潜れるようになった。

しかしある時、「時間の長さ」により健康を測る違和感というか、不健全さというか、不自然さというか。とにかく何か得体の知れない気持ち悪さを感じるようになった。

そうこうしているうちに、「はっ」と気付いた。「僕は全く身体の声を聴いていなかったじゃないか!」

それから、僕は潜水をしながら「心臓の音」を聴くことにした。サウナで適度に上がった心拍数に感覚を傾けるのだ。

「ドクンドクンドクン」
「ドックン、ドックン、、ドックン、、、」

不思議なもので、潜水をしていると、始めは心拍数がだいたい1秒間に2回(120回/分)くらいなのだが、徐々に1秒間に1回(60回/分)くらいに落ち着いてくる。この「変化の知覚」が、極上の気持ち良さなのである。

潜水をすることで僕が気付いたのは、「心臓の音」は「心の声」でもあるということだ。「心臓の音」がはっきり聴こえる時は、集中力が充実している時だ。「心臓の音」がどこか遠くへ行ってしまったように感じる時は、なんとなく集中力が乱れている時だ。

これが、僕なりの「一人健康診断」の全貌である。

世の中は、様々な事を「数値」で管理しがち。

僕は、数値だけに軸脚を置いていると、得体の知れない気持ち悪さに襲われる時がある。そして何かエラーや間違いが起きる時はだいたいそういう時だ。

論理の沼にハマる前に感覚の軸脚へシフトする。感覚の沼にハマる前に論理の軸脚へシフトする。
そんな風に、「心の声」を聴きながら「血が通った生き方」で数値と付き合っていくのが良い気がしている。

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