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創作ノートを書きました―展示「名前と顔写真の壁」No.9

 2月27日、東京大空襲・戦災資料センターの常設展示「名前と顔写真の壁」に、9枚目のパネルを新設・公開しました。
 「名前と顔写真の壁」とは、東京空襲で亡くなった人びとの名前と顔写真を、遺族の了解を得て、1家族・1枚のパネルにまとめて公開するものです。2020年6月、戦災資料センターのリニューアルに合わせて、8家族・死者30人分のパネルを制作・公開しました。
 このたびの公開は、そのコーナーに、1家族・死者2人分のパネル1枚を追加するものです。
*詳しくは以下を参照
https://note.com/shitaya_office/n/naf989c210b1d
 
 3月17日、協力していただいた遺族の宮下佳子さんを招いて、ギャラリートークを行ないました。その内容も踏まえ、創作ノートを書きました。
 ご笑覧いただければ幸いです。
 
「沈黙する行為のメッセージ―「名前と顔写真の壁」No.9に別紙資料「補足説明」を設けた理由」(researchmap, 山本唯人研究ブログ、2024年3月18日公開)
https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/99310/4c20a98f5d4f207a81969f52b270a64a?frame_id=698083

展示更新後の「名前と顔写真の壁」(2024年2月27日)。右列3段目のパネルを新設した。
遺族の父が保管していたアルバム。7歳の時満州の藤影幼稚園入学記念に撮影した写真(右上)。裏側に「満州国新京市祝町/藤影幼稚園入学記念/(略)七歳/康徳七年四月六日/自宅前ニテ写ス」と文字が書かれている。
遺族の父が東京都に提出した「東京空襲犠牲者名簿登載申出書」の内容を控えたメモ(一部マスキング)。仏壇に保管されていた。左下には母の恒子さんが生きていれば、この書類を書いた当時99歳になっていたという意味の書き込みがある。ちなみに、恒子さんの生年月日は明治33(1900)年1月1日。これが正しいとすると、東京大空襲のときは45歳となり、メモと合っていない。展示では戸籍などとも照合の上、年齢を「45歳」に修正した。

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