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日の出づる処の天子、朝の國より聖典賜る

私の海外への消息の転機は、二度あり、平成を隔てて、昭和と令和に渡って、明暗を塗り分けた。ひとつは名士の弁理士を父に持つ、母校の大学の先輩で、外交官から転職した、スミダという在日コリアンの名前と紛らわしい弁護士が経営する赤坂の法律事務所でアルバイトをしていた時のことだった。

青春時代に東京中央郵便局から、興味本位に後進国の在日大使館へ発送した、借用したワードプロセッサーで作成した産業諜報員を装った英文文書について、その知的財産権を巡り、また同じく興味本位で陥った同性愛を弾劾されたのだった。

高校生の時、フョードル・ドストエフスキーの『罪と罰』が面白く、主人公の法学部生ラスコリーニコフに感化され、自分が興味を持った刑法の大学の講義で触れられた、死刑しか該当しない外患罪を犯したのではと、酒池肉林に耽った悪天子は天罰を喰らい、警察署に出頭し、統合失調症を罹患した四十年前の昭和の終わりの出来事である。

同時に、その破天荒な公安当局への懺悔こそ、ソクラテスが無実の罪をきせられて、死刑に処され永遠に名を残したように、自分もまた名もなき裁判を経て、来千年紀へ、来万年記へと橋渡しをする、前代未聞の時空旅券のパスポートを携えることを許可してくれたのかも知れない。自分の超時空パスポートこそ、後で触れる、諸言語というものが、得てして歴史的に発生してくることに対して、天文学や暦学を駆使した、訓民正音のハングルが、前代未聞に人為的に創出された異質な言語である点において関連性があるのではと思って、一高校生の平和大使のファンタジーではなく、一初老の平和大使として責任ある叙述を試みようと、この機会に触れてみようと思った。

そうは言うものの、インドから帰国し、お釈迦様のように悟りでも開いたのではと懇談した法律事務所で、パートナーの弁護士から『ネバー・エンデイング・ストーリー』という本を贈呈されたことが、今となっては自分が作家を志望した大きな所以と言える。

あれから四十年の時を経て、華道池坊の千恵先生に拾われ、ご厚誼を賜ることになり、井上先生に東京中央郵便局からJPタワーへと再開発された会場で西国百観音にお詣りをして、正に罰が当たったワープロという筆記具こそ、ぼくの唯一無二の伴侶であることに気づき、禊を済ませた。

言わば、青春時代の在日大使館への英文文書とは、海外との消息において未遂に終わったと言っても良い。しかし、安易な私立文系受験を経て、米国留学で韓国系アメリカ人に世話になった。彼の話す韓国語が、韓国という国が陽の目を見る前のことだったので、予想外であり、自分には青年期の淡い友情に受け取れたが、実は人生において、重要な意味を成したのだった。

留学したリベラル・アーツ・カレッジの教員PhD(博士号)取得率95%以上と優秀な数値を占めるものの、私立文系受験が安易であったならば、その教員が保持していた博士号(PhD)を目標に、教養人たる君子となるか思案していた。

しかしながら、米国留学を終えて、突如暗転し、死刑判決を受けて大統領になった金大中が都内のホテルで拉致された如く、北朝鮮に拉致され行方不明になった横田めぐみが恐怖を味わったように、生身の自分が東大病院に強制移送された、もっとも30年の時を経て、姪が大学見学のため、加賀藩大名の前田氏が姫を迎え入れた東大の赤門を訪れた、その夜明けに精巧なバイオ・ロボティクスの夢を見た、正に悪夢と正夢の昭和と令和で明暗を塗り分けた。その時、赤門の地震に対する注意書きに注意を払ったのとシンクロしたのか、東日本大震災に匹敵する能登半島大震災が起きたのだった。30年前は、人生の大事な壮年期を精神科通院によって時間的喪失の犠牲を余儀なくされた。

