個人研究室 下谷オフィス

個人研究室 下谷オフィス 広報用の公式サイトです。運営 山本唯人 社会学者・キュレ…

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個人研究室 下谷オフィス 広報用の公式サイトです。運営 山本唯人 社会学者・キュレイター。専門は空襲・災害研究、記憶継承論、東京論など。問い合わせフォーム https://forms.gle/mGBEC2Lmr4Dvc1R18

最近の記事

レクチャー「美術と資料の監修―藤井光「爆撃の記録」をめぐって」の概要記事が載りました

 東京藝術大学未来創造継承センター年報『Creative Archive』vol.1(p.235、2024年)に、2022年11月10日、東京藝術大学で行ったレクチャー「美術と資料の監修―藤井光「爆撃の記録」をめぐって」の概要記事が載りました。レクチャーでは、藤井光さんの作品「爆撃の記録」に、資料監修者として携わった経験をもとに、アートにおける資料監修の役割とは何か、アートに歴史的な資料を活用する上で、意識すべきことは何かなどを論じました。  本レクチャーは、東京藝術大学で

    • 『戦争社会学研究』vol.8に書きました:「記録の余白を補足する記録の収集―「体験者なき時代」における戦争体験継承の取り組み」

       『戦争社会学研究』vol.8(p.152-155、2024年)に短いエッセイ「記録の余白を補足する記録の収集―「体験者なき時代」における戦争体験継承の取り組み」を寄せました。  本エッセイは、2023年12月20日、関西学院大学で開催された戦争社会学研究会・第2回例会、テーマセッション「戦争社会学とパブリック/パブリシティ―戦争社会学を世の中に開いていくこと」での発表をまとめたものです。 戦争社会学研究会HP:テーマセッションの記事 https://scholars-net

      • 『週刊読書人』7月26日号に書評を書きました:清水亮・白岩伸也・角田燎著『戦争のかけらを集めて―遠ざかる兵士たちと私たちの歴史実践』

         『週刊読書人』2024年7月26日号(第3549号)・3面に書評を書きました。 「内側からの声の奔流―隔たりを見つめ、言葉になおし、過去とつながる」 書評 清水亮・白岩伸也・角田燎著『戦争のかけらを集めて―遠ざかる兵士たちと私たちの歴史実践』図書出版みぎわ、2024年 「筆者たちにとって、戦争体験と呼ばれる過去の出来事の手触りは、当事者との直接的接触を想定する、「記憶の継承」という言葉になじまない。むしろ、その過去から隔たっていること、一度切り離された場所から出会い直そ

        • 創作ノートを書きました―展示「名前と顔写真の壁」No.9

           2月27日、東京大空襲・戦災資料センターの常設展示「名前と顔写真の壁」に、9枚目のパネルを新設・公開しました。  「名前と顔写真の壁」とは、東京空襲で亡くなった人びとの名前と顔写真を、遺族の了解を得て、1家族・1枚のパネルにまとめて公開するものです。2020年6月、戦災資料センターのリニューアルに合わせて、8家族・死者30人分のパネルを制作・公開しました。  このたびの公開は、そのコーナーに、1家族・死者2人分のパネル1枚を追加するものです。 *詳しくは以下を参照 http

        レクチャー「美術と資料の監修―藤井光「爆撃の記録」をめぐって」の概要記事が載りました

          【情報リリース】空襲犠牲者の「名前・顔写真」パネルを新設します:東京大空襲・戦災資料センター

          ・2月27日(火)より 東京大空襲・戦災資料センター常設展示「名前と顔写真の壁」にて、空襲犠牲者の「名前・顔写真」パネル1枚を新設します。 ・3月17日(日) 「遺族・展示制作者によるギャラリートーク」を開催します。[詳細] ●展示 「名前と顔写真の壁」の「名前・顔写真」パネル1枚を新設 期日 2024年2月27日(火)より公開 場所 東京大空襲・戦災資料センター2階・常設展示室 制作 山本唯人 展示 東京大空襲・戦災資料センター ●「名前と顔写真の壁」展示更新に伴うギャラ

