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伝達不可能な知識と、それでも伝えるということ

自分が本当に感じていることを、言葉で他人に伝えることは可能だと思いますか?


言われて理解するなんてことはない

困難な人生をどのように肯定するかということについて、noteやブログで書き続けています。なるべく多くの人に読んでもらって、役立ててほしいと思っていますが、実際にこれが心に届く人の数というのは、かなり限定的なのではないかと感じています。

ここには私の文章の表現能力の問題や、ネット上で情報を広く届ける力が足りていないといったこともあるのですけど、もっと根本的な理由があります。それは「体験に根ざさない知識は、その人にとってさほど役に立たない」という事実です。

人間って、腹に落ちるまでは何も理解しません。人の心なんてわからないものだとか、失敗しても結果がすぐに出なくても努力して続けることが大切だというのは、誰でも知っているし、誰でも言えます。人間にとって本当に大切なことというのは、その多くが、言葉にしてみれば別に何も特殊なことではないです。ただ、それを本当の意味で理解するということはとても難しいし、現実にそれを実体験に基づいて理解し、納得しているという人は、いつでも少数派です。人は言葉を使って何かを書いたり話したりすることができますが、この体験と理解というものは、どのようにしても伝達できません。

誰かの心をちゃんと理解したいという強い想いがあって、実際にそのように努力して、ほんの一瞬、心の底からわかり合えたと感じられる瞬間があります。逆に、恋愛関係などでよくあるように、何年間も親密な時間を過ごしたはずなのに、実はお互いのことを何ひとつ理解していなかったのだと最後に気づかされることもあります。実際のところ、私たちは本当に、他人のことを全然理解していないのです。それでも、他人を理解するということを諦めずにいられるでしょうか?

繰り返しになりますが、これはすごく難しい過程で、それをとことんやれる人というのはほとんどいません。それを頑張るように、あなたを励ましてくれる人もいません。これはあなた自身の仕事であって、あなた以外にそれをやってくれる人は誰もいないからです。

悩むことそれ自体の意味について

「悩んでもしょうがないよ」と言われて、それで悩まないことができたら苦労はしないってば、という話がありますね。

悩むということについて考えるときには、押さえておくべきポイントがいくつかあります。第一には、「悩む」と「考える」の違いです。考えるということは、問題を上手に理解して具体的な対処方法を作っていくということですが、これに対して悩むということは、同じ言葉が頭の中をぐるぐると回っているだけの心理的・感情的な混乱の状態を指しています。また、何か新しい情報を得ることなく、同じことを考え続けるだけで新しい答えが出てくるということは原理的にあり得ないので、気持ちを切り替えて、悩むのをやめて行動しようという考え方もあります。

これらの点は、悩みに対処するための実用的なテクニックですが、私は最近、悩むという行為には、結論を出すということとは別の意味があるのではないかと感じています。悩むというのは、自分の中で何かを消化する過程です。それは外部から何か新しいものを取り入れて、自分自身の心の構造を変化させる過程でもあります。悩んだ結果として出した答えだけが重要なのではなくて、悩むということそれ自体が、あなたの中で進行するプロセスであり、そうすることはあなたにとって現実に必要なことなのです。

生きていく上で悩みたくないというのは、噛まずに消化できるゼリーだけを食べて生活したいと思うようなものです。それでは人間らしい食生活の豊かさというものはまったく失われてしまいます。悩むことがないなら、あなたが本当の意味で変化するということはあり得ません。

これは、人は苦しんで成長すべきだという精神論の類いではないです。もっと現実的な、運転方法を習ってない乗り物には乗れないとか、お金を払わなければ商品は買えないといった、そういう世界の仕組みに関する話なのだと思います。

悩むということを避けないでください。他人の言葉を安易に受け入れてはいけません。私が伝達不可能な事柄について語ろうとするのは、それをあなた自身に考えてほしいからです。

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