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Episode 091 「ビジネスごっこ(上)」

Episode089にて触れた塾にて(私が)教えていた生徒はPamの他にも、ハイスクールの学生であったクレア、大学生のマギー、社会人の(腕にタトゥーがガンガン入っていながらも、週末は欠かさず母親と教会に通う、相当人柄の良い)ポール、同じく社会人(そして車が大好きな)のマットなど様々な生徒がいた。

この塾で教え始めてから、具体的にどれくらいの年月が経ったタイミングだったかは明確には記憶しないが、とある日にふと思ったことがあった。この塾(ランゲージセンター)に通っている生徒は一時間に50ドル(当時2000年代半ばのレートでおそらく、約4000円)を塾に対し払っており、その半分を私は受け取っていた。

だとすれば、この(家庭教師という)フォーマット(方法・方式)を自分(個人)で行えば、生徒も(現状支払っている額より更に)安い金額で学べ、また私自身も時給のレート(単価)が上がる、と考えた。まぁ、普通に冷静に考えれば誰でもそこに行き着く、ごく当たり前が過ぎる話ではある。しかしながら、若さとは悍ましいもので、当時私は、或いはEureka Moment(そう、日本語でいうところの「アハ体験」的なそれで、何かとてつもなく本質的なことを発見した時などを指す言葉)にでも遭遇したかの様な気持ちになった。まぁ、つまり「ビジネスごっこ」というそれだ。

Eureka Momentに遭遇したという錯覚に陥った当時の私を表現するならば、例えばこんな具合だ。

とは言いつつも、生徒達をこの塾から引っ張ってくる(つまり、横取り、または引き抜き)のは、やはり、筋が通っていない。

そこで私は自分で広告を(マイクロソフトのソフトウェアを用いて)作成し、インターネット上で募集を試みた。そう、一から始めて、新しい生徒が集まるかを試してみたのだ。

ネットでの募集に併せて、相当なアナログ式だが、(募集の)紙をプリンター出力し、大学の掲示板や道の電柱や電話ボックスやバス停にまで(その募集の)紙を貼って(もちろん、正しくは、この様な公共の場に個人的な都合で紙を貼り付けたりしてはならないが、まぁ時効という事でここはひとつ・・・)生徒が集まるか、と試してみた。

尚、さすがに、日中からその様な事(バス停や電話ボックスや電柱に紙を貼る行為)をする事はハードルが高すぎたので、代わりに夜が更けてから車を走らせ、バス停ごとに車を停め、降りては紙を貼り、車に乗り込み、また少し進んでは(車から)降りて紙を貼る、という事を繰り返していた。まるで、犬がマーキングをするみたいに。

この広告に関しては、A4サイズの紙で作ったのだった。広告の紙(A4)の下の部分には、私の連絡先が羅列してあり、その部分を1ピースずつ手でちぎって持って行ってもらえるよう、出力した広告の紙の下の部分に、一枚一枚全てハサミで切り込みを入れていた。

そうそう、イメージとしては、ちょうどこんな感じ。確かタイトルは「Wanna learn Japanese?」(「日本語、習いたい?」)だった。それだけは憶えている。

例えば、今(2024年)であれば、外出中に見かけた情報で保存しておきたい内容があるとすれば、当たり前だが携帯しているスマホのカメラを用いて写真を撮る、という行為が可能だが、当時(2000年代初期〜半ば)のオーストラリアで使われていたケータイ電話は日本のそれとは異なり、NOKIAなどのケータイ電話を多くの人が使っていた為、カメラが搭載されているケータイ電話などは夢のまた夢であった。

NOKIA(フィンランド)が生んだ、伝説の携帯電話「3310」。その昔、世界の携帯市場をNOKIAが圧巻していた、そんな時代も存在したのだった。

尚、この話を聞いて、「そんな張り紙を見て連絡してくる人なんているの?」と思われるかもしれないが、当時の私は本気で「連絡は来るに違いない」と思い、何の疑いもなくせっせと夜な夜な車を走らせては一枚一枚広告の紙を貼っていったのだ。

尚、この作業をしていた頃の事を思い出すと、何故かJimmy Eat WorldのSweetness(1999年発売)という曲が頭の中で流れる。この曲に対しては、夜一人で運転している時に聴いていたイメージがある。

夜の運転中の曲のイメージがあるのは、他にはWeezerのPerfect Situationという曲である。

ちなみに、そんな中、雲ひとつない青い空が広がるビーチ沿いの道を昼間に運転する時はSublimeというバンドのWhat I GotやSanteria、またはBlink 182のRock show、はたまたSum 41というバンドのIn Too Deep、No Use For A NameのWhy Doesn’t Anybody Like Me?などを聴いていた。

雨の日の運転では、奥田民生のコーヒーという曲(歌詞が雨の日について触れているから)を聴いてみたり。

実際にこの張り紙を見て連絡しました、という人達は(自分が想像する人数を超越して)存在した。連絡をもらった人達の中に、とあるモノづくりをする工場のオーナーである50歳過ぎくらいのオーストラリア人男性から連絡があった。

どうやら、彼の工場に日本の会社からエンジニアが来ている、との事だった。この日本人のエンジニアの方々が彼の工場で働くオーストラリア人達に諸々説明(日本の(エンジニア関連)の技術などを)を行うのでその際の通訳をお願いしたい、との依頼だった。

その日は朝早くに彼の家まで車で行き、私の車を彼の家に駐車し(彼の車で)二人で工場へと向かった。尚、その工場へ向かう車中、様々な話(例えば、(私が)大学で何を専攻しているのか、などの質問)をした。

