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フワフワしたメッセージじゃなくて、ちゃんと世界を肯定したい

悲しみに満ちた、冷たいこの世界で、どのようにして人生を肯定しますか?


自分の人生を否定したら、あなたの負けなんだ

ブログとnoteで、ずっと人生について書いています。生きづらさにどう対処したらいいかとか、人生の意味ってどうしたら見つかるんだろう、といったことです。

「文句を言うだけなら子どもでもできる」ということがあって、これは仕事上のいざこざとか創作物に対する批評みたいな具体的なことだけでなく、人生全般への態度についても言えると思います。つまり、自分を不幸だと思うことは簡単だし、世界を否定することは簡単なんです。

世界がきまぐれで不公平で、圧倒的な不幸が存在するということは、私も否定しないです。私自身も、10代の頃からずっとこの社会で生きるということに苦しみを感じていましたし、長年の病気で普通に会社員として働くことを諦めることになったという経験もあります。病気について言えば、こうしたことは何も意味のない偶然で、私がたまたまハズレくじを引いたというだけの話です。

それでも、人生について何か意味を見つけるということは、人間に課せられた仕事なのだと思います。前向きに生きるということができたら、あなたの勝ちです。挫折して、諦めたのならば負けです。これはみなさんに課せられた仕事です。あなた自身の仕事なんです。

暗く冷たい世界の中で、何か温かいものを探す

私はよくあるポジティブ思考だとか、いわゆるスピリチュアルみたいな世界観はあまり好きではないです。「頑張らなくてもいいよ」みたいなメッセージも、無責任だと感じています。人生が暗くて悲しいとか、冷たく無機質であるという事実を否定したくないんです。現実を正しく認識しないと、現実に対処するということはできないように思います。

この世界は困難な場所で、温かい場所ではありません。ただ、その中にも希望はあって、それは温かい人間がいるということです。世間の人たちがこれだけ恋愛ということに一喜一憂しているのは、この世界のどこかにいるかもしれない温かい誰かを探すという、必死の行動なのだと思います。通常、それがうまくいくことは少なくて、相手も同じように孤独に苦しんでいて、すがりつくための何かを求めているひとりの人間なのだということに気づくことがあります。

温かい人を探すということは、恋愛という世俗的で妙に美化された、狭い概念で捉えられるものではないはずです。人間も動物ですから、求愛行動のスイッチが入れば、数ヶ月か数年の間は見える景色が変わるでしょう。でも、それだけです。人と関係を築くということは、もっと微妙で、静かで、それを得るためには長い時間のかかるものです。温かい誰かを探すという道のりは、あなたが自分の人生の意味を見つけて、自分の人生を肯定するという過程と、おそらく密接に関わってくるはずです。仕事で業績を残すことにも意味があるかもしれませんが、人はそれだけで自分の人生を肯定するということはできないように思います。人の人生には、他者が必要です。

他の誰かを照らす存在になってほしい

もしあなたが、他の誰かから「温かい何か」を受け取ったのなら、自分自身もまた他の誰かに「温かい何か」を届けられるようになるべきなんだと思います。ここで「べき」という言葉を使うのは、私の信念です。

人はどれだけ苦しんでいても、他の人間に対してはやさしくなければいけません。どれだけ世界が理不尽で無意味に思えても、生きるということに対して真剣でなければいけません。世界が冷たくても、あなたは何か温かい存在にならなければいけません。

人間関係には、お返しの原則があります。愛情でも関心でも、人は自分に何かを与えてくれた人に対しては、同じものをお返ししたいと思うものです。部分的には、自分が他人にとってよい人間になろうというのは、自分自身の幸せのための戦略でもあります。戦略というと、ちょっと打算というか、自己中心的なもののように聞こえますね。

でも、人間が本気になれることというのは、その人の内側にあるものだけなんです。本物の利他的行動というのは「私がそう思うからそうするんだ、自分が大切だと思うからそのようにするだけだ」という動機でしか起こり得ません。

あなたが自分を肯定し、世界を肯定し、他人を肯定できるようになることを望みます。あなた自身のために、周りにいる大切な誰かのために、本気で人生を闘い抜いてください。

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