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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん~regret~ 43

 雨も、待てばいつかは止む。

 たまりにたまって纏わりついている不浄物も、浄化に精を出せばいつかは綺麗に取り除くことができる。

 そう信じて、待つしかない。

 そう信じて、動くしかない。


 顔を上げれば、鈍色の雲がようやく切れ目を見せていて、
そこから差し込む眩しい光に気がつく。

 そういえば、この世にはこんな景色もあったのだ。
 知っていたはずなのに、すっかりと忘れていた。





 
 7月も二十日近くになってくると、天気予報が梅雨明け宣言を伝え、夏が本気を出してくる。
 

「 ところで、こずえちゃん、その、……あのガタイのいい兄さんは、……彼氏なのかい? 」

 母と姉の四十九日で集まった親戚のうち、母方の伯父が帰り間際に、ぜんちゃんの方に目をやりながらひそひそと話しかけてきた。

「 違うの。事故の関係で、……色々とお世話になってる弁護士さん 」

 善ちゃんを正しく説明するにはカットした部分が多すぎる。でも、適当に答えるにはこれで十分だ。
 身長180センチくらいの彼は、わたしと伯父さんから少し離れた所で瑞季みずきと何か話している。ガタイのいい兄さん………、と心の中で伯父さんの言葉を繰り返す。確かに、遠目でも黒のスーツに包まれた体格の良さが際立っている。
 
「 なんだ。てっきり、年下のイイ男をやっとこさ捕まえたと思ったのに 」

 85歳近くになる伯父は、足腰頭のすべてが元気。この日も、静岡の清水から自力で東京までやって来た。
 世代的にしょうがないけど、ふた言目には結婚がどうだの独り身じゃ淋しいだのとあからさまに言ってくる。

 ……… やっと捕まえた……?
 別に探してないし、結婚してなきゃいけない時代でもないの、今は。

 ──── と言い返すのも面倒で、適当に伯父さんを受け流した。

 それにしても、やっぱり善ちゃんは誰の目にも若く見えるのだ。
 わたしの歳と二つしか変わらないから、同じくらいと思われてもおかしくないのに、明らかにわたしよりも年下認定されている。
 ずっと野球をやっていた人とはいえ、40を過ぎてもまだ体型をそれなりに維持しているのは、ジムでも行ってるからなのかしら。わたしも落ち着いたらジム通いでもしようかな。
 
 善ちゃんを少し遠目で見ながら、そんなことを考えていた。



***


 四十九日から三日後の水曜日は、家庭裁判所の面接。十五分もかからず終わった。思ったより短時間だ。
 瑞季はもう少し時間がかかったけど、面接室に呼ばれてから終わって出てくるまで三十分もしなかった。

 比較的早く面接が終わったのは、申立ての時に、あらかじめ事情が家庭裁判所に伝わるよう、善ちゃんが書類に書いて提出しておいてくれたから。

 調査官と名乗る男性は、細い銀縁眼鏡をかけていて、体型も細身の真面目そうな人だった。30代だろうか、明らかにわたしよりも年下に見えた。
 提出した書類の中身に間違いや変更はないか、今後も瑞季と暮らし後見人として財産をきちんと管理していく意思はあるか。
 彼はそんな質問を丁寧な言葉遣いで淡々としてきた程度だった。
 瑞季は5月生まれ、今はもう16歳だ。18歳で成人、大人と同じになり、後見人は必要なくなる。
 わたしのこの役割は、あと二年未満ということになる。



***



 面接の日が過ぎてから、瑞季の高校が夏休みに入った。

 夏休みも部活やら補習やらで、瑞季はほぼ毎日高校へ出かける。
 高校は、港区にある都内有数の進学校だ。
 まだ一年生だというのに、大学受験に役立つ補習を夏休みに受けている。
 
 普段とほぼ同じ時間に登校して、午前は補習、午後は部活。
 部活はゆるめだと聞いていたのに、秋の文化祭に向けての制作か何かが本格的に始まって、色々やることがあるらしい。
 それに加えて、ついこないだ高校受験が終わったばかりだというのに、もう大学進学のことを考えるのか。
 今時の高校生は本当に多忙だ。

 お昼はコンビニで何か買ったり、学校の近くのお店で友達と何か食べたりするからお弁当はいらない、と瑞季の方から言いだした。
 ほぼ毎日瑞季とメッセージをやりとりしているという善ちゃんが、ご飯のことを何か言ってくれたのかもしれない。とにかく、お弁当がないのはラクでいい。