その会話の中で、彼は、いかに(私の将来(つまり、将来なりたい姿、など)に対して)Faith(信念)を持つ事が重要か、という話をしてくれた(とはいえ、その言葉が特別何か私の心を動かした、などという大げさな事ではないのだが、“have a faith in your life”と言われたのを鮮明に憶えている。きっとキリスト教の、数多くある教えの一つではないかと察している)。

(工場に到着するや否や)工場内にある会議室で、現地の従業員と日本からやってきたエンジニアの方々、総勢10名くらいだったであろうか、で打ち合わせが行われた。

その(打ち合わせの)内容は、日本のエンジニアの人達がとある機械の使い方を、現地の人(つまりこのおじさんが保持する工場での従業員の方々)に教える、という様な内容だったと記憶する。また、現地の従業員から、日本人のエンジニアの方々に対し質問をする、という様な内容でもあった。

無事通訳の仕事を終えた後、(彼の家で)ランチに誘われたのでお言葉に甘えてご馳走になることになった。彼の奥さんがランチを作ってくれた。尚、彼の家は恐ろしく綺麗で、また広々としていた。室内に銅像があったりと、そのゴージャスな雰囲気に驚きを隠せなかったのを憶えている。緊張の中、ランチを食べたのだった。

ランチが終わると、そのおじさんは「娘の写真を見せてやる」と、一枚の写真を持ってきた。彼は、その写真を私に見せながら「先日、旅行で中国に行ったのだが、娘がさ、ホテルで“Cate Blanchett(ケイト・ブラシェット=オーストラリア出身の、世界的に有名なハリウッドスター)”ですか?!って間違われちゃってさぁ、よく言われるんだよ、はははは」と笑っていた。

Cate Blanchett

「参っちゃうよ~」という雰囲気を出す為に、意図的に「はははは」という(些か人工的な)笑い声を出しながら彼から手渡された写真に写る女性(つまり彼の娘)を見て愕然とした。どの角度からどう考えても、彼の娘がケイト・ブラシェットに似ている要素など存在しなかった。控えめに言っても、全く似ていなかった。

「やれやれ・・・」と思ったが、どの様な反応をするのが正解だったのかがわからなかった為、まぎれもない社交辞令的な、乾いた笑いをして、手に持っていた写真をそっと彼に返した。

この様に、(公共の場に私が張り付けた)手作り広告をみて連絡をしてきてくれた人等は実際に存在したものの、やはり、最も効果が大きかったのは言わずもがなではあるが、ネット上での呼び掛けだった。

つまりネット上で、「日本語に興味がある人は連絡下さい」と、様々な掲示板的なサイトに書き込みをして置いたのである。最初はこじんまりと始まったのだが、日本に帰国する事を決めた時(すなわち、家庭教師を辞めなければならなかった2010年のタイミング)には週に500ドル(当時のレートで約45000円程度)になる程度の授業量となる生徒数がいたので、月額にして2000ドル(当時のレートで約18万円)くらいにはなった。バイトとしては、悪くはなかった。(特に、誰に何を言われる訳でもなく、自分勝手に好きな様にやりながら、という点を考慮すると、特に)

尚、数多くいた生徒の中で、第一号の生徒として教えていたのは、オーストラリア生まれのベトナム人のアレックスだった。彼とは年齢も近く、確か私の一つか二つ下だった。

薬剤師になる為に大学で勉強していた。彼はいわゆる、ギーク(Geek)だった。日本のアニメ及びマンガ好きの青年だった。日本語のレッスンを受けたい理由を訊いたところ、日本のマンガを英語ではなく日本語で読める様になりたい、と彼は目を輝かせてそう言っていた。

日本語のレッスンは、街の公共の図書館や、大学の図書館などで行った。南オーストラリア大学の街の中のキャンパスで行ったり、またはアデレード大学のキャンパス(こちらも同じく街の中に在った)で行ったりした。

彼は日本に一時期(おそらく2015年、2016年あたりだったと思われる)住んでいたのだがタイミングが合わず日本では会う機会がなかった。アデレードに戻ってからも、たまにメールでのやり取りはある。

アレックスの他にも、レイチェルという生徒は(私がこの個人の日本語を教えるというバイトを始めて間もないたタイミング)早い段階で連絡をくれた一人だった。

レイチェルのお父さんは大学の教授であった。大概、レッスンは彼女の家で行った。夕方頃に教えに行く事が多く殆どの場合、お父さんも家にいた。とある日、レッスンが終わり、その日のレッスン代(授業代)をレイチェルから受け取ったのだが、いつもより(授業の)金額が多かった。

お釣りが欲しいのかと思い、お釣りを渡したところ、「良いの、これからはこの金額にして」と言われた。どうやら、レイチェルのお父さんが、(レイチェルが私に払っている時給)金額を聞いて、「それは、安すぎる」とレイチェルに伝えたらしい。

最初は、(授業費が増えたことに関して)断ったのだが、どうやらレイチェルのお父さんがそれでは納得がいかない、との事だったので、ありがたくその金額をいただき、その後はずっとその金額だった。西洋文化の、「教育にはお金を惜しまない」という精神を垣間見た様な気がした。

この様に、様々な人に出逢い、みなそれぞれ日本語を学びたい理由が異なり興味深いものがあった。単純に日本が好きで日本の文化に興味があるから日本語を習いたいという人もいたり、自分は日本人のハーフだが日本に住む機会がなく、また日本語を学ぶ機会がなかった為、大人になった今日本語を学びたいと言って連絡をくれた人もいた。

彼はスイス人と日本人のハーフ。名前をYamatoと言った。彼とも、今も連絡はたまに取っている。現在、奥さんとお子さんとメルボルン(オーストラリア)に住んでいる。

Episode 091 「ビジネスごっこ(下)」に続く

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