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すみだ郷土文化資料館「関東大震災100年―本所の被害と復旧、残されたもの」展を見る

 関東大震災には、本所区・深川区の江東低地、神田区西部、浅草区北部という3か所の犠牲集中地区があった。これらの地区は、軟弱地盤の激震地であり、住家の全壊率が高く、火災の多発した地区でもあった。本所区の死者は約5万4000人(行方不明者含む)、東京市全体の約79%を占めていた。被服廠跡の死者が約4万4000人なので、それ以外に1万人もの死者がいた。本展は、その激震地の真っただ中から震災を発信する、学芸員・石橋星志による労作である。

 本展では、震災の発生から被害、避難と仮設住居での生活、復旧、慰霊と体験の継承まで、「災害発生後のタイムライン」に即して、その実態を伝える資料を、自館や都内の施設などから集めて、展示する手法を取った。展示室をぐるっと見渡して、この構造を把握してから見ていくと、分かりやすい。
 セイコーミュージアム銀座(精工舎)、郵政博物館(電話局)、花王ミュージアム(花王吾嬬町工場)、東武博物館(東武鉄道)、たばこと塩の博物館(専売局)など、当時、本所区にあった大工場・施設関係のミュージアムから借用した、被災状況写真の展示は、本展の見どころの一つだろう。
 東京帝国大学の学生たちが、法学部教授の穂積重遠、末広厳太郎の指導で、避難者の名前、年齢、元居住地、避難所などを調査し、「避難者カード」を作成した。その一部を読解して作成した「本所区民の避難先」地図や、尋常緑小学校の校務日誌から書き起こした「緑尋常小学校の登校児童の推移」のグラフは、本展オリジナルの図版である。
 1960年代、被服廠跡の生存者により結成され、体験記などを刊行した一二九(ひふく)会関係資料は、最近、会員の親族から資料館に寄贈されたもので、本展が初公開となる。

 写真・映像など、ビジュアルイメージに偏った発信が多い中、一つ一つは断片的であっても、そこで、何があったのかを示す「記録」に立脚した本展は、十分刺激的な取り組みになっていると思う。
 その上で、強いてコメントがあるとすれば、「タイムライン」の出発点に当たる震災の「被害」自体を、展示として見せる難しさである。本展では、自館所蔵の写真・絵葉書と、企業博物館から借用した工場・施設の被災写真という2つの写真群を中心に、震災の「被害」を伝えた。ところが写真には、風景の「像」が写っていても、キャプションがないと「時点」を特定することが難しい。「写真」資料は、文字に補完されないかぎり、タイムラインに紐づけられない弱点を持つ。
 例えば、緑尋常小学校の『日誌』は、震災後の11月から記帳が始まるが、「復旧」コーナーに位置づけられ、順路としては後半にある。11月と言えば、地震発生から2か月後であり、被災地に遺構や焼失物は残っていただろう。「被害」コーナーで紹介された写真の中には、実際は、『日誌』が始まるよりも、後に撮影されたものがあったかもしれない。どうせ時間情報を持たないならば、「被害」コーナーの写真群は、思い切って「タイムライン」の別枠とし、一点をもっと大きく伸ばし、余裕を持って壁にかけ、写真自体を「読ませる」ような展示法もあったかもしれない。

 会期は10月22日まで。9月30日、小薗崇明による講演「写真が伝える関東大震災」、10月8日と21日にフィールドワークがあるので、よろしければご参加を。

[展覧会情報・ちらしデータ・『みやこどり』第66号データ]https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/info/shinsai.html

チラシ表面
チラシ裏面
『みやこどり』第66号(2023年8月発行)

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