          【情報リリース】空襲犠牲者の「名前・顔写真」パネルを新設します:東京大空襲・戦災資料センター

          『週刊読書人』11月24日号に書評を書きました:森まゆみ著『聞き書き・関東大震災』

          『週刊読書人』2023年11月24日号(第3516号)・6面に以下の書評を書きました: 「行間の語りを補い、あとの道を歩む―誰かの語りの聞き手になること」 書評 森まゆみ『聞き書き・関東大震災』亜紀書房、2023年 「本書を読んで、まるで濃密な時間を生きたような読後感が残るのは、実際に経験したことを語る人びとの言葉と、「編む」という森さんのもう一つの役割が、森さんらしいやり方で見事に結合しているからなのだろう。」 「本書を読むとは、自分自身が誰かの言葉の聞き手になること

          『週刊読書人』11月24日号に書評を書きました:森まゆみ著『聞き書き・関東大震災』

          すみだ郷土文化資料館「関東大震災100年―本所の被害と復旧、残されたもの」展を見る

           関東大震災には、本所区・深川区の江東低地、神田区西部、浅草区北部という3か所の犠牲集中地区があった。これらの地区は、軟弱地盤の激震地であり、住家の全壊率が高く、火災の多発した地区でもあった。本所区の死者は約5万4000人(行方不明者含む)、東京市全体の約79%を占めていた。被服廠跡の死者が約4万4000人なので、それ以外に1万人もの死者がいた。本展は、その激震地の真っただ中から震災を発信する、学芸員・石橋星志による労作である。  本展では、震災の発生から被害、避難と仮設住

          すみだ郷土文化資料館「関東大震災100年―本所の被害と復旧、残されたもの」展を見る

          小薗崇明「ろう者の画家・高増径草の震災体験―関東大震災下における「日本人」のゆらぎ」を読む

           本論文はろう者の画家・高増径草が描いた「高増径草震災絵巻」に注目して、虐殺されたろう者を含む、ろう者の震災体験に光を当てるものである(『現代思想』総特集関東大震災100年に所収)。一読して、このような絵巻が存在すること、そして、聴覚を制限された立場から記された恐怖に、息を呑んだ。  高増は地震発生時、向島区隅田町にいた。江東低地の一画をしめる関東大震災の激震地である。向島区の南方面に接続する本所区・深川区では、東京市内の犠牲者の約85%を出した。ところが、当時、あふれるほ

          小薗崇明「ろう者の画家・高増径草の震災体験―関東大震災下における「日本人」のゆらぎ」を読む

          『写真集 関東大震災』(小薗崇明・東京都慰霊協会著)を読む

           小薗崇明・東京都慰霊協会『写真集 関東大震災』(西日本出版、2023年)を読んだ。復興記念館が所蔵する5000点以上の写真(絵葉書を含む)を整理し、その成果をまとめたものである。その結果、焼失率が高く、犠牲者の多かった下町6区(神田・日本橋・京橋・浅草・本所・深川)を撮影したものが比較的多かったが、被害の大きさと写真の点数は一致していないことが、明らかになった。例えば、焼失率が低いのに写真点数は多い区域(麹町・下谷)や、反対に、焼失率が高いのに、写真点数は少ない区域(深川区

          『写真集 関東大震災』(小薗崇明・東京都慰霊協会著)を読む

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第5回―岩岡商会のカメラ、下谷坂本から激震地・浅草北部へ

           関東大震災映像デジタルアーカイブにコラム「目の記録、聞こえない声―関東大震災の映像記録によせて」を寄稿しました。 https://note.com/shitaya_office/n/n364458d8b4fc  5回の連載で、コラムに書き切れなかった、「こぼれ話」を紹介します。  第5回は「岩岡商会のカメラ―下谷坂本から激震地・浅草北部へ」です。  関東大震災では、本所区・深川区などの「江東低地」、神田区今川小路から神保町、猿楽町あたりの「神田西部」、下谷区龍泉寺か