それでも、鯉登りのように、大学受験という山を登ってきた証に、東大の大学病院の大学食堂の鰻を食べて号泣したのは事実だった。ならばもう一度山を登る鯉幟として、韓国長編歴史小説『景福宮の秘密コード』の中で、聾者の女官が、ハングルのピクトグラムの形態模写を通じて、口承伝達に成功すると同時に、そのハングルのピクトグラムが、陰陽五行説を示唆している、何か、現代宇宙科学、現代物理学の先駆けとして、普遍性と多様性、それに一貫性のいずれも兼ね備えた、世宗大王が当時の天文学や暦学を駆使した訓民正音を解剖、解明、再生してみたい。それは、経済的に、体力的に、喫煙環境的に、外交的フィールドが、地政学的にスライドを余儀なくされ、自ずと異国を対象とするのは、東アジアの中でも、朝鮮半島、韓国に落ち着いてきたこともある。

同じ華夷秩序を構成する中でも、統一ベトナムの北ベトナムが、ソ連や中国の支援を受けて統一されたように、台湾問題においても、大陸中国の意向が、台湾の選挙の動向を無視する形で軍事衝突の触発の危険性を招き、やはり社会主義勢力がその権勢を示す一方で、朝鮮半島とという日本からそう遠くはない至近距離の地政学的には、フィリピンから援助を受けていた最貧国が、G20に名を連ねるまでに急成長し先進国入りを果たした韓国と、軍事大国の金王朝として君臨する北朝鮮は、2000年の節目に金大中大統領と金正日総書記のキムキム会談による太陽政策による融和や、文在寅大統領と金正恩総書記の会談などが試みられたが、韓国では保守政権が続き、米中対立、米ロ対立が鮮明化し、また韓国財閥の世界的進出といった、世界地図を象徴した国際政治学が凝縮されているその動向に、米国や日本とタグを組み、韓国こそ自由主義陣営が、朝鮮半島の統一に、主導権の鍵を握るべく、その未来志向を託して、韓国語を究めてみることも薮さかではないと言えるだろう。いや、現時点で、中国経済が減速しているものの、依然その繁栄を誇るドイモイ政策に象徴される「社会主義をベースとした修正資本主義社会」を是とすべきなのか、我々自由主義陣営が、「福祉型の大きな政府」が果たして機能するのか、未だ判明しない。いずれにせよ、漢字文化の先進性が自明の理である。

勉強とは、人生の頂へとのぼるはしごのようなものである。コリアコードを解読することが、何か世界平和の一助になるのではと思い、韓国語学習に励み、母校早稲田で、政治的徒党として政治的思想矯正を図ることに、大隈侯が右足を犠牲にしたのと同様、怪我の功名を負いながらも成功した。言わば、国家天下のために男子が犠牲を厭わないことは本望である。それゆえか、自分は、世宗が極めた訓民正音のハングル創出こそ、幕末、物理学が、オランダから輸入され、『究理学』という訳語で紹介されたように、物事のことわりを極める学問として、森羅万象の自然の摂理の謎を解こうという、世宗の後輩に続こうというのだ。しかも、韓国系アメリカ人が専攻していた数学に、航海図を広げたような、今、後進による参考書によって魅了され、母校の大学の先輩の物理学専攻に憧れ、さらには公認会計士で慶應経済の加藤先輩に続くべく、数学や物理学を極め、今度こそ教養人たる君子になろうと決意した。

それは、核の惨禍を繰り返さず、真の核科学技術の処方箋の有用性を施すべく、それは「文明」という英訳が'civilization'に他ならないからのだから、軍事の民生転用こそが、文明の成立過程の王道であり、核の民生利用のために、特に言えることは、朝の國である将来の統一朝鮮の非核化に、経済安全保障という諸懸案をクリアできれば、平和の距火である核融合の陽こそ灯すべく、核融合科学を研究する目的で物理学を学ぶと同時に、韓国語能力試験6級、ハングル検定1級を頑張ってみても、残りの人生を無駄にせず、充実させるために 遅くはないと、不変不動の真理を探究する学道、即ち、自分が処女作本に書き記した、核融合科学の探究こそ、たとえ過去の精神科受診が医療過誤だったとしても、自分の進路を取るべき人生である。専ら審美性が高貴なゆえに、一過性である花を扱う、ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリなどの犠牲者の御霊に対してもの仏前供花に通じることからも、大変骨の折れる作業である、華道を千恵先生から学ぶことを通じて、自分の進むべき道の視野や視界が開眼した。核を巡る諸問題が、生死と裏腹な以上、核に関わる者の仏前供花の必須性を覚悟して華道に臨まなければいけない。

