自分のこころを大切にするために、母をキライになった日
母との関係を癒していこうとする試み、そしてプロセスを、このnoteに書いていこうと決意をしました。
母との関係と向き合うタイミングに来ていると思った理由は、少し前に母に対して直接的に「キライ」宣言をしてしまったからです。
そんな言葉を、言うつもりはありませんでした。
でも、言ってしまった。
そのすべてに、耐え続けてきました。でも、もう耐えられなかった。
なので、言ってしまったのです。
「前提条件をすり合わせようか。わたしはさ、お母さんのことがキライなの」と。
「わたしはこの20年間、何度もお母さんと向き合い続けてきた。お母さんは、いつもわたしに傷つけられてきた、わたしが最低な子どもだったって言うよね。確かに、わたしも反抗期の時期、お母さんをたくさん傷つけたと思う。そのことは、悪かったと思っている。
でもね。傷ついたのは、お母さんだけじゃないんだよ。
わたしも、たくさん、お母さんからの言葉たちに、傷ついてきたんだよ?
でも、何度それを伝えても『それはあなたの捉え方の問題』『あなたが勝手に捻じ曲げて解釈して、勝手に傷ついてるだけ』『いつもあなたはわたしを悪者にする』って。
わたしが傷ついているという気持ちを受け入れなかったし、そんなことを感じるわたしが間違っているって。そればっかりだったよね。その度に、わたしは自分の感情を完全に否定された気がして、何度もくり返し、傷ついてきたの。
もうね、わたしはあなたとのことで、傷つきたくないの。
だから、わたしはお母さんと理解しあうことを諦めてる。もう無理だろうなって。話したって、なにも伝わらないだろうなって。どれだけ気持ちを込めて、言葉を選んで、この思いを伝えようと努力したって、お母さんは『わたしは被害者、ねうが加害者』って思うでしょう?
これだけ傷ついてきて。それでも諦めきれなくて、諦めたくなくて。たった一人の家族だから。何度傷ついても、向き合い続けてきた。話し合う努力を重ね続けてきた。その度に、たくさん傷ついて。もう、わたしのこころは、ボロボロなの。
だから、わたしはもう、あなたのことをキライになるしか自分のこころを守る方法が見つからないところまできちゃったんだよ」
そう、伝えました。
母は、無言を貫きました。
春爛漫の日和の中。満開の桜が風にそよそよと揺れて、そのまわりをクマンバチがブンブンと飛んでいまいした。4月とは思えない、汗がにじむような暑い日でした。
わたしは、宙ぶらりんの状態に居心地のわるさを感じながらも、母の言葉を待ちました。きっとなにも期待する言葉は返ってこないだろうことはわかっていても。それでも、ほんのわずかな望みを、捨てることができなかったのです。
「もしかしたら、ここまで言えば、伝わるかもしれない」
そんなほのかな期待がなかったと言ったら、嘘になります。
長い沈黙の後、母はまったく関係のない、当たり障りのない話題を振ってきました。「あっという間に桜が咲いたわね」とか「娘ちゃんが花見に行きたがっていたのに、あなたは仕事で行けなかったわね。がっかりしてたわよ。埋め合わせをしてあげなさい」とか。
そんなような内容のことでした。
わたしは、「そうだね」とか「うん」とか、単調に返事をしました。
そして、また、沈黙。
しばらくして、母はわたしに「わたしはもう少しここにいるわ。あなたはどうするの?先に家に帰る?」と聞いてきました。
わたしは、母を置いて先に家に帰ることにしました。
そして、帰り道、家の近くの公園で、ひとり泣きました。
『親といるとなぜか苦しい』という本の「はじめに」の章に書かれていた「親を憎まないようになりたいだけ」という言葉に、わたしは思わず蛍光ペンで、強く、太く、線を引きました。
そうなのです。
わたしはただ、もう親のことをキライになりたくもないし、憎みたくもないのです。でも、自分のこころが血を流したり、どんどん冷たく、かたくなっていくのを見過ごすことも、もうしたくはありません。
どうすれば、親を憎んだり、キライになる以外の方法で、親といることで自分のこころが傷つくことから離れられるのでしょうか?
わたしは、それが知りたいのです。
どうやって、母と付き合っていけばいいのか。
「毒親」と断定して、縁を切る以外の方法は、なにかないのか。
それが、わたしがこうして母親との関係という、深いテーマに改めてちゃんと向き合おうと思った理由です。
これらの問いへの(納得できる)答えを、見つけることができるのかはわかりません。それでも、向き合わなければ、なにも変わりません。
母との過去を紐解き、振り返って理解し、目をそらしたくなる感情たちとも、ひとつずつちゃんと向き合う。そうすることでしか、見えないあたらしい世界が、あるのだと信じて。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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