マガジンのカバー画像

#美の来歴

39
古今の美術作品と歴史のかかわりをたどるエッセイ。図版と資料をたくさん使って過去から未来へ向かう、美の旅へようこそ。
運営しているクリエイター

#美術評論

美の来歴㊹  留学生森鷗外が秘めた日本人画家の恋 柴崎信三

美の来歴㊹ 留学生森鷗外が秘めた日本人画家の恋 柴崎信三

〈うたかたの記〉とバイエルン国王ルートヴィヒ2世の謎の死

 陸軍二等軍医という身分でドイツへ留学した鴎外森林太郎が、ベルリンからミュンヘン大学へ移ったのは1886年3月、24歳の時である。首都ベルリンの張りつめた空気と責務から逃れて、バイエルンの香り立つ春は青年の心を緩やかに解き放った。
 『うたかたの記』は、そのころの青年鴎外が各国から同じミュンヘンの地へ留学してきた画学生たちと〈カフェ・ミネ

もっとみる
美の来歴㊷ 宮廷家族図が映すスペインの黄昏  柴崎信三

美の来歴㊷ 宮廷家族図が映すスペインの黄昏  柴崎信三

フランシス・ゴヤ『カルロス4世家族図』の魑魅魍魎

 そのころ、54歳のフランシス・ゴヤは宮廷首席画家という地位にあった。高給と自家用馬車があてがわれ、国王一族らの肖像画や教会の装飾画などを一手に引き受けたが、10年ほど前にアンダルシアのカディスでかかった疫病が原因で聴覚を失っていた。
 国王カルロス4世や王妃のマリア・ルイーザとマドリードの宮殿や夏の避暑先であるアランフェスの「農夫の館」で会う時

もっとみる
三島由紀夫という迷宮⑤    金閣炎上と〈肉体改造〉            柴崎信三

三島由紀夫という迷宮⑤ 金閣炎上と〈肉体改造〉      柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人➎

 日本研究者のドナルド・キーンは、〈日本的なもの〉といわれる美意識の源泉を室町幕府の八代将軍、足利義政の事績に求めている。応仁の乱の原因を作り、政治的にはほとんど統治能力を欠いた人物と今日では見られてきたが、銀閣(慈眼寺)を建立し、雪舟をはじめとする当時の画家たちを支援した。連歌や能楽の振興など「東山文化」を生み育てた〈文弱の王〉である。

 「暗示」と「不均衡」と「

もっとみる
三島由紀夫という迷宮④ 〈アルカディア〉は何処に              柴崎信三         

三島由紀夫という迷宮④ 〈アルカディア〉は何処に     柴崎信三         

〈英雄〉になりたかった人❹


 初めての「洋行」で巡った欧州の経験の最初の具体的な結晶が、二年後の1954(昭和29)年に発表した小説『潮騒』である。
 作家が遺したおびただしい作品群のなかでも、『潮騒』の特異性は際立っている。もちろんこの純愛小説は、流行作家になって活動の幅を広げてゆく三島がエンターテインメントとしての作品の画期をなし、それがベストセラーとなって繰り返し映画化されるなど、同時

もっとみる
三島由紀夫という迷宮③   「太宰さんの文学は嫌いです」                 柴崎信三

三島由紀夫という迷宮③ 「太宰さんの文学は嫌いです」 柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人❸

 終戦の年に20歳の三島由紀夫が書いた短編小説『岬にての物語』では、11歳の彼が家族とともに避暑に出かけた外房の鵜原の海岸を舞台に選んで、白日夢のような奇譚が語られる。
 母と妹と書生とともに避暑で訪れた房総の海辺で、11歳の主人公の少年は散策の途中、別荘の廃屋から美しいオルガンの旋律が流れてくるのを聞く。誘われるように中へ入ると、ひとりの青年と美しい少女に出会い、か

もっとみる
三島由紀夫という迷宮②     ダンヌンツィオに恋をして           柴崎信三

三島由紀夫という迷宮② ダンヌンツィオに恋をして      柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人❷

 毎年師走が近づくと、半世紀前の〈あの日〉の市ヶ谷台を包んでいた異様な熱気と興奮を思い起こす。                        

 現場に到着した時、上空ではまだ取材ヘリの爆音が響いていたが、すでにことは終わっていた。バルコニーに立った三島由紀夫の最期の演説を聞いた自衛官たちは三々五々前庭から立ち去り、東部方面総監室の前の壁面に〈楯の会〉の檄文の幟が垂

もっとみる
美の来歴㉖
猫が見た夢をめぐって    柴崎信三

美の来歴㉖ 猫が見た夢をめぐって    柴崎信三

〈函館〉が生んだ長谷川四兄弟とモダニズムの時代

伝説の画商でエッセイストとしても知られた洲之内徹がこの絵と出合ったのは、一九六〇年代の初めだったようである。画家、長谷川潾二郎の東京・荻窪のアトリエで見た作品、『猫』に一目ぼれして虜になった。
深く鮮やかな紅色と灰色で仕切られた、スタイリッシュな背景。茶虎模様の猫がゆったりと体を伸ばして寝ている。洗練された色と構図で仕切られた画布から、こ

もっとみる
美の来歴㉕〈流謫の英雄〉という肖像           柴崎信三

美の来歴㉕〈流謫の英雄〉という肖像   柴崎信三

皇帝ナポレオンと〈転向画家〉ダヴィッドの紐帯

アナトール・フランスの小説『神々は渇く』の主人公、エヴァリスト・ガムランは、その頃革命の記録画で知られたジャック=ルイ・ダヴィッドの弟子にあたる若い画家で、王党派と戦うパリのポン・ヌフ地区の能動市民(シトワイヤン・アクティフ)である。
  アンリ4世時代の古いアパートに寡暮しの母と住み、アトリエで売れない絵を描いている。革命は絵画の市場も洗い流

もっとみる