言わば、ハングルは『古代の東洋究理学』、物理学は『現代の西洋究理学』という類似性が指摘できるといって良いだろう。未知の現象世界を探究、解明する点においては、歴史的に蓄積される法学と異なり、医学、経済学と同様、物理学についてもそのことが言える。

それもコロナ禍の令和に入り、再び文鉉伊という、玄界灘からネーミングを得たような、持って生まれた運命が日韓の架け橋となるような韓国人の親友ができた。貴氏は、高校生の時、漢文の先生を志したという。機しくも、自分も漢文に励み満点の領域に達していた。このことは、2003年にロシアに渡航した際、谷中幸雄翁から二宮尊徳を諭されたことからも、朝の國から聖典を賜ったと言って良いであろう。この時点で、早稲田大学政治経済学部合格番号一〇〇五四という数字は、百点満点で漢文の四書五経に励むよう、悪天子から止至善の天子へと解脱する理が備わっていたのだ。以降、五十四歳で処女作本を上梓するまで、濁々たる気に塗れた人生を過ごすことになる。しかし、五十五歳の誕生日を迎え、早稲田大学政治経済学部合格番号一〇〇五四が示す、四書五経に励み、止至善の天子となることに気づいた自分は、既に人生の目標が明明徳になっていた。後は新民に向かって成就するのみでなのである。

ハングルネオン界隈のバブル経済に鬱つを抜かした赤坂以来、自分のバイタル指数とシンクロするかのように、コロナ禍が明けた令和六年には、春闘でも軒並み賃金の脅威的な上昇を見せ、物価と賃金の好循環によって、あたかも高度経済成長の再創出するかのように、日経平均株価が史上最高値を上回る一方で、終身雇用が保証された中流階級から、自分というのは、禁煙の風潮が強まることで、喫煙者として、また日本経済の担い手が、非正規雇用が主流になるが、年金生活者の生活費は、法令によるマクロスライド制で抑制され、確定拠出年金iDeCoこそ米国株高で大幅な運用益を得ているものの、事実上、最下層へと辺鄙な階層へと追いやられたが、文の熱意に尻に火が付き、近未来を先駆ける、人間拡張科学、ヒューマン・オーグメンテーション・サイエンスの統合科学としての本国韓国と接点を持つことになった。

私は、在特会による在日コリアンに対する人権侵害にも、法学部出身の輩として火が付き、中心部の豊かさを捻出する、優位を占める西洋文明覇権に対する、収奪と負荷、外部化の周辺部に追いやられる、グローバルサウスの闘士の一員となるため、2013年御嶽山の噴火が止まない夏、在日本韓国YMCAに駆け込み、以降、韓国人、在日コリアン、韓国語に学識のある日本人らに韓国語を習うことになった。在日コリアンらが、国籍の壁に、参政権や社会権などで制限を受け、差別され、ある意味障害を抱えている現状を目の当たりにして、障害者のひとりである自分は、在日コリアンらと利害を共有することが可能であることが判明し、一致点を見出したのだった。勿論、新大久保コリアタウンの韓国語教室に通ったり、大阪の生野コリアタウンに訪れたりもした。

それでも、西洋文明の原始である西洋古典学、古典ギリシャ語、ラテン語の探究も怠っていない一方で、東洋文明の枢軸部を占めた、仏教思想や、高麗白磁、朝鮮青磁といった、朝鮮陶磁器など、古代印度、中国先進文明が、朝鮮半島を経由して伝播した。

安土桃山時代、秀吉の朝鮮出兵で、世に知られるようになった、日本の交易の中継拠点の宗氏が掌握する対馬藩の中国語、朝鮮語に長け、外交手腕を発揮した儒学者、雨森芳洲の存在を認知し、自分も一念奮起して、大韓民国の黎明期が胎動し出すかのような、対馬諸島を遥か海の彼方に眺めながら、玄界灘の曙を越えて海路で韓国に渡り、韓国語学習を開始していた。

