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それぞれの「ちがい」を愛する

私と夫は、人との関わり方が全くちがう。

それ以外にも、異なる点を挙げればキリが無い。

例えば、休日の朝に早く起きるか起きないか。
決断が遅いか早いか、その時に何を基準に選択をするか。
何を基準に物を買うか。
どんな幼少期を過ごしたか。

同じ顔をして生きていても、ぱっと思いつく限りで両手以上に、価値観や進め方がちがう。

ちがうから感じること

ちがうというのは、もちろん、容易に不快になる要素だと思う。

自分が良いと思ったものを、相手は良くないと思うかもしれない。
右に進みたいのに、左に進みたいと言われることもある。
そんな相手を理解できなくて、「なぜ」と思うことは沢山ある。

そんな時は、なるべく話し合ってお互いの考え方との溝を埋める。
埋まらない溝は、どちらかの意見に寄せて埋める。

2人で決めることについては、大体がそんな話し合いで解消していける範囲にあると思う。

問題なのは、それぞれの性質についての疑問である。

その中でも特に矢を放たれたように感じたのが、「人との関わり方」について指摘されたときのことだった。

人の性質は簡単に変えられない

私は、大人数が苦手だ。
当たり障りのない会話も、誰のためでもないと感じられてしまう社交辞令も苦手だ。

一方の夫は、大人数が好きで得意だ。
当たり障りのない会話も社交辞令も物ともせず、場の空気を読んで立ち振る舞うことができる。
会話を回したり、場の空気を作ることができる。

ある日、そのことを指摘された。

「なぜ、上手く立ち回ろうとしないのか。」
「なぜ、自分から話にいこうとしないのか。」

(自分自身、不得手と思っていた事をそのまま身内に言われる気持ちといったら、
背後を預けていた相手から撃ち殺されるような気分だった。)

まあでも全くその通りで、私はソレが自分の弱点のように感じた。

それからというもの、なんとかして相手の性質をコピー出来ないものかと足掻いたが、
長年の性質からも、大人数の場ではどうしてもすぐにガス欠してしまうのだ。

そして、そのことにそれなりに落ち込むことになった。

ちがう視点でみてみれば

そんな日々を過ごしていたとある日に、また夫から言われた言葉があった。

「僕は、1対1で改まって深い話をすることが苦手だと気付いた。」
「でも君は、そうやって人と深く関わることが得意だ。」
「人との関わり方が違うだけで、人と繋がっていることはお互いに変わらなかった。」

勘違いしていた、ごめん。と言われた。

確かに私は1対1や少人数で、相手の人と成りを知るために
深く潜っていく会話が好きだし得意だと思う。

私からすれば、それは当たり前なくらい自然なことで、
だからこそ改めて言われるまでは、相手も当たり前に得意なことなのだと思い込んでいた。

でもそれも勘違いで、お互いに得手不得手があったのだった。

そう思うと落ち込んだ気持ちも消え去り、自分にもできることがあると自信を取り戻すことができた。

ちがいを認め合えると

お互いのちがいを認め合えると、お互いがハッピーになる。

ちがう視点があることで、お互いに自分が得意なことが際立つ。

相手が得意なことは、相手がやればいい。
私が得意なことは、私がやればいい。

就職活動ときに何かで読んだ、「長所と短所は紙一重だ」という言葉と同じで
すべて完璧にできる人間なんて居ないのだ。

そう感じられて、私は安心した。

そして、ちがいに触れることによって
私は自分の得意を認知することができた。

ちがうことは、容易に不快になる要素だと思う。
だけど、自分を知るための近道でもあると思う。

ちがいを恐れず、これから先も人と関わっていきたい。

ご清聴、ありがとうございました。

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