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つまらないやつになりたいと思っていた

つまらないやつになりたい

つまらないやつになりたいよ
どうでもいいことにどうでもいいと言って
自分以外にとってはどうでもいいような
つまらないことをつまらないことだと思って
その残りの
ほんのわずかな必要なことだけを
当たり前のように必要だと思って

つまらなくていいんだよ
何もかもが楽しくて
何もかもがどうでもよくて
人の不幸もどうでもよくて
その代わりに人の不幸も望まないで
人の不幸を要求するような
自分の幸福も望まない

そんなつまらないやつになりたい
のだけれど
それは結局はアジアの哲学か

でもそんなものさ
なんとなく生きていける場所で
なんとなくで楽しさが確保できる場所で
善とか悪とかありえないんだよ

俺は砂漠の民ではないんでね
自らを砂漠の民と取り違えたヨーロッパ人とも違うんだ
目の前のそれ以外何もいらないし
永遠にそれでいい
それがいいんだ

それ以上を求める空騒ぎで
湖面のように静かに揺らぐ時間の流れに
いくら波しぶきを立てようとしてみたって
次の瞬間にはそれすらそれさ

かといって
そういうそれ以外のものに
どうしようもなく焦がれている俺は
つまらなくなれないまま
こんなにもくだらない

でもそんなものさ
アジアの哲学なんて絵空事
はじめから満たされてしまった後で
それ以上のものを自分で用意できない
そんなくだらない人間のための
絵に描いた餅の柔らかさ

つまらなくなりたい俺は
そんなことを望むほどにくだらなく
くだらないおかげで
くだらないことすらも
くだらないと思いもせずに楽しんでいる

たまに
それがつまらなくなるけれど


(終わり)


この詩ようなものは、2007年に書いたものらしい。
びっくりするくらい、今でも同じことを思っているなと思う。

俺にとっては、自分がつまらないやつであることは自然なことであり続けている。

むしろ、そいつがつまらなくないやつなのだとしたら、それはどういうことなんだろうと思う。

犬なんかで考えれば、犬たちというのは、みんなどうしようもなく犬的で、いつまでたっても犬がするようなことしかしないという意味で、つまらないやつらだろう。

非定型な身体や感覚を持った個体が異質なものとして目を引くだけで、犬が犬らしくしている様子というのは、どれだけ眺めていても、犬なんだからそうだよねと思い続けるしかないものなのだ。

俺は自分もそんなふうにしてつまらないやつでいればいいと思ってきた。

俺が思うようなことしか思っていなくて、動物が感じるようなことしか感じていなくて、人間が思うようなことしか思っていなくて、日本の地方都市のベッドタウン育ちの庶民が思うようなことしか思っていない、つまらないやつでいればいいのだと思ってきた。

俺は変わったことを思って変わったことをしてきた人たちの文化にさほど触発されずに生きてきたし、変わったことを思っていたいとは思ってこなかった。

俺が儒教とか仏教とか、アジアの哲学の物言いがしっくりくる感じ方の人間になっていたのは、いつのまにかそうなっていたことだった。

多少はそういうものについての漫画とか軽い本とかを読んでいたとはいえ、大学生の終わり頃には、結局小人ではなく君子であろうとすることが、人間が集団で何かを成していこうとするときの普遍的な本質なんじゃないかと思っていたように思う。

もうほとんど忘れてしまったけれど、唯識なんかに興味を持って、原始的な仏教とその余韻のようなあれこれは、当時の文化文明の言葉や知識をベースに語られた世界認識であることを差し引いたときには、語られている本質とかモデルとしては、ほぼ無謬なんじゃないかと思ったりもしていた。

ただ、そんなにもアジアでスタンダードとなった哲学に親近感を持ったのは、それが被害妄想とか何かしらを敵として想定するようなことでそうなったところをほとんど含まない思想だったからというだけではなく、どういう立場からものを見るのかという感覚の問題もあったのだと思う。

2007年には全くそういう自覚がなかったけれど、それは俺にとって、小学校高学年以降、思春期前から思春期にかけて、一番自分にとってのヒーローのように思って、その人を肯定するために自分の価値観を調整したような存在が、織田信長だったからというのもあったのだと思う。

なんとなくうっすらと為政者的な立場を内面化した感じ方で、俺は世の中や人間との関わりに何かを思っていたのだと思う。

俺にとって、価値観を形成する時期に織田信長がヒーローで、その頃に、漫画や歴史小説を読んだり、信長の野望で遊ぶだけでなく、歴史群像の信長の号なんかも読んだりもして、武芸に優れていたとか合戦がうまかったとかではなく、どんなふうにしてたくさん戦争をしてそれに勝利していけるシステムを信長が作り上げていったのかということに心酔していたというのは、俺の価値観に大きな影響を与えているのだと思う。

俺は信長の他には、自分のヒーローのように思っていた存在がいなかったのだと思う。

漫画とかテレビで、憧れていたり、特別好きなキャラクターとか人物がいなかった。

ドラゴンボールでも北斗の拳でも何でも、好きなキャラというのがいなかったし、少年団野球をやっていた頃でも、好きな野球選手はいなかった。

当時は自覚がなかったけれど、俺が初めて好きになって、その人を肯定して、その人のすごさをよりすごいものに感じるために、自分の中にものの見方を作り直していくような、ヒーローのような存在に思っていたのは為政者としての信長だったのだ。

