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100日目。喪失を抱えて生きる、ということ。
母が旅立って、今日でちょうど100日が経った。
百箇日の墓前法要を営ませていただいた昨日。石塔には、真新しい文字で母の名前が刻まれていた。父の名前と母の名前、ふたりが18年ぶりに並んでいるのを見て、ここが私の人生のひと区切りなのだという気持ちが湧いてきた。折しも熊本は、あちらこちらで豪雨災害が頻発する梅雨のまっただなか。母がひとりで暮らしていた地域は、ともすると孤立集落になりかねないところでもあ
Morning Routine
<Morning Routine わたしの朝習慣>
病室で迎える2日目の朝(この病院における日中の巣ごもりは38日目)。ゆうべのうちに夕食と朝食と昼の弁当を用意してきたので、4時起きが常だった平時の朝より、むしろのんびりとしています。動画じゃないけど、はやりのMorning Routine風に綴ってみる(つまり、暇なのか?笑)。
やわらかな光が差し込む南向きの部屋。カーテンと窓を開け、さわやか
透明な野鳥もいるらしい。
◉3月15日
先日、起きしなに「望遠鏡持ってきた?」と問いかけてきた母。毎朝、目覚めのタイミングから鳥のさえずりのYouTubeをBGMにしているからだろうか。おそらく脳内の自分イメージは年末、双眼鏡自慢をしてきたこの表情に違いない。
ならばリアル野鳥を呼んでしまえ!と思い立ち、デコポンの上をスライスしてベランダに置いてみる。ついでに卵ボーロもならべとこ。
一瞬、お使いに出たすきに、ボーロが
いのちのバトンと、話題の○○
◉2月21日。思いのほか、体調の変化が早かったこともあり、2つの病院の先生方や地域連携センターの力も借りながら、緩和ケア病棟への転院を模索してきたこの1週間。相談先の病院から、「検討会が今、終わりました。水曜に病室をご用意できます」という電話をいただいたときには、涙が止まらなかった。正直、間に合わないかもしれないと思っていたから。
「緩和ケア」とは、病の治癒を目指すのではなく、痛みや不安をやわら
食べることは、生きること。
◉2月14日夕刻。退院の日取りが気になって主治医に確認の連絡をいれていたところ、「実はさきほど、遠心分離機にかけていた腹水の結果がわかりました」と折り返し。「チュウヒ細胞というのが出まして・・・」。ん?チュウ、ヒ??耳慣れない言葉に戸惑いつつ、ググってみる。中皮細胞、中皮腫、アスベスト被害、想像もしなかったワードの連続に混乱しつつも、いろいろと検索して、ぼんやりと把握。
とりあえず、病院へ。向か