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小薗崇明「ろう者の画家・高増径草の震災体験―関東大震災下における「日本人」のゆらぎ」を読む

 本論文はろう者の画家・高増径草が描いた「高増径草震災絵巻」に注目して、虐殺されたろう者を含む、ろう者の震災体験に光を当てるものである(『現代思想』総特集関東大震災100年に所収)。一読して、このような絵巻が存在すること、そして、聴覚を制限された立場から記された恐怖に、息を呑んだ。

 高増は地震発生時、向島区隅田町にいた。江東低地の一画をしめる関東大震災の激震地である。向島区の南方面に接続する本所区・深川区では、東京市内の犠牲者の約85%を出した。ところが、当時、あふれるほど撮影された写真、映像に、本所区の被服廠跡を除いて、この地域の状況を内部から撮影した記録はほとんどない。高増の絵巻は、倒壊家屋の下敷きになった家族の様子、炎上する浅草橋場を背景に、白髭橋を向島方面に渡って来る大量の避難民、日活向島撮影所周辺で組織された自警団など、写真、映像では一切見ることができなかったこの地区の様子を、生々しく描いている。

 もう一つ、この絵巻で注目されるのは、周りの人びとから間接的に伝わってくる朝鮮人虐殺の様子、その出来事にろう者として感じた恐怖を、絵と体験談で記録していることである。小薗は震災時、朝鮮人と誤って殺されたろう者・家中義雄の事例を掘り起こし、高増の恐怖が単なる思い込みではないことを示している。虐殺の様子が描かれた絵については、新井勝紘による研究が進められてきた。しかし、外出できない高増にとって、虐殺の現場を直接見て、その様子を描くことはできない。それにもかかわらず、高増の絵には、見ることのできた風景と、察知できた状況の記述の組み合わせによって、確かにこの時起きた虐殺の様子が刻まれているのである。高増の絵巻への注目は、新井による「虐殺絵」の研究の射程を、さらに押し広げる意義があるように思う。

 その上で、質問したい。
 第一に、今回の論文で、純粋に高増の絵巻から分かったことは、どこからどこまでだろうか?ろう者の震災記録は、外出の困難、聴覚の制限など、前提となる五感を何重にも奪われている点に特徴がある。論文では、情報の不足を、絵巻以外の記録で補うように文献の引用・分析が進むので、どれが絵巻に基づく情報なのかが分かりにくいと感じた。

 第二に、「日本人」のゆらぎという論文の視点についてである。自警団が朝鮮人を見分ける主な方法の一つは、朝鮮人には発音の難しい言葉(「一五円五〇銭」など)を発声させることによった。この方法は、口話の難しいろう者を「日本人」の枠組みから排除し、命の危機にさらす。この点は、よく理解できる。では、加害者である「日本人」の枠組みがゆらぐとは、そうだろうか?虐殺された人びとに朝鮮人だけでなく、例えば、日本人の社会主義者や方言を使う地方出身者などが含まれていたことは、いくつもの記録・研究を通して明らかにされてきた。それでもやはり、加害したのは「日本人」ではないだろうか。

 「声を使って話す」という行為が、「日本人」という感覚の、見えない根拠になっているという本論文の視座には、何重にも戦慄させられるものがある。聴者のコミュニティの内部にいるかぎり、その外側を意識することは難しい。このコミュニティでは、その「外側がある」ことも、聞こえるように、「話して」伝えなければならない。しかし、その「外側」にいるものは、「話す」ことができないから、外側にいるのだ。なぜ、暴力があそこまでエスカレートするのか。そこに、小薗の言う「音声言語の支配」が作用していたのは、確かだと思う。わたしたちは、声と耳だけでなく、手や目、時には沈黙を通してでさえ、会話できる生き物であることを、震災という取り返しのつかない体験を通じて、肝に銘じておかなければならない。

論文「ろう者の画家・高増径草の震災体験―関東大震災下における「日本人」のゆらぎ」が掲載された雑誌『現代思想』第51巻第10号、総特集関東大震災100年、の表紙

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