高校生になった頃には戦国時代への興味もなくなっていたし、信長関連の知識もそれ以降は更新されていないし、むしろ、もう信長ついてのあれこれはほとんど忘れてしまっているのだろう。

付き合った人で、俺がそういうことを好きだったことを知らない人もいたかもしれないくらい、俺自身そこにアイデンティティを感じてもいなかったのだ。

けれど、近年になって、自分がずっと反体制的な人たちに嫌悪感があったのは、むしろ体制側の視線で世の中を見ようとしているところが自分にあったからで、その根っこには信長が好きだったことがあるんじゃないかと思って、そう思い始めると、そうとしか思えなくなって、びっくりしたのだ。

そして、儒教とか仏教への親近感と、かといって、歎異抄とか念仏系の仏教には興味が持てなかったことなんかも、その続きにあったことだったんだなと思ったのだ。

ゴータマ・シッダールタにしても、孔子にしても、権力の中にいたり、権力のそばにいた人たちだった。

儒教と仏教というのは、小人はどうしたって小人であるとか、衆生のほぼ全ては絶対に悟ることなどできないということを前提にしたような世界観の中で、自分は大衆とは別の基準で、自分の同志と生きていくつもりだからそんなふうに思っていられるような思想体系なのだろう。

小人としてどう生きるとか、煩悩にまみれながらどう生きるかとか、こんな人間なりにどんなふうになら幸せになっていけるかとか、そういう考えではないのだ。

人間はそういうものなのだから、そういうものなりに気分よく生きて、気分よく人と関わっていければよくて、そのためにはどういうものやことを自分から遠ざけておくべきなのかということについての思想で、そこには何も理想として望まれているものはないのだ。

俺は母親が、小さい頃からブスとして周囲から攻撃されて嫌な気持ちで生きてきて、けれど、短大からは面白い女として、フォークソングをみんなで歌って楽しくやって、神戸市の職員になってからも組合に入ってと、自称フェミミストで、ずっと共産党に投票していたような人だったけれど、そういう母親を好きになった父親との夫婦の姿を見て育ったおかげで、男女は全く完全に対等だと思っている人間に育ったけれど、かといって、俺は成人した時点で、母親のことを、自称フェミミストの党派性に凝り固まった左翼としか思っていなかったのだと思う。

それは単純に、想定しているものを見る立場の違いが大きかったのだろうなと思う。

自分を為政者だと思っている勘違いした権力者たちを打倒するというモデルを前提にした、社会を破壊することを目的にした活動を、そういうことにも対応していかなくてはいけない為政者側の苦労として受け取るような感じ方が俺の中にできてしまっていたからこそ、母親の左翼思想を面倒くさいものに思っていたのだろう。

そして、そんなものの見方をする若者ではあったけれど、大学に入って以降、人を集めたり、人をまとめたり、あれこれ指図する機会がちょくちょくあったけれど、俺は最初からそれなりにマシなリーダーだったのだと思う。

俺だって自分のことばっかりの人間だけれど、みんなで何かをするときには、みんなのことや集団としての自分たちのことを主体にものを考えられたし、そんなふうに考える気がない人が集団内にたくさん混じっていることに苛立ったりもしなかった。

ずいぶんな話だけれど、それは心のどこかで、自分は君子でいなくてはいけないと思っていたり、集団をうまく率いることができるというのが一番すごいことなのだから、そここそ自分はうまくやりたいとか、そういうことを思っていたからなのだろう。

俺にとっては、織田信長というのは、たまたま本能寺の変が起こったからああなっただけで、総じていろんなことをうまくやり続けていた人だったのだし、織田信長がヒーローだったことで、自分の中にネガティブな影響が残ったりはしていないのだろう。

かといって、俺は為政者に憧れて、政治の世界に興味を持ったり、経営者のようなことをしたいと思うようになったわけでもなかった。

小学生の俺にとって、織田信長というのがわくわくさせてくれるヒーローだっただけで、俺は若い頃からずっと、政治にも国家にも世界にも興味がなかったし、何もかもどうでもよかったのだ。

俺は自分がつまらないやつだということを知っていたし、つまらないやつなりに思いたいことを思っていられればそれでいいと思ってきた。

どうでもいいことにどうでもいいと言って、自分以外にとってはどうでもいいような、つまらないことをつまらないことだと思って、その残りの、ほんのわずかな必要なことだけを、当たり前のように必要だと思っていられれば、それで充分なのだ。

それでも、どうしたって煩悩はあって、自動的に何かが欲しくなって、いろんな空回りをしてきたし、いっぱいみっともなかったなと思う。

ひとつだけ、どうしても思ってしまうのは、そういうたくさんの空回り結果として、自分たち以外にとってはどうでもいいような、つまらないことをつまらないことだ言い合えるような誰かと一緒になれていたらよかったのになということで、そういう相手と一緒にいられるような人生が自分には与えられないなんて、2007年の時点ですら、まったく想像もしていなかった。

けれど、そうなってしまったことに、つまらないやつになりたいと心底思っているような人間だったことは、どうしたって少なからず影響しているのだ。

だからって、織田信長のせいではないのだろうけれど。




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