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Possibility of Literature as world's companion〉(5)


★《アジア的ということ》を巡る断章

           

1.〈ヘーゲルの世界史の段階の概念について〉


 いまでは、西洋哲学の集大成と呼ぶのが適切かどうかわからないが、かってはそう言われていた。わたしは、岩波文庫版、上、中 下 三分冊、武市健人 訳で読んでいる。後に長谷川宏 訳も出たが、武市訳が特にわかりにくいとは思わなかった。

 19世紀的という括弧に入られた「世界史」という概念は、ここに集大成されている。ヘーゲルは、世界史を世界的な場所に向かおうとする精神=理念の発展史として、この書物を書いている。地理的自然からはじめて歴史的な叙述に向かう。世界史の発展には段階があり、それらは、歴史以前的(アフリカに代表される)、アジア的、ギリシャ・ローマ的、ゲルマン的という 4段階である。歴史以前は、精神が歴史以前の温かい闇の中で眠っている状態で人間の生涯の段階では胎児・乳児期、アジア的な時代は、まさに陽が昇らんとする精神の黎明期であるが、そこはまだ精神にとっては停滞と循環の場所で人間の生涯の段階では幼年期~少年期、ギリシャ・ローマ的とは古典古代とも呼ばれ、人間の生涯の段階では、精神が起き出し、活発に動き出す青年期、いまの流行語では、あおはる期?ゲルマン的とは精神の成熟期であり、人間の生涯の段階では大人になった精神の完成期のことである。

 だがわたしたちの現在がもはやこの歴史観、世界史という概念を超えていったように思えるのは、わたし一人ではないだろう。世界史なんてものは、とりあえず( )入れをし、ヘーゲルが歴史以前とした温かい闇の中を掘り起こす作業が、各分野で必然的な一里塚になるように思われる。歴史以前に遡れば遡るほど、わたしたちの未来に接近できるような、そんな仮想作業空間を作らなければならないだろう。

 わたしたちはどこからきてどこへゆくのか?いやもっとわたしたちは、クールにならなければならないだろう。イエメンやシリアの内戦や香港の民主化勢力への弾圧、COVID19によるこれからの世界的混乱、わたしたちの課題は山積みである。


2.『アジア的ということ』に関するノート

             (その1)


 マルクスのイギリスの植民地インドに関する言説をめぐり、吉本隆明が表題の貴重な論考を当時主宰していた「試行」という雑誌で連載していたのは、1980年代のことである。当時のわたしは、ヘーゲル→マルクスの「世界史」という思想的な枠組みをこれからの世界の現在を分析するにあたり、何をどのようにそこから捨て、他の何をどのように補い、表現の課題としたらいいかという、ある種果てしない、分不相応な課題を目の前にして、途方に暮れていた。 あれからもう30年以上の年月が流れ、ようやくその答えが得られそうな実感がやってきている。わたしは、その間、仕事として日本各地の遺跡調査に関わりながら、歴史ということ、世界史ということ、世界のなかの極東のこの地域のことについて、時にぼんやりと、時にその報告の原稿に追われながら、途切れることなく前記の自身の課題をみつめてきたつもりである。

 もし赦されるならここで表題の件について少し書かせてもらおうと思ったのは、いくつかの野心的な?マルクスに関する論考に出会ったことも、そのきっかけの一つではあるが、「世界」という概念について、いや『わたしたちが何処から来て何処へ行くのか』という当初のわたしの問いに対する現在の私自身への回答が得られるかもしれない、という予感が、わたしの胸のうちにようやく?招来されたからである。



 3.『アジア的ということ』に関するノート

                                                  (その2)


 イギリスのインド植民地化政策についてのマルクスの観点は、端的に言えば次の2点である。ひとつは、イギリスのインド支配による、インド社会の慣習や伝統の廃棄である。この事はインドの民衆の相互を繋ぐ靭帯を絶ちきり、それまでの社会的なコミューンを分断した。もうひとつは、にもかかわらず、であるが、西欧の合理的なまた科学的な思想やその思想を背景にもつテクノロジーにより、それまでのインド社会に革新的な利便性をもたらし、文化的には、それまでの差別的な因習や土俗的な、また宗教的な迷蒙から人々を覚醒させたこと、である。マルクスのこの二つの指摘は、第二次世界大戦後のアメリカの占領政策とその後の日本社会の欧米化に明瞭にみてとれる。アジア的ということ に関するノートをとるとすれば、主にこの日本社会の善悪と好嫌を越えた変質への注視をその内容の背景に置いたものである。また日本のような極東地域を含む、アジア的な社会の専制君主が、社会的に貢献したことがあるとすれば、当時の社会を支える、その中心的な産業である農耕にとって、最も重要な灌漑治水政策を自ら指揮をとり担当したことであるが、日本社会の神話などにみられる灌漑治水工事のイメージは、中国、インド、カンボジアや南米諸国の河川改修工事や水路建設、人工的な巨大なプール化などに比べると、非常に地味で零細な規模の溜め池や井戸の掘削などに過ぎない。この事は、アジア的な社会政策の中の具体的な差異に注目した非常に興味深い観点と言える。


