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ソフトディバイス の歴史 連載第5回「京都と東京」

この記事は、ソフトディバイスの創業者である高橋賢一が、社内報の連載記事向けに執筆したものです。ソフトディバイス の成り立ちから、高橋が代表を退きフェローとなるまでのストーリーが高橋の視点で語られています。

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京都と東京

ソフトディバイス京都事務所とソフトディバイス東京事務所は、登記上は京都が本社で、社長は僕で経理は京都で受け持ったが、あえてできるだけ対等の関係を築いた。双方がそれまで築いてきたクライアントはそのままの状態で維持し、成果をお互いに見せ合いノウハウの共有を図った。経費や売り上げは京都で集計し京都で税務申告を行った。

御用聞き型か提案型か

京都と東京では前から分かっていたことだが、クライアントとの関係や対価、仕事の内容も多少異なっていた。関西ではデザイン事務所はメーカーインハウスの下請け的な扱いを受ける傾向が強い。東京ではコンサルタントとして、あるいは対等に扱ってくれる傾向が強い。御用聞き型か提案型かのちがいである。フリーランスとしては御用聞き型のほうが安定するし、リスクも少ないが当然対価は低めである。京都事務所はそんな関西においてもユニークな存在ではあり、かつ合併前も独自に関東のクライアントを持っていたが、関西の他のデザイン事務所との比較もあり、なかなか東京のような対価を得ることがむつかしかった。東京事務所を持ったことは東京並みの対価を得るきっかけにもなった。

関東のほうが論理的、関西は視覚的で情緒的なインタフェースが要求される。

業務の内容に関しては、関東では、ソフトハウスやIT関連の仕事が多くアプリケーションのインタフェースや業務系機器のインタフェースの仕事が多かったが、関西は家電系が多いこともあり、家電製品や民生系のインタフェースが多かった。当然関東のほうが論理的で機能的な設計が要求され、関西は視覚的で情緒的なインタフェースが要求される。関東ではドキュメンテーション(デザインガイドやスタイルガイドなどの規定書)が不可欠で、関西では、視覚的、動的で実感できるプロトタイピングモデルが必要になる。

東京事務所の独立

いくつかの共同プロジェクトを経験したが、ほとんどは関東のクライアントの仕事で僕が出かけてゆくことが多く、当時在籍したメンバーも東京事務所との交流もあまり多くはなかった。そんな中で、"MacCampus"というCD-ROMを制作したのが、タイトなやり取りで進めた唯一の共同プロジェクトかもしれない。

当時はまだインタネットも十分に普及しておらず、データのやり取りはCD-ROMなどのメディアを介していたこともあり、離れた2地点でのプロジェクトや事務所の運営を進めるのはなかなかスムーズではなかった。いくつかのそうした困難を経て、1999年に双方合意の上ソフトディバイス東京事務所は独立することになった。

ソフトディバイスは合併によって株式会社になったとともに規模が大きくなり、社会的にも法人としての格を向上させた。急速な技術革新や変化するマーケット、関東中心でしか活動していない学会に関連した情報交換、人材交流などでは、双方は大いに合併のメリットを享受できた。デザインガイドなどのドキュメンテーションには東京事務所のノウハウが生きている。学会や関東クライアントとの人的な交流の拡大やソフトディバイスという名前が全国に広がってくれたことの一助にもなった。
一方、東京事務所にとっては、プロダクトデザイン事務所ザウルスの縛りから現在のインタフェース、インタラクション専門のカイデザインとして独立するための熟成期間であったかもしれない。京都事務所とは少し方向性が異なるが彼らなりの進化を遂げている。個人的には今も良き友人であり時々会ったり、電話で話したりしている。
ソフトディバイスの幹部の人たちも合併していた時期を経験しているので、今後も縁を繋げて行ってもらいたいものである。


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