見出し画像

ソフトディバイス の歴史 連載第8回「事務所移転の思いへの回想」

この記事は、ソフトディバイスの創業者である高橋賢一が、社内報の連載記事向けに執筆したものです。ソフトディバイス の成り立ちから、高橋が代表を退きフェローとなるまでのストーリーが高橋の視点で語られています。

↓前回の記事はこちらから

1984年下賀茂泉川町のアパートからスタート

画像4

東京から戻ってきたときはほとんど無一文でこれからの事業がどのようになるかは予想できなかったので、下賀茂泉川町の2階建てアパートの1室、1kの部屋を借りた。すぐ裏は高野川が流れ、向いは湯川秀樹の家、下賀茂神社の糺の森まで数分の距離である。高級住宅街の一つでもあり、しかも出町も近く、利便性も高く、京阪沿いにあったクライアントへも電車1本で通うことができる。まさに職住にメリットのある立地である。裏のベランダからは大家さんの庭を眺めることができ。大文字も部屋にいながら丸見えの場所である。たくさんの書籍や、複合機、パソコン、当時デザイン事務所に必須だった製図台までが所狭しと詰め込まれた狭い部屋だったので、たまにバイトに来てもらっても1人が精いっぱい。1984年にこのアパートでソフトディバイスは始まった。

東山のマンションへ

仕事が軌道に乗り出すとどうにも動きが取れなくなってきた。そこで少し広い場所を探し始めた。たまたまモデルルームに使用されていて売れ残り、安く売りに出ていた部屋が見つかった。低層のマンションで周りには緑があり、隣はお寺で墓地があるため建物が建つことがない環境抜群の場所である。最寄り駅は京阪七条で移動の利便性も良かった。南面は小高い丘の斜面に面していて間口の広いベランダは一面緑に面していた。ここもまた緑の借景でずいぶん気に入った。3DKの広いマンションだったので10人くらいのメンバーがゆとりで働けた。しかしバイトも含めるここもとどんどん手狭になり、クライアントとの会議室のためにたまたま空いた隣の部屋を借りて、仕切りを外してベランダからの行き来もできるようにしたりもした。hime(猫)が住み着いたのもこの場所からである。事務所でクライアントや社員の家族を招いて、五山の送り火を眺めるパーティを始めたのも、パーティの名物「そうめん流し」を始めたのもこの場所からである。社員向けの週に一度の英語クラスを始めたのも、ここである。2軒あわせて150㎡ほどもあったが、一般のマンションのため余分なスペースが多く、電源の容量も足らなくなり、メンバーがさらに増えついにここも手狭になってきた。下の階の部屋も借り足したが、部屋が分かれているためコミュニケーションが分断されたり、スペースの効率が悪くなり、次の場所を探し始めた。

高野のマンションへ

画像1
画像3
画像6

事務所用のテナントスペースなら広い場所も探せるが家賃も高く、まだみんな床に寝転がって徹夜していた時代なので住宅用の内装で、100㎡以上の広いマンションを探した。京都の北に位置し高野川に近い場所で、6階で全面開放的な窓があり、広いベランダからは京都を一望できるだけでなく大文字丸見えの場所を見つけた。また京阪出町が最寄り駅。京都工芸繊維大学や精華大学などの学生も来やすく、賃貸マンションなので、周りの住民にも以前ほど気づかいする必要もなく使いやすい部屋だった。大文字パーティが盛大になり毎年100人近い人が集うようになった。確かお花見も高野川沿いのこの場所から始まった。ところがここもまた手狭になる。向かいの部屋も賃貸した。しかし、コミュニケーションの問題も起こり始め、またもやさらに広いスペースを探し始めた。大文字パーティが恒例の行事になっていたため、今度は大文字がみえるところが条件の一つに加わっていた。

現在の北山オフィスへ

画像2
画像5

ようやく探り当てたのが、現在のオフィスである。高野の事務所に比べると、大文字が十分に見れるとは言い難いが、おしゃれな北山通り沿いということや、植物園が目の前、地下鉄の駅に近く、みんなの顔の見える広いフロア、初めての事務所らしい無駄のないスペース、広いデッキスペース、安藤忠雄設計という話題性も相まってSDの新しい歴史が始まる予感がしたことを思い出す。床や照明なども新たに改修した。デッキのテントや庇の追加など初期コストもかかったが、移転は効果的だったのではないだろうか。今まで以上にパソコンがコンパクトになって視覚的な仕切りがなくなりスペースを活かせるようになってきたことや、広いデッキを活用したアクティビティなど場所に合わせた生活も変化してきた。もう床に転がって徹夜というスタイルもなくなった。(笑)しかしここもメンバーが増えたり、活動の幅が広がるなりしたせいで手狭になってきている。社長が交代したあとにlabができたり、labの活用の幅も広がっている。ワークスタイルの多様化に伴って将来も事務所のあり方は変化し続けるであろう。いつかは再び移転を迫られることがるかもしれない。

場所を変えることで、活動が変化する

単にキャパに合わせた場所に移転するだけでなく、働く人と事務所の空間、ロケーションとの相互作用で、事務所自体の性格や暮らす人の活動も変化する。数回の移転では、そのことを実感した。
働く意識やスタイルの変化が今後どのように事務所を変えてゆくかは、変化する時代に働く人たち自身がデザインするテーマである。オフィスをデザインしよう。

..............................................................................................................................
↓第9回はこちらから


この記事が参加している募集

オープン社内報

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?