 ★★アジア的ということに関するノート補遺1

        2021.12.19


★アジアの中のリーダーの役割についての断章


 おそらく先進地域の模範になれるのは日本、準先進地域の模範になれるのは、これから先進社会の仲間入りをする中国です。日本や中国の社会には歴史的に相互扶助の考え方があります。アジア的な社会の長所を残して、個人の自由の概念を社会化されたものとして具体的に作り直して、いかなければならないでしょう。それと経済政策です。これは専門家が、理論化していかなければならないです。いくら修正されてもマルクス主義はもう出る幕がないでしょう。経済生活にブレーキや変な倫理観を押し付けるものは、われわれにとって悪でしかない。

政治イデオロギーにならない脱色された民衆の社会の理念を作っていかなければならない。

既成の政党はすべて無効ですし、役立たずです。

ですが、まず理念型を作っていく必要があります。

マルクスがこの時代に生きていたら、どう考えたかいう発想が必要だと思います。消費概念を中核に据えて、経済生活のイメージを作っていく必要があります。


★★★『アジア的ということ』に関するノート

            の独り言 続

     🌟わが国の水利灌漑


 インドや中国などの大規模河川改修や古代都市に水路を張り巡らせる水利灌漑施設の土木工事は、中央集権的な強大な権力が労働力としての多数の民衆を動員しておこなわなければならない大規模な工事だ。わたしの知人が調査したカンボジアの古代都市アンコールワットなども、数キロ四方の灌漑用プールを構築している、と聞いたことがある。ところで日本のような極東の島輿は、どうなのか?近世になっておこなわれた河川改修はあるが、古代にはそういう遺跡は確認されていない。その代わり、わが王権は、ため池や井戸をさかんに掘っているのだ。風土記や古事記には、天皇の行跡がきさいされている。たとえば常陸風土記には、ヤマトタケルのみことがやってきた時に手を洗ったから何々の井戸という、景行天皇に何々の井戸の飲み水を差し上げたなどの記述、古事記の中にも崇神天皇のところにヨサミの池を掘った、カリサカの池を掘った、などという神話的な記述があらわれる。

 これらは、正史にあらわれた日本の水利灌漑施設へのわが王権の関心を物語っていると、言ってよい。

 

★★★★〈アジア的ということ〉補遺sp


 ヘーゲルがヨーロッパと接する地域(エジプトなど)のアジアにだけ、原始的(後のアフリカ的)段階と古典古代的な段階の間に粗描した「アジア的な」段階について、イギリスの東インド会社のインド支配を目の当たりにしたマルクスが、危機感を持ち、設定した「アジア的」という概念は、歴史の中のある時間的な段階をその意味内容とします。ですからそれは直接に現在のアジアという名前がついた場所を指差すわけではないと言って差し支えないと思います。そしてこの世界認識システムを援用する限りにおいては、どの現在の世界の国家も自らの歴史のどこかで、長短や濃淡はあっても必ず、アフリカ的な、アジア的な、古典古代的な段階を通過して現在に在る、と言ってよいかと思われます。ヘーゲル、マルクス、ウィットフォーゲルを継承した吉本隆明が到達した水準の「アジア的ということ」に関わる重要な言説を概観すると、以下の特徴が挙げられていると思います。つまりこの概念が示す典型的なモデルは、ひとつにはアジア地域を指すわけではなく、もっと言えばアジア地域でなくてもよいある国家、それも一人の強大な権力をもつ専制的な君主がそれ以外の民衆を、強大な武力とその国家が制定した法によって従属させた国家、次にこの国家とすなわち国家を実質的に養う、奴隷的な民衆の生命を維持する産業が、主に稲作(麦作なども含む)などの水利灌漑施設を必要とする農耕であること、この二点が重要であるように思われます。そのような専制国家の下の農耕は、いわば「アジア的」な社会の特性である、重苦しい停滞感と泥のようなニヒリズムを醸成する、そこで暮らす人々の生命維持と切り離せない生活基盤だったのだと思われます。そしてこの停滞感やニヒリズムは、現実的にそういう専制君主がいなくなり、政治体制が変わっても、その後も社会のなかで暮らす人々の精神的な遺制として、時に長く残居することも、アジア的な時代を通過するために長い年月がかかった国家の特性としてあります。上記の典型的な「アジア的」な国家から逸脱するように思える1960年代までの日本のような零細的な漁業も営む小さい島輿も「アジア的」な国家に含まれます。