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第5回―岩岡商会のカメラ、下谷坂本から激震地・浅草北部へ

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第4回―関東大震災の映像記録という迷宮

           関東大震災映像デジタルアーカイブにコラム「目の記録、聞こえない声―関東大震災の映像記録によせて」を寄稿しました。 https://note.com/shitaya_office/n/n364458d8b4fc  5回の連載で、コラムに書き切れなかった、「こぼれ話」を紹介します。  第4回は「関東大震災の映像記録という迷宮」  コラムの依頼を受けて、関東大震災の映像記録を初めてまとめて見たのですが、一体、そこに何が映っているのか、特定するのがとても難しい記録だと思いま

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第4回―関東大震災の映像記録という迷宮

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第3回―復興映画のなかの関東大震災、記録の中断

           関東大震災映像デジタルアーカイブにコラム「目の記録、聞こえない声―関東大震災の映像記録によせて」を寄稿しました。 https://note.com/shitaya_office/n/n364458d8b4fc  5回の連載で、コラムに書き切れなかった、「こぼれ話」を紹介します。  第3回は「復興映画のなかの関東大震災―記録の中断」  関東大震災映像デジタルアーカイブで公開された映像の一つに、1930年、復興局、松竹キネマ株式会社、大日本教育映画協会によって製作された

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第3回―復興映画のなかの関東大震災、記録の中断

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第2回―開発災害としての関東大震災

           関東大震災映像デジタルアーカイブにコラム「目の記録、聞こえない声―関東大震災の映像記録によせて」を寄稿しました。 https://note.com/shitaya_office/n/n364458d8b4fc  5回の連載で、コラムに書き切れなかった、「こぼれ話」を紹介します。  第2回は「開発災害としての関東大震災」です。  関東大震災では、本所区・深川区などの「江東低地」、神田区の今川小路から神保町、猿楽町あたりの「神田西部」、下谷区龍泉寺から吉原、山谷あたりの

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第2回―開発災害としての関東大震災

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第1回—顔の見えない死者たち

           関東大震災映像デジタルアーカイブにコラム「目の記録、聞こえない声―関東大震災の映像記録によせて」を寄稿しました。 https://note.com/shitaya_office/n/n364458d8b4fc  5回の連載で、コラムに書き切れなかった、「こぼれ話」を紹介します。  第1回は「顔の見えない死者たち」です。  今回、久しぶりに関東大震災の資料状況を通覧して、「震災の死者たち」に関する情報が驚くほど少ないと思いました。  数字はあります。  全体では約10

          連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第1回—顔の見えない死者たち

          関東大震災映像デジタルアーカイブに寄稿しました。

           関東大震災映像デジタルアーカイブに、コラム「目の記録、聞こえない声―関東大震災の映像記録によせて」を寄稿しました。 https://kantodaishinsai.filmarchives.jp/columns/c10.html 関東大震災映像デジタルアーカイブ https://kantodaishinsai.filmarchives.jp/  今回、はじめて「震災の映像記録」をまとまった形で見ました。  地震発生から約5日間。震災を経験した人びとの姿が、その表情やまな

          関東大震災映像デジタルアーカイブに寄稿しました。

          連載「東京空襲体験記 字の風景録」を歩く 第4回—江東区東雲・東雲キャナルコート(旧三菱製鋼)

           2023年3~5月に開催した企画展「空襲体験記を書く、一冊に編む」の写真図録を作りました。 ウエブサイト「東京空襲体験記 字の風景録」 https://jifukei.wordpress.com/  4回の連載で掲載写真を紹介します。  最終回は「写真5.8 東雲キャナルコート(旧三菱製鋼)、辰巳運河側からの眺め。 2023.01.08」です。 片岡綾子の空襲体験記 風景録より https://jifukei.wordpress.com/2023/06/26/%e7%89

          連載「東京空襲体験記 字の風景録」を歩く 第4回—江東区東雲・東雲キャナルコート(旧三菱製鋼)