見出し画像

『写真集 関東大震災』(小薗崇明・東京都慰霊協会著)を読む

 小薗崇明・東京都慰霊協会『写真集 関東大震災』(西日本出版、2023年)を読んだ。復興記念館が所蔵する5000点以上の写真(絵葉書を含む)を整理し、その成果をまとめたものである。その結果、焼失率が高く、犠牲者の多かった下町6区(神田・日本橋・京橋・浅草・本所・深川)を撮影したものが比較的多かったが、被害の大きさと写真の点数は一致していないことが、明らかになった。例えば、焼失率が低いのに写真点数は多い区域(麹町・下谷)や、反対に、焼失率が高いのに、写真点数は少ない区域(深川区)があるということだ。

 関東大震災映像デジタルアーカイブで公開された映像群を見ても、大部分の映像は、銀座~京橋~日本橋~神田~上野~浅草という「ビジネス・繁華街の軸線」に沿った風景で占められる。一方、東京市内で約85%の犠牲者を出した本所区・深川区については、「被服廠跡」の焼死体にだけは視線が集中したものの、それ以外にも無数にあった被災の様子について、地域の内部から撮影した映像はほぼ皆無だった。写真にもそれと似た、記録の偏りがある。
 写真や映像は、展示やインターネットなどで参照しやすい資料なので、それが「関東大震災」の何を、どれだけ表しているのか、注意が必要となるだろう。

 もう一つ、この写真集で興味深いのは、被害→避難→救援→慰霊→復興と、災害のタイムラインを意識しながら、写真の主題を分類していることである。映像が燃え盛る火災の中を逃げ惑う人びとを中心テーマの一つにしているのに比べると、写真では、それより少し遅れたころから、厚みのある記録が残っているように感じる。例えば、「救援」のテーマについて、いつ、どこで、どういう団体が、どんな活動をしたかをマッピングするなど、興味深い地図が作れるかもしれない。

 問題提起したいのは、「関東大震災の写真」分析の方法論だ。本書の写真には、著者による詳細なキャプションが付いていて、本書の目玉の一つとなっている。しかい、いつ、どこで、誰が撮影したという、いわゆるクレジットに当たる情報が、基本的に「ない」のはどういうことだろう?恐らく元の資料において、ほとんど失われているのだと思うが、すると、そこに「何」が写っているかを判定する上で、真にベースとなる情報はどこにあったのか?この点は、写真を記録として「読む」上では前提となることなので、ぜひ確かめておきたい。

 その上で、クレジット情報が本当に皆無かというと、それらしきものが見えるものもある。例えば、p.42「歌舞伎座附近」、p.45「厩橋」、p.58「帝大八角堂」、p.130「芝浦の救護品」、p.157「水天宮」。「黒地に青」という同じ様式で、写真の表面にキャプションが印字されている。おそらく、これらは、元は同一のコレクションに属する写真であり、それだけを取り出して並べると、撮影時の文脈を読み解くヒントが得られるかもしれない。逆に、経験を共有しない者が、目に見えるイメージだけから、そこに何が写っているかを特定するのは、とても難しい。例えわずかであっても、「元の写真に書かれていた文字情報」をできるだけ探索した上で、それが分からない領域についての推定が、行なわれるべきではないかと思うが、どうだろうか。

 昔、空襲の焼け跡写真を、体験者と一緒に見ていたら、こちらには漠然とした「灰色の地面」にしか見えない部分を指して、「ここを見ると、空襲の焼け跡だとすぐ分かる」と言われて、驚いたことがある。言われた部分を、何度見ても、こちらには一般の土の地面と何が違うのか、分からない。写真は、影響力の強い資料だけに。キャプションが、本当は存在しなかった文脈を生じさせてしまうことはないか、自分もそれを振る側として、気になるところだ。


小薗崇明・東京都慰霊協会『写真集 関東大震災』(西日本出版社、2023年)の表紙

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?