改めて自己紹介をアップデートしてみた(個人編)
シロクロ製靴の中の人、伊藤 孝の半生を経歴的に振り返ってみました。
▼ 自己紹介
シロクロ製靴
靴や仕事への想いなどの重い話しはさて置き、こんな経歴の人なんだ。よく昔の話しを記事にしてるけど、この頃の話しなのね。軽い気持ちで読んで頂けると嬉しいです。
では、はじまりはじまり〜。
1975年7月、栃木県 黒磯市に産まれる。第一声は「おぎゃ〜」。(母、康子談)
もちろん実際には母親に私の産声なんだったとは聞いたことはありません。自分で言うのもなんだが、ちょーかわいい幼少期。
小、中はサッカー部補欠。高校は陸上部長距離に所属。駅伝のメンバーに選ばれる事なく卒業。
体が小さい(中学入学時身長133cm→卒業時153cm、高校卒業時163cm)以前に競争心、自主性の欠如が原因。監督にやれと言われた練習をただやっていればなんとかなると思っていた。
そりゃレギュラーなれんわ。他のメンバーも同じ練習をしているのだから。抜きん出るのにプラスアルファを考える意識が無かった。ただただ真面目。
自動車整備の専門学校に入学、卒業。
平和な田舎の公立高校から一転。
ヤンキー多めの工業系。一年時は全寮制。
ヤンキーこえぇ。絡まれても逃げれるな。
高校3年間の練習に感謝した記憶あり。
バイクの研究開発の仕事(派遣的に)に従事。
20歳より8年間在籍。
バイクこえぇ。速いし、転ぶと痛い。
センスが無いこと自他共に認める。
破天荒な人が多くいた職場。最高の職場だった。酒を覚えて、酒の失敗数知れず。
会社を辞め、製靴の専門学校に入学、卒業。
専門学校に計4年行ったことになるが
学歴は専門卒。大卒になってもいいのにな。
幼少からバイクに乗っている人には敵いませんな。(勝とうと思ったこともありませんが)
俺が幼少から続けていることってなんだろう。
「歩く」ことと「走る」ことかな。ならば靴を作ろうと決め入学。
(多分、その気づきが「寝る」ことであったら
今頃、枕か布団を作っていた)
卒業制作展の来場者票で1位となる。
ちなみに、卒業試験(学科)も100点。
通知表的にはC判定、D判定ばかりでしたが、
上記ふたつの理由を盾に、首席で卒業と学校関係者以外の人にはうそぶいていた。
人生のピークという説あり。30歳。
東京、足立区の製靴工場に入社。
現場のラインに入り靴を吊り込む日々。
親と同い歳の工場長ともバチバチとやり合う。
行き過ぎた真面目さゆえ。後輩から恐れられていたらしい。心外だわ。
靴業界の大好きな先輩達に出会う。
母校の製靴専門学校に講師(助手)として戻る。学生以上に学生な講師(助手)でした。反省。
今まで、どちらかと言えば肉体派の多い職場で揉まれていたので、アカデミックな人との
仕事はカルチャーショックばかり。貴重な経験。9割の学生からイトーちゃんと呼ばれる。
(休憩時間に寝ている私)
広島のスニーカー工場に転職。
以前より興味のあった工場の求人に手を挙げる。
私的には、また一から工場のラインに入って
靴作りの日々を送りたいとの希望でしたが、経歴が災い。靴のことなんでも分かる先生が来たと勘違いされ、設計部門に配属。
靴の設計(パターン)は大の苦手。地獄。
3年間毎日(誇張なし。本当に毎日)怒られる。地獄パート2。
周りからのあだ名は「先生」。ちょー嫌味。
地獄パート3。
専門学校の講師時には、ほぼ呼ばれたことがない。
一念発起して独立。奈良に工房を持つ。
(記念にテープカットしてみた)
なぜ縁もユーカリも無い奈良なのか。
私が提案した地元に帰ろう案は、妻の「せっかく広島来たのに真っ直ぐ帰るのはもったいない」という、ぶらり途中下車の旅的案により一蹴。で奈良。
知人の靴を作ったり、商品となる靴の試作を繰り返す日々。今までの経験が靴の製作工程の全容にはおよんでいないことを実感する。
足りない技術を埋めるため、できない自分と向き合う日々。
大阪の靴仲間との交流が始まる。
大阪は東京、神戸に並ぶ日本の靴の生産地。
東京の製靴工場時代の同僚(当時から優秀。今は専門学校の講師など。ひとかどの人)より、靴教室の講師の話しをもらう。
至らないところもままあったが、専門学校の講師時代よりは手ごたえ。教科書作りに着手。
(今後、自分で靴教室を開くかも。ひっそりと改訂にいそしんでいる)
(学生と教室の前で靴の販売イベント)
自分たち以外の、他の靴教室の方々との交流が始まる。大阪は横の繋がりが太い。
靴の材料屋さん、革屋さんとの関係も濃くなっていく。
その中のひとり、靴底加工の職人さんに弟子入り。貴重な経験。
(師匠の高橋商店の高橋さん)
コロナの影響で昨年で靴教室は休止。
自身の状況を整理して、シロクロ製靴の靴を作ることに専念。
ありがたいことに、仕事のお話しやアドバイスなどを頂きますが、まずは自分のやりたい形にシロクロ製靴を持っていくことが一義。気合いを入れるため年末に髪を刈り、今は坊主。風の時代の風をビンビン感じる。寒い。そんなこんなで今に至ります。
長くなりましたが、ざっとシロクロ製靴の中の人、伊藤 孝の人生を45年分振り返ってみました。以後お見知りおきを。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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伊藤孝|シロクロ製靴(奈良の小さな靴製作所)
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