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愛に生きること

カンボジアに行く前の私は、自分にとって本当は何が大切なのか、わからなかった。

当時の私には、それが地位かもしれないし、名声かもしれないし、安心かもしれないし、達成感、優越感、他者からの承認や賞賛、自己実現、成長、回復、安定、お金‥‥かもしれなかった。

とにかく、そういう上滑りしていくようなキーワードに縋るしかない自分に焦っていて、本当に大切にしたいものが何なのかわかっていなかった。

カンボジアで暮らして感じた心の渇き

当時、似たような記事を書いているけれど、2ヶ月間、誰からも離れてみて感じたことは沢山あれど、自分でも一番驚いたことは、心の渇きを感じたことだった。

カンボジアに行ったのは、今だからこそ「自分の育て直し」と意味付けできるけれど、その時の私はそこまで思い至っていなかった。

だからこそ、当時の焦りを解消してくれるような、精神的な成長や経験を強く求めていたし、結果的に「一生モノの経験」は、できたと思う。

ただ一方で、当時の私は、何が自分を満たしてくれるのかわかっていなかった。

一生モノの経験があれば、自分の心は満たされて幸せなのではないか。満足なのではないか。人からすごいと言われたら満たされるのではないか。

そう思って進んでみたけれど、心の渇きは、自分の成功や達成では満たされなかったのだ。

成功したって満たされない

ただ1つ、カンボジアから帰る頃には明確にわかったことがあった。

それは、私のことを大切に思ってくれる人や、私が大切に思っている人の近くにいることがとても大事だということだった。

具体的にそう気づいたきっかけを言えば、カンボジアに、当時の彼氏(今の夫)がもし一緒に居てくれていたら、私はもっとカンボジアに住んでいただろうなあと思ったことだ。

そして私にとっては、自分の成功ややりたいことよりも、まず土台として、大切な人たちと共に生きることの方が大事なのだと気付いた。

それまで、私は自分自身のことを仕事に生きるタイプで、仕事が好きで仕事があれば頑張れる人だと思っていたから、「家庭やプライベートの方が大事」という価値観を自分の中に見出したときに驚いたことを覚えている。

でも、私は例えいくら稼いだって、褒められたって、認められたって、大切な人が近くにいない/蔑ろにしていては満たされないのだ。
それはカンボジアでの経験で明確になった。
(※当時、夫氏は快く送り出してくれたよ!)

愛に生きていく

私がカンボジアで知った、私にとって最も大切なことは、愛だと思う。

自分を愛すること、認めてあげること
愛する人と共に生きること、認め合うこと
愛してくれる人と共に生きること、支え合うこと

単にパートナーという狭義の意味ではなく、友人知人、職場の人、外の世界で会う沢山の人たち全てに対して。

愛する人、愛してくれる人たちのために、心や時間を掛けて生きていこう。

仕事が忙しい日もあるし、大変な目にあってどうしようもない時もある。
でも、私が一番大切にしたいのは、私自身と、私が愛する人たち。

今は未だ、その輪が小さくても、段々、輪を拡げていきたいとも思う。

私の場合は、輪が大きくなれば、今よりもっと大切にしたい人や物が増えて、そしたら、もっと頑張れると思うから。

そして、そういうことを大切に思っている自分のことを、どうか置き去りにしないで、忘れないで大切に生きていこうと思う。


ご清聴、ありがとうございました。

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