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連載 関東大震災映像デジタルアーカイブ・こぼれ話 第3回―復興映画のなかの関東大震災、記録の中断
関東大震災映像デジタルアーカイブにコラム「目の記録、聞こえない声―関東大震災の映像記録によせて」を寄稿しました。
https://note.com/shitaya_office/n/n364458d8b4fc
5回の連載で、コラムに書き切れなかった、「こぼれ話」を紹介します。
第3回は「復興映画のなかの関東大震災―記録の中断」
関東大震災映像デジタルアーカイブで公開された映像の一つに、1930年、復興局、松竹キネマ株式会社、大日本教育映画協会によって製作された『帝都復興』があります。この映像は、同年3月、東京の震災復興を祝う天皇の巡行(24日)と、帝都復興祭(26日)に合わせて、製作されたものです。
『帝都復興』URL
https://kantodaishinsai.filmarchives.jp/movies/m13.html
映像は「震火災編」で始まり、「計画編」「事業編」「完成編」で復興を描き、「御巡幸編」「完成式典」で終わります。このうち、復興のプロセスを描く前提として、冒頭に置かれた「震火災編」が、セットや役者の登場する「創作映像」によって作られていることに、驚きました。
実写映像も「引用」されてはいます。しかしそれは、「火災で燃え尽きる東京」に当てはまるイメージとして、断片的に引用されるということで、日時や場所、具体的なエピソードを伝える「記録」としての意味は消えています。「震災」の現実に根ざして、「復興」があったはずですが、「復興」した東京のどの風景が、「震災」とつながっているのか、映像だけからはよく分からないものになっています。
関東大震災について、虐殺された人びとだけでなく、災害の死者たちも含めて、具体的な被害を探ろうとすると、途端にもやがかかったように分からなくなってしまうのは、この都市を「復興」するプロセスのどこかで、あのとき、何が起きたのかを、日付と場所、名前を持った人びとの「記録」によって確かめる作業を、「中断」してしまったからではないかと思いました。
関東大震災映像デジタルアーカイブを見るとは、この「中断」されたプロジェクトを再開し、もう一度、「震災」のあった時点から、東京風景の由来を問い直してみること、「復興」によって潰えてしまったものを検証し、ありえたかもしれない、もう一つの未来を想像しなおすことにつながっています。
コラムでは、掘り起こされた映像記録をたよりに、「神田区今川小路界隈」と「本所区枕橋界隈」という震災の現場に注目し、何が起きていたかの一端を読み解いてみました。一読いただければ幸いです。
コラム「目の記録、聞こえない声―関東大震災の映像記録によせて」
https://kantodaishinsai.filmarchives.jp/columns/c10.html
関東大震災映像デジタルアーカイブ
https://kantodaishinsai.filmarchives.jp/
![](https://assets.st-note.com/img/1694692484277-ZjdbeiJC8k.jpg?width=1200)
関東大震災デジタルアーカイブより
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