 以上のことを踏まえて具体的に現在の国家名を挙げるなら、一部を除く中国・インド、かっての日本・韓国・台湾、ネパール、チベット、バングラディッシュ、フィリピン、北朝鮮、インドネシア、ベトナム、タイ、ミャンマー、マレーシア、エジプト、西アジア諸国、ロシアの一部、多分どことは言えませんが、南米やオセアニアのいくつかの国などがそこに含まれると考えられます。


 ★★★★★『アジア的ということ』に関するノート総論

                の休憩時間

     または、その『敗北の構造』


 ☆アパシー君(以下☆アパシー)

 ★雑誌のおじさん(以下★お)


☆アパシー「あのさ、例の澤村さんから反論がきたみたいだよ、おじさんどうすんのさ」


★お「不味いね、ぼくは、口下手だから(笑)それにこの人を傷つけること言ったっけ?おじさんは澤村さんに敬意を持って話したはずだけど。」


☆アパシー「いい加減なことを言うなみたいな論調だったから、一応説明してみたら?」


★「しょうがないな、まあ吉本隆明の西洋コンプレックスの話については、また別の機会に。ここではその手のコンプレックスは、明治以来つい最近まで、日本の典型的な知識人が、それも優秀であればあるほど持たざるを得なかった悲劇とだけ言っておくよ。1960年代に入るまで農業が、基幹産業だったのは、別に普通の印象で以下の数字がそれを裏付けてるわけなんだよね。アパシー君、頼むよ。」

 

☆アパシー「はい、第一次産業、第二次産業、第三次産業の就業者の割合は、1950年(48.5 %.21.8.29.6%) 1960年(32.7%.29.1%.38.2%)で、確か1960年まで農業の就業者割合は、第一次産業全体の9割弱だったはずだよ。これをみる限り、農業が基幹産業の一つである、という認識は、まあ妥当な言い方なんじゃないのかな?でもおじさんの言いたいことは、別にこんな数字なんかでは表せないということなんでしょ。」


お「おっ、アパシー君、おじさんの考えがちゃんとわかってるー」


アパシー「神社信仰でも、本当に天皇制の本質と力を象徴しているのは、靖国や伊勢みたいな表舞台じゃなくて、日本全国あちこちのこんもりした場所に残る小さな無名の祠なんだ、って、よく散歩しながらおじさんが話してくれたじゃない。」


お「まあそういうことさ、わたしたちの捉え方だと天皇は、農耕社会の宗教的な主宰者だったという観点なので、農業人口が多い時代は、少くともその根拠を数字で表した方がわかりやすいと思っただけなんだよね、それから天皇が国民の精神的な主柱だったというのは、天皇制の本質をどうとらえるか、ということにかかってくるんだけど、もちろん政治的主宰者としての天皇は1945年に敗戦で表舞台から退いてはいるけどさ、思想的な、ある意味潜在的な牽引力というか吸引力は、農業人口が全体の半分のくらいになる1955年前後まで明らかに大きな力を持っていたんだ、1970年に『などてすめらぎはひととなりたまひし』という言葉を三島由紀夫がつぶやくようにわたしたちの心の奥におとして、市ヶ谷で落首したときに誰の目にも、政治的な意味ではなくてね、なんというかその奥にある思想的な天皇制の陰りが明白になったんじゃないかな?わたしたちの捉え方では天皇の存在意義は、もともと象徴が本質だから表舞台に立つかどうかはあまり重要じゃない、そういう意味では、『日本の一番長い日』前後に象徴としての天皇制を戦争放棄の宣言とともに、新憲法(現在の憲法)の前文に盛り込んだ、当時の政治思想的な指導勢力であった、日本政府とGHQマッカーサーのブレーンたちの慧眼には、やはり瞠目せざるを得ないだろうね。」


アパシー「最後に奴隷制社会の終末についての根拠はどうなの?」


お「これも数字で示せないわけでもないけど、これについては、長くなりそうなんで改めて各論でやるから、ちょっと待っててね。それから休憩は、これで終わり。各論までは、もう説明はしないから。」


アパシー「おじさん、そんな言い方しても、全然可愛くないんだよ(笑)澤村さんは、澤村さんの立場でその考えをしっかり示すだろうし、否定するつもりは毛頭ないんでしょ?」


お「その通り、カッコつけてるわけじゃないけど、本当のことを言うだけだから他意はないんだ、と改めてここで言っておくよ。

それにやり始めちゃった以上、わたしたちはもっと先にいかなくてはならないから・・・、じゃあアパシー君、次もよろしくね😃」


アパシー「アノね~😅😓😅」



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