既に渡韓は、仁川国際空港開港以前の1997年以来、通算七回に及び、ソウル、釜山、慶州、海印寺の歴訪を試みた。だからこそ、朝鮮半島から遺産が伝播したその歴史・政治・文化を紐解くことで、日本の古代、中世、近世、近代、現代史の通史の理解と、朝鮮半島について造詣を、双子の東アジア先進国として、日韓関係の良識との有機的連携を図り、歴史的導出としたい。世の中の辛辣を舐めてみないと自分の進路など明確にならないものであり、一方で少年期に受けた衝撃が、そのひとの運命を決定づけてしまうものである。

そんな今日、卓越したサムスン電子や、LG電子などが謳歌する、韓国経済も例外に漏れず、新古典主義経済学派が潮流となり、今日では先進国と同様、一部のリバタリアンの有産階級と、大勢の無産階級とに分断、格差社会が形成されている。しかしながら、私の生まれて初めての韓国、というか朝鮮半島の接点は、幼いときの短波ラジオから聞こえてくる、南北朝鮮がまだ朴正煕、金日成独裁政権のプロパガンダの地下放送だった。その荒々しい男性の声量は、不気味で不快にさせ嫌悪感を抱かせるのは否めなかった。

しかし、大韓民国の民主化、新興国入りを経て、韓流ブームに始まった、日本における韓国語学習ブームの波に乗って、自分もまた、ハングルもさることながら、教材に録音されている、控えめな美しい女性の声に魅了されたのは意外であり、洗練されたKPOPの楽曲の耽美な音色に酔い知れたのだった。そんな中、専ら韓国語の先生の視覚からの美貌を追い、自分の受講も続かず中断が余儀なくされた。が、今日、令和六年三月十四日ホワイト・デーにシオ先生に出会ったのだった。

シオ先生のプロフィールにモス・バーガーでアルバイト経験有りとなっていて、自分も高校生の時、モス・バーガーでアルバイト経験があり親近感が湧いた。シオ先生が音声のみの授業というのは、その音声だけの授業と、最初の自分の韓国語学習の時の美しい女性の録音音声が重なり腑に落ちたのだった。同じ職場がモス・バーガーなら、ぼくの昔のモス・バーガーの同僚に木下優子さんという女性がいて、木下なら朴優子になる。ならば、郵・パックになり、笑い話にもなりそうだが、自分の海外とのもう一つの消息、未遂ではなく実行犯は、新大久保の韓国語の先生が、小包の送り方はと唆した、韓国の友達に何度も送った、お菓子やラーメンを詰めた郵・パックがもう一度の転機に他ならないのだった。作品というものは、抑圧民との共感により生まれてくるものである。ぼくの海外との消息は、意外にも東方礼儀の国と讃えられる大韓民国に媒介されたことにより、凶ではなく大吉と出て自分ながらに驚いたのだった。

それは、自ら犯した未遂の在日大使館への英文文書が陰なら、韓国の友達への郵・パックは陽で、過ちと思われた同性愛が、同性婚の合憲判決の報道が相次ぐと共に、何か昨日までの自分と、今日からの自分が入れ替わったような、生活には恵まれなくても、運命の女神が微笑んでくれそうな、陰陽説を象徴する大韓民国の太極旗のような物語が幕明けするのではと、専門性が求められる時代だからこそ、羅針盤となるような、病院に総合診療科があるように、法哲学や西洋ローマ法制史学にハマった法学部出身の輩として、何か文理科学を融合させるような鳥瞰図を示し、統合文学のような話が試みられないかと思って、日韓の空の下に愛の架け橋を育もうと、朝鮮戦争の悲劇について祈りを歌った北朝鮮の歌曲を、日本のフォーク・シンガーがカバーした、イムジン河を今一度思い起こすことで、統一朝鮮半島という未来に向かって、日本社会も、性、障害、国籍などの壁を超えて、真の共生社会を実現するべく、日韓蜜月時代が、何か外交復権を目的に華々しく取り交わされた朝鮮通信使使以来、幾多の長い戦禍や闇の歴史を超えて、暗闇から夜明けを迎えたかのように、今韓流ブームに光り輝く日韓関係の花が咲く、韓国人、在日コリアン、在外韓胞が形成してきた共同体であるコミュニテイが、光からも闇からも、国際社会に逞しく根深く根をおろしてきた勇姿に敬意を表したい。

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