 高校生の食事なんてもっと適当でいいんじゃない?という善ちゃんのアドバイスは、「 毎日毎日飯炊き女 」という憂鬱な肩書からわたしを解放してくれた。
 それに、誰かのご飯の世話をする生活にもようやく慣れて来て、手抜きしたり何もやらない日を作ったり、気乗りすればわりとまともに料理したり、と自分の中でうまくメリハリがつけられるようになってきた。
 
 それに、共働きで忙しいというママさん達が発信するSNSやブログをのぞいて、野菜はゆでるよりレンジで温めた方が早いという時間短縮レシピを真似ることも覚えた。

 善ちゃんが言ってたように、突然の母と姉の死から色々ありすぎて頭と心が疲れ切っていた。
 そのうえ、瑞季と二人だけの暮らしに生真面目になりすぎて、とにかく自分がやらねばと毎日がいっぱいいっぱいだったのだと思えるようになってきた。

 一度切りの人生。せっかく仕事を辞めてリスタートしたいと思ってたんだし、もっとラクに、楽しく生きていいはずだ。



***



 調査官の面接から10日程度で、わたしを後見人に選任する、と書かれた書類が家庭裁判所から郵送で届いた。

 これで終わり、ではなく、ここからが忙しい。
 瑞季の母親、つまりわたしの姉の遺産を瑞季の名義に変更する手続、姉の生命保険金の請求など、いろいろとやることがある。
 それに、わずかとはいえ、わたしの母親の相続もある。

 そのややこしい数々の手続を乗り越えるために、大好きな大好きな推しのとぴ君に会えるのを大きな心の支えにしていた。


 仕事を辞めてから、らくちんな家着姿ばかりで過ごしてきたけど、せっかく彼に会いに行けるのだから、新しい服くらい買わなくちゃ。
 そのためにわざわざ都心へと出かけた。
 平日、しかも日中の店内は、夕方や土日よりも空いていて快適だ。人混みに気疲れしなくて済む。


 張り切って選んだのは、淡い水色の夏物ワンピースと、お尻まで隠れる白いレースのカーディガン。9月半ばの長野のトークショーでも、厚手のカーディガンに変えたり薄手のインナーを加えれば、ワンピースは着回せる。
 服探しには苦労した。体型維持の努力を何一つしていない40過ぎの体のラインを絶妙に隠す造りのものを選ばないと、綺麗めっぽく見えないのが哀しい。
 あちこちのショップを歩き回って試着を繰り返し、ようやく気にいったものを見つけた。高級ブランドのショップじゃないから桁が一つ違うってこともないだろう、と値札もろくに見ないまま購入を決断した。
 服も出逢いだ。これを逃したら、今買うべきものに二度と出逢えないと思ったから。


***


 
 そうして、とぴくんの映画の試写会当日である8月上旬の水曜日を迎えた。

 瑞季を学校に送り出すと、てきぱきと朝ごはんの片付けを済ませ、さっそく支度を始める。
 早く六本木に行って、ホールの近くのイタリアンで早めのランチをとってから、午後1時に善ちゃんとの待ち合わせのロビーに着く予定。

 ファンデーションの下地を丁寧に伸ばし、そのうえに厚塗りにならないよう気をつけながらファンデーションをのせる。
  オシャレして、こんなに何かを楽しみに出かけるのは、いつ以来だろう?お化粧も、こんなに丁寧にちゃんとするのは久しぶり。5月に友達とランチしたけど、ここまで気合を入れる必要はなかった。
 6月に母と姉を同時に亡くしてから、何かを楽しみにする余裕なんて失われていた。
 それが、ようやく再び自分の好きなコトのための時間が戻りつつある。
 瑞季の世話があるとはいえ、ある程度放っておいても死んだりしない。ちっちゃな子じゃないんだから。
 
 たまにメイクの手を止めて、ドレッサーの上に置いてある試写会のチケットの日時と場所を何度も穴が空くほど見つめる。
 
 場所は、六本木にある小ホール。映画館ではなく、色々なイベントに対応した場所だ。こんな特別なところで映画を観るのは初めてだし、公開より先に映画を観られる優越感も嬉しい。

 

 

 そうして、待ち合わせの午後1時に、予定どおりホールのロビー入り口付近に到着した。
 チケットには、午後1時開場、午後1時30分開演と書かれている。たぶん、映画の後で舞台挨拶となるはずだ。
 招待された関係者と思しき人達は、普段の映画館で見かける市井の民よりも何となくお洒落に見える。Tシャツにジーンズというこなれすぎた恰好の人は見当たらない。
 あらためて、背筋を伸ばして姿勢良く立ってみる。
 
 その途端、スマホに何か着信した。善ちゃんからだ。
 15分くらい遅れそう、先に座席に行ってて構わない、とのメッセージ。
 先に行