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Episode 097 「オーストラリアにて出逢った、山形出身のタカヒロ」


に続き、ハイスクール時代に出逢った日本人の友達でタカヒロという男がいる。彼と出会ったのは、おそらく11年生(高校二年生)の頃だったと記憶する。

具体的に、どの様な経緯で友達になったのかは憶えていないのが、彼も留学生としてアデレードハイスクールに入学してきたのだった。多くの場合そうである様に、気付いたら、仲良くなっており、よく遊んでいた。

仲良くなるに当たり、特に具体的な理由などは或いは不要なのかもしれない。大袈裟に言うならば、きっとそう言う事なんだろう。

彼はなんといっても非常に頭が良く、数学などを得意としていた。それと同時にスポーツも得意で、柔道の黒帯の保持者でもあった。そして、彼からはギターについて様々な事(例えば、弾き方、など)教えてもらった。

ギターの諸々も、彼から多くを学んだ

尚、生涯初めてギターを始めるきっかけとなったのは、田中まさみち君(君付けで呼んではいたものの彼は自分より4つか、5つくらい年齢が上だった)である。とある日、彼(まさみち君)の家に遊びに行った時にオモチャのようなアコギ(通常サイズよりもふた回りほど小さい)を譲り受けたのが始まりだった。

記憶は定かではないが、おそらく14歳頃(1998年)だと思われる。まさみち君も音楽が非常に好きで、いまでも「hideのPink Spider(曲名)は、めちゃくちゃかっこいい」という発言を憶えている。尚、彼とは家族ぐるみで知り合いだった、という経緯がある。(Rizeがカバーしたバージョンもかっこいい)

タカヒロと言えば、やはりGoing Steady(ゴーイングステディ)というバンドを教えてもらったことが非常に大きい。Going Steadyは山形出身のバンドであり、彼自身も山形出身であった。2001年に発売されたアルバム「さくらの唄」は名盤である。23年も前か・・・。

我々は週末によく遊んだ。また、タカヒロには、当時父親が営んでいたレストランの手伝いもたくさんしてもらった。アデレードの街の中心から東に位置する、Burnside及びGlen Osmond(グレンオズモンド)近辺にあったモーテル(ホテルを少しカジュアルにしたもの)の二階でレストランをやったことがあった。

街の中心から、さほど離れていなかったGlen Osmond

店の名前はSeafood Restaurant Suzukiだった。なんともひねり(または創造性)の無いネーミング。このお店では日本食ではなく通常の洋風のレストランで出てくる様な、ステーキだったり、サラダだったり、シュニッツェルであったり、スープなどの、いわゆる、西洋料理を提供していた。そこそこ流行っていた。

尚、このレストランをやっていた時期は私がハイスクールから大学に入学する頃(2000年代前半)までだったと思われる。このレストランでも広いホールを、全て掃除機を掛けたり、厨房の床を掃除したり、窓を一枚一枚拭いたりと、兎に角様々な掃除をさせられたのだ。そう、Episode083にて触れた内容の様に。

尚、掃除機を掛けながら聴いていた曲は、No Fun At Allというスウェーデン出身のバンドの「Celestial Q&A」(2000年)という曲だ。このバンドは1991年の結成から30数年が経過した今でも、パンクロックを鳴らし続けている。尚、このバンドの最も好きな曲の一つに「Catch Me Running around」(1997年)と言う曲がある。しかし、一曲選ぶのであれば「Master Celebrator」(1995年)となる。

また、皿洗いもする必要があり、この作業に関してはタカヒロと一緒に歌(例えば、SABOTENというバンドの「青空へ」(2002年発売)という曲だったり)を歌いながら行い、母親にうるさいからやめてくれと、後に忠告を受けた。

このレストランはモーテルの中に存在したレストランであった為、ルームサービスも行っていた。つまり、電話で注文を受け、その部屋まで私なり、姉なり妹が運んでいくのである。

尚、Seafood Restaurant Suzukiのメニューは、ここのモーテルの受付の人達の間でも人気であった。今でも憶えているのは、ギリシャ人またはイタリア人であった青年(確か名前をエリオットと言った。たぶん)と、もう一人、おそらく50代と思われる、(国籍は全くわからないが)おじさんがいた。

尚、このおじさんと一度世間話をしていた時、(僕が)通っているハイスクールを訊かれたことがあった。自分が通っているのはアデレードハイスクールだという旨を伝えると、どうやら彼の息子もアデレードハイスクールに通っており、また学年も同じだということだった。

最近転校してきたのだ、と言っていた。彼に、「〇〇(彼の息子の名前)を知っているかい?」と訊かれたのだが、全く聞いたことが無く、正直に「いや、知らない」と伝えた。

少し後になり、思ったことだったのだが、あの場面では(例え彼の息子の名前を)知らなくても、せめて(嘘でも)「名前は聞いたことありますよ」くらいは言うべきだったのではないか、と。

転校してたばかりで、父親としてさぞかし(息子が新しいハイスクールで周りにしっかりと打ち解けられているか、など)心配していたに違いない。ホワイトライ(誰かを心配させない為のつく嘘)が必要だったのだ、とそう思った時には既に遅かった。

エモさが、過ぎる。

タカヒロはギブソンのJ-50というギターに併せ、リッケンバッカーというブランドの黒いエレキギターも持っていた。このタイプ(リッケンバッカー)のギターはジョンレノン(あるいは、一回り小さいタイプ)や、ジョージ・ハリソン、併せてGoing Steadyのフロントマンであった峯田も使用しているタイプのギターだったと思われる。奥田民生も使っていた。

GibsonのJ-50
ジョージ・ハリソンとリッケンバッカー
奥田民生とリッケンバッカー。若い
峯田和伸とリッケンバッカー

尚、2021年の暮れ、何かのタイミングで彼をLINE(メッセージアプリ)でやり取りをしている時、ギターの話になった。どうやらタカヒロは最近全くと言って良いほどギターを弾いておらず、また、弾く事にも興味がない、と言っていた。そして彼は「リッケンバッカーだけど、あれ、譲るよ」と私に言った。

そこで私は、(現在アコギしかなく、エレキは所有していないので)「え!良いの、じゃあ幾らにしようか」と彼に訊いた。もちろん、お金を払うつもりでいたのだが、彼の答えは「いや、良いよタダで」との事だった。

何度も確認したのだが、お金はいらない、とのことだったので、僕は彼に、「わかった、じゃあ、もらう、ではなくて返してと言われるまで借りる形にしよう」と伝えた。

お礼に、という程大したものではないが、(米焼酎と(彼の母親が)ワインが好き、とのことだったので)鳥飼(とりかい)という米の焼酎と、複数の種類の赤ワインのセット、を彼の住む山形に(あくまでも気持ち、として)送ったのだった。

タカヒロから借りているリッケンバッカーのエレキ

彼は物静かな男であったが、自分の信念が強く、また頑固な男だった。そして、不器用でもあった。しかしながら同時に純粋であり、音楽をこよなく愛していた。

我々は常に音楽の話をしていた。控えめに言っても、飽きずに、ずーーーーーーーっと。Going Steadyについて、銀杏BOYZ(Going Steady解散後、脱退したギタリストに変わり新たなメンバーを迎え結成されたバンド)について、Hi-STANDARDについて、ビートルズについて、Ken Yokoyama(横山健)について、など。またはギブソンのギターについて、マーチンのギターについて。

彼はアデレードハイスクールを卒業後、オーストラリアの首都であるキャンベラの大学にて金融工学(確か、そうだったと記憶する)を専攻したとのことだ。

その後日本に戻り、早稲田大学にて助教授(または、講師。詳細は知らない)として金融工学を教えていたという頭脳の持ち主であった。

彼曰く、早稲田大学における周りの人(知り合い)は、いわゆる有名企業に就職をしていったとのことだが、彼自身はどうしても納得がいかなかった、とのことだ。

つまり、証券会社や損保の会社などに入社し、明らかにお客さんは儲からないような金融商品などを売らなければならない状態などに対して疑問しか抱かない、との事だそうだ。金融工学という分野を勉強した人間だからこそ、見えることがあったのであろう。

あれは2015年のことだった。NOFXというバンドのレーベル、ファットレコーズ(Fat Wreck Chords)の25周年記念のワールドツアー(尚、のちにこのレーベルの設立者であるFat Mike(NOFXのボーカルでありベーシスト)のインタビューを見て知ったのだが、どうやら「25周年記念」と謳って世界をツアーしていたのだが、詳しくは24周年の年であったらしいのだが、誰も気づかないのでそのまま決行した、とのことであった。

尚、このライブではハイスクール時代に初めて出会ったパンクロックという(音楽の)ジャンル属する様々なバンドの音楽を生で体感でき、圧倒的なまでの感動を覚えた)にHi-STANDARDが出演するとの事で幕張メッセに一緒に行った帰り、有楽町で中華を食べた。尚、NOFXが終わった後には、No Use For A Nameという、ファットレコーズに所属していたバンドのボーカルであるTony Slyへのトリビュート(残念なことに亡くなってしまった)として様々なバンドがUse For A Nameの曲を演奏したた。全ての演奏はあまりにも激しく、あまりにも迫力があったのだが、中でも、Strung OutのJasonをボーカルに迎えHi-STANDARDが演奏した「Soulmate」(以下動画の6:28〜)およびNOFXのFat Mikeをボーカルに迎え、同じく演奏をHi-STANDARDが行った曲「Justified Black Eye」(以下動画の10:14〜)は特に熱かった。

Snuffからの流れでGood Riddance、Strung Out、Lagwagon、NOFX、そしてHi-STANDARDと、正にテンションが尋常ではないくらい上がりっぱなしであった。月と太陽が同時に輝いている、とでも表現しようか、それはあまりにも驚くべき光景だった。

ビールを飲みながら、タカヒロはいかに(この世の中の)様々な事(金融証券の件など)が馬鹿げているかを力説した。その時、改めて確信した。こういった人間なら、本当に信用できる、と。彼は、初めて会った(おそらく)2001年頃から、本当に何も変わらず、真っ直ぐでピュアな男だった。唯一変わったのは髪の毛の生え際が後退している事くらいである。これは、自然の摂理というか「経年変化」とでも言いましょうか。

僕とタカヒロ
アコギが超絶にうまいタカヒロ
エレキも超絶うまい
アコギが超絶にうまいタカヒロ(その2)

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