下手でいいから何かやるんだ、何もなさずに墓場まで行くつもりか?
それを始めてください。あなたが何かをしてもしなくても、あなたはそのうち死んでしまいます。
私が尊敬する人たちについて
このような場所で「自分の考えを書く」ということに真剣に取り組むようになってから、人前で何かをやっている人間に対するリスペクトが増した気がします。
私は昔から、自分で何かをやるのが好きなほうです。10代の頃にはプログラミングを覚えて、いろいろなゲームを作ってネット上で発表していましたし、実生活では楽器を弾くので、ときどき人前でライブをしたりもしています。チラシとかも自分でデザインして配りました。
これは別に私が創造性に溢れた人間であるということではないです。ずっとパソコンとネットに向かっていたのは、リアルで信頼できる友達が周りにいなかったからだし、もう少し社会適応できるようになってから始めた楽器だって、不器用な私が友人関係を構築するための数少ないツールとして使っているような面があります。人間は何かで本当に行き詰まると、他に抜け道を探しますからね。
そういう背景があった中でも、この「書く」ということに向き合ってからの変化は特別だったように感じます。私が物書きをしようとする以前から、普通に会社員をやりながらプロ並みのライブをやるような音楽仲間はいましたし、別の仕事をしながら絵描きをして個展を開催している友達だっています。そういう人たちを尊敬しているのは、以前から同じです。なぜ今になって、私の中に別の変化が起こったのでしょうか。
この人は本当のことを言っているのだろうか
私が「書く」ということで扱っているのは、人が自分の人生をどのようにして肯定するかという、私が私であるということの根幹に関わっている領域についてです。最近の変化が私にとって特別だったのは、以前から人生について真剣に考えているつもりだったところを、もっともっと真剣に考えるようになって、それが持つ説得力というものについて意識するようになったからだと思います。
口で言うだけなら何だって言えますよね。何だって言えます。そこに説得力があるかどうかは、その人が実際にどう生きているか、実際にどのような姿を見せているかということによって決まってきます。そこに嘘があれば、それは見抜かれます。人はそういうことってけっこう気がつくので。「背中で語る」という言葉が昔からあって、これが言葉での説明を放棄するという意味ならばそれはよくないですが、言葉の外にある説得力というものは現実に存在します。
私が身近にいる表現者たちの中に見たのは、この説得力とも言うべきものです。この人たちは人前で何かをやっている。ラクなはずがないことを、華やかでもなんでもない日々の地道な鍛錬と試行錯誤を、ちゃんとやっている。お金になるのかどうかも確かでない、報われないかもしれないことを、本気でやっている。この人は嘘をついてない。自分自身にも、他人に対しても。すごい。本当にすごい。
それで、あなたの舞台はどこ?
こうした人たちは、あなたや私とは違う特別な人間なのでしょうか。本当にそうでしょうか。このネット社会で表現者になるためには、別に会社員を辞めてすべてを賭ける必要なんてないはずです。
他人の言葉を借りないでください。自分の言葉で語ってください。外野の言うことは放っておきましょう。それは本当にどうでもいいことなんです。上手いとか下手とかは関係ありません。それもどうでもいいです。今すぐ始めてください。よそ行きの服を着て、外に出てください。早く舞台に上がってください。そこで踊り始めてください。
読み流さないでください。
あなたの人生が終着駅が墓場だけだとして、その前に何をするかということは本当に重要です。早く舞台に立ってください。あなた自身の舞台のことです。今すぐそれをして、あなたにとって嘘でないものを見せてください。
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