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連載 ソフトディバイスの歴史

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こちらの記事は、ソフトディバイスの創業者である高橋賢一が、社内報の連載記事向けに執筆したものです。ソフトディバイス の成り立ちから、高橋が代表を退きフェローとなるまでのストーリー… もっと読む
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Info-Dオルタナティ部vol.6「情報デザインクロニクル共同編集:ソフトディバイスの歴史を題材にして」のレポート

Info-Dオルタナティ部vol.6「情報デザインクロニクル共同編集:ソフトディバイスの歴史を題材にして」のレポート

noteにて「ソフトディバイスの歴史」を公開し始めてすぐに、デザイン学会の情報デザイン部会「Info-D」の方々が連載に興味を持ってくださり、Info-Dの有志によるオンライン勉強会「オルタナティ部」にて、話題提供をすることになりました。Info-Dの歴史も長く、今年は20周年の年だそうで、振り返りの年にしていきたいと考えられていた幹事さんが連載を目に留めてくださり、Info-Dの振り返り活動のよ

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ソフトディバイスの歴史 連載第1回「そもそもは、プロダクトデザイン事務所だった」

ソフトディバイスの歴史 連載第1回「そもそもは、プロダクトデザイン事務所だった」

この記事は、ソフトディバイスの創業者である高橋賢一が、社内報の連載記事向けに執筆したものです。ソフトディバイス の成り立ちから、高橋が代表を退きフェローとなるまでのストーリーが高橋の視点で語られています。

1984年ソフトディバイス の創立は1984 年。この年はapple 社がパソコンとしては初めてGUI を採用したMachintosh を発売した年である。

GUI パソコンが初めて世に出た

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ソフトディバイスの歴史 連載第2回「なぜ京都に?」

ソフトディバイスの歴史 連載第2回「なぜ京都に?」

この記事は、ソフトディバイスの創業者である高橋賢一が、社内報の連載記事向けに執筆したものです。ソフトディバイス の成り立ちから、高橋が代表を退きフェローとなるまでのストーリーが高橋の視点で語られています。

そもそもなぜ京都に?生まれは大阪、大学は京都、初めての就職は東京。でも事務所は京都。独立するつもりで東京から関西に戻ってきて、まずは京都に下宿。独立の意思は固かったが、まだクライアントもなく、

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ソフトディバイスの歴史 連載第3回「softdeviceに込めた意味」

ソフトディバイスの歴史 連載第3回「softdeviceに込めた意味」

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なぜソフトディバイスという名に?
事務所の名称がいいかどうかは、もう耳になじんでしまって、私には客観的な評価はできないが、周りからのマイナス評価は聞こえてこない。むしろ「インタフェースをするのに最適で先見の明があったね」と言われることが多い。でも、まだインタフェースにかかわっていない時になぜこの名前になったか?


事務所の名前を決めるときに考えた条件は、まず

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ソフトディバイス の歴史 連載第4回「東京事務所開設」

ソフトディバイス の歴史 連載第4回「東京事務所開設」

この記事は、ソフトディバイスの創業者である高橋賢一が、社内報の連載記事向けに執筆したものです。ソフトディバイス の成り立ちから、高橋が代表を退きフェローとなるまでのストーリーが高橋の視点で語られています。

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ニューメディアブーム事務所創設の1984 年はMacの発売年であると同時にビデオテックス(日本ではCAPTAIN と呼ばれた)という公共のオンデマンド情報システムが始

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ソフトディバイス の歴史 連載第5回「京都と東京」

ソフトディバイス の歴史 連載第5回「京都と東京」

この記事は、ソフトディバイスの創業者である高橋賢一が、社内報の連載記事向けに執筆したものです。ソフトディバイス の成り立ちから、高橋が代表を退きフェローとなるまでのストーリーが高橋の視点で語られています。

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京都と東京ソフトディバイス京都事務所とソフトディバイス東京事務所は、登記上は京都が本社で、社長は僕で経理は京都で受け持ったが、あえてできるだけ対等の関係を築いた。双方が

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ソフトディバイス の歴史 連載第6回「北山へ。そして世代をつなぐ」

ソフトディバイス の歴史 連載第6回「北山へ。そして世代をつなぐ」

この記事は、ソフトディバイスの創業者である高橋賢一が、社内報の連載記事向けに執筆したものです。ソフトディバイス の成り立ちから、高橋が代表を退きフェローとなるまでのストーリーが高橋の視点で語られています。

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2002年、北山のオフィスへSDTとの約7年の合併時代を経て、SDは堅調な成長を続けていた。マンションの大きな部屋を複数賃貸していたがそれでも手狭になり、全員が見通せる

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ソフトディバイス の歴史 連載第7回「業務の変遷」

ソフトディバイス の歴史 連載第7回「業務の変遷」

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プロダクトデザインからインタフェースデザインへソフトディバイス はプロダクトデザイン事務所としてスタートした。当初は、大型の工業用機械、家電製品、オーディオ機器のデザインをしていたが、一方で広がりつつあった情報システムの企画、提案を請け負うようになり、数年のうちにそれがメインの業務になってきた。最初は手書きの提案書を作成していたが、趣味のパソコンが使えるようになりワープ

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ソフトディバイス の歴史 連載第8回「事務所移転の思いへの回想」

ソフトディバイス の歴史 連載第8回「事務所移転の思いへの回想」

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1984年下賀茂泉川町のアパートからスタート
東京から戻ってきたときはほとんど無一文でこれからの事業がどのようになるかは予想できなかったので、下賀茂泉川町の2階建てアパートの1室、1kの部屋を借りた。すぐ裏は高野川が流れ、向いは湯川秀樹の家、下賀茂神社の糺の森まで数分の距離である。高級住宅街の一つでもあり、しかも出町も近く、利便性も高く、京阪沿いにあったクライアントへも

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ソフトディバイス の歴史 連載第9回「メンバーの変遷」

ソフトディバイス の歴史 連載第9回「メンバーの変遷」

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起業〜数名の社員とバイトでやりくりする時代いよいよ、SDのヒストリーの最後の側面であるメンバーの変遷を思い返してみよう。最初の立ち上げは僕一人。時々バイトを頼んではいたが狭い住居兼事務所なのでバイト一人が精いっぱい。東山のマンションに移動してからは事務所のキャパは拡大しバイトも増えた。そのころのバイトで家電やパソコンメーカに就職しその会社のインタフェースデザイン部門の設立に

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