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一歩踏み出せるのなら、きっとその先も行ける

「いつかやりたい」と言いながら、いつまでもそれを始められない人がいる一方で、さっさと道具を買ったりどこかの教室に申し込んだりして、その場でそれを始めてしまう人がいます。何が違うのでしょうか?


「早くステージに立て」と伝えたかった

先日、私にとって最初の本として「社会人のための楽器の継続と上達の手引き:練習の習慣化から、音楽性を深めるまで」を公開しました(以下「この本」と呼びます)。noteの有料マガジンと、Kindle向け電子書籍として公開しています。さらに「制作ノート」と題したおまけ記事で、制作の裏話を書きました。

今回の記事はこの本の宣伝ではなくて、執筆途中で思い浮かんだ、ある大切な視点についてです。

この本では、楽器に上達するための重要な考え方のひとつとして、「いつか上手になったら人前で弾いてみたい」と夢見ることをやめて、とりあえず曲を通しで最後まで弾けるようになったら、もうその時点で思い切って人前に出てしまおうということを提案しています。そのようなことに適した場として、ピアノ教室の身内だけの発表会とか、カフェなどに自由に楽器を持ち寄ってマイクの前で弾けるオープンマイクなどのイベントがあります。

こうした場では、「間違えることもあるよね」ということを全員がわかっています。自分の他にも、楽器を始めてから間もない初心者の人がいて、同じようなドキドキした気持ちでそこにいます。人から高いお金を取って演奏を聴かせるわけではないですから、ミスをするということに対してそこまで神経質になる必要はありません。

それでも、最初はものすごく緊張するはずです。指が震えるくらいにです。それでいいんです。楽器教室で教えている先生も、イベントの場で何も身構えずに人前で楽しそうにパフォーマンスをしている人も、やはり最初はそうだったはずです。

あなたを受け入れてくれる人間の存在について

私が「早めに人前に出よう」という考えに至ったことには、幸運な偶然が関わっています。それは私が名古屋市近郊のアイルランド音楽のコミュニティという中で、とても温かい人間関係に恵まれたということでした。一緒に弾いてくれるめちゃくちゃ上手い楽器友達とか、こちらが素人だと知っているのに出演の話を持ってきてくれる音楽好きのカフェのマスターとか、初心者時代の私を助けてくれた人はたくさんいました。これには今でも感謝の気持ちしかありません。

人間って意外とやさしいんだなっていう事実があって、たぶんこれはあなたの周りでも同じです。ただ、これは出会いと環境の偶然が絡むことでもあるので、全員が同じようなレベルの支えを得られるはずだと言うつもりはないです。

それでも、勇気を持って人前に出ていくことの重要性は無視できないと感じます。音楽以外にも、文章を書いたり、イラストを描いたりといったさまざまな表現を行う人たちがいて、これらの分野における「人前」というのは、この令和の世では主にネット上の活動です。SNSなどを通してあなたの作品を見てくれる人たちがいて、うまくいけば一部の人たちはあなたのファンになってくれます。普通に書店に並ぶ商業誌に掲載されたり、自分自身の名前で単行本を出したりというのは、もう少し先にある話です。

何かの分野でプロになるというのは、創作表現自体のレベルの高さというよりは(それはそれで必要でもありますが)、人生における選択の話になります。プロになれるとかなれないというのは、あなたが本気で何かをやりたいと感じたときに、そこに判決を下すような種類のものではありません。

楽器をやるならば、一緒に弾いてくれる音楽仲間ができて、その演奏を楽しんで聴いてくれるお客さんがいます。イラストを描くのならば、SNSでいいねを押したりシェアしたりしてくれる人たちが現れて、絵を描くということが好きで好きで仕方がないような仲間とも繋がれます。

それが欲しくないでしょうか? 当然、それを得られるのは、勇気を出して一歩踏み出した人だけということになります。

舞台の上にいるのは、特殊な人間ではない

最初の一歩を踏み出せるかどうかということを考えるなら、何がそれを分けるのでしょう?

正直、これが何なのかというのは私にもわかりません。私自身は、人からどう見られるか、どう思われて何を言われるだろうかなんていうことは、どうでもいいと思っています。自分が何をしたいかということのほうが、ずっと重要です。

ただ、私の中にも「理屈では気にしなくていいとわかっているのに、どうしても気になってしまうこと」というのは存在しています。自分のやったことを人に見せるのが恥ずかしいとか、失敗や批判が怖いという気持ちがあるのなら、それはその人にとって本当のことなのでしょう。怖いという人に「怖くないよ」と言ってみたって、それで簡単に打ち消すことができるなら、誰も苦労しないです。

そうであるとしても、実際にその先の世界を見た人から、何か言えることはあるのではないかと思っています。それは「なーんだ、こんなことだったのか!」という感覚の存在です。人前で何かをやっている人というのは、特殊な人間ではないんです。ちゃんと努力して何かを積み重ねて、どこかのタイミングで勇気を出して、その舞台に上がったというだけのことです。これは、あなたが勉強や仕事の中で実際に行ってきたこととさほど変わりません。

この記事を読んでくれている人の多くは、おそらく社会人でしょう。新卒の就職活動のときのことを思い出してください。ものすごく緊張しませんでしたか? 将来への不安で、毎日押し潰されそうではなかったですか? それでも、あなたはそれをやり遂げました。やってみたらできるんです。駅で見かける普通のおじさんやお姉さんだって、みんなそれを潜り抜けてきたんですよ。

当然、失敗もあります。そしてそれは、けっこう傷つきます。かなり傷つくと言っていいかもしれません。ここで嘘をつくつもりはないです。それでも、それはやる価値のあることです。

「何も無駄にならない」って気休めの言葉じゃない

「本当にやりたいこと」について考える上で、ごく普通の就職活動の例を出したように、人の人生経験っていうのは、考え方次第ではかなりの部分で応用が利きます。

たとえば私自身のことを話すと、自分にとっての「人前で何かをやる」ということを考えたとき、そこにはネットとリアル、趣味と職業という2×2のマトリクスができます。10代の頃に家でプログラミングを覚えたときはネット×趣味の活動でしたが、これがシステムエンジニアという職業になって、リアル×職業に変化しました。成人になってから始めた音楽活動は、リアル×趣味に当たります。そして現在、こうやって文章を書くという活動を本格的に行っていて、この記事の冒頭で触れた1冊目の本を出すことができたので、これはネット×職業の領域で今まさに成立させようとしている領域です。

こうした経験は、私の中ですべて繋がっています。文章を書くこととプログラムを書くことを考えれば、「思考を整理して記述するという点では、意外と共通項があるよね」と言うこともできます。しかし、楽器を弾くことは特に関係がなさそうですよね。それでも、やっぱり何かを努力して習得していくという大きなくくりで見れば、それは確実に繋がっているんです。これらのことにはいずれも、最初の一歩がありました。それも今では、私にとっては毎日コーヒーを飲むことと大して変わらない、ごく普通のことばかりになっています。

今、2×2のマトリクスという視点が出てきましたね。これもビジネス書とかでよく出てくる考え方です。これは頭を使って仕事をする人には普通の知識で、私は学生の頃に経営学かそれに類する分野の教科書で知ったのかなと思いますが、正確には思い出せません。これが今になって、私が本当にやりたいことである「人に何かを伝える」ということの道具として役に立っています。特別な道具ではなく、日本語を使うことと同じ、ごく当たり前の道具のひとつとしてです。

何も無駄にはならないんです。これはこじつけではありません。本当にそう思います。

話が長くなった! まとめるぞ!

若干、話の筋がとっ散らかってしまったような気もしますが、私が伝えたいのはこういうことです。早く始めよう。人前に出ていった人たちは特別な人間ではない、あなたにもできる。勇気を出そう。あなたのやったことは何も無駄にならない。

結局、私がものを書くことで伝えたいと思っているメッセージはそれだけであって、私はそれを楽器や仕事、あるいは人間関係や心理学の話題とか、個別のテーマに結びつけて書き続けているだけです。世界は複雑で、何事も単純明快にはいきませんが、本当に大切なことというのはそんなに多くはありません。

何か感じることはありましたか? やってください。私はそれを応援しています。頑張っていきましょう。

最後に一言。最初に載せたリンクの本を買って読んでくれると、私はめちゃくちゃ喜ぶからね!(結局宣伝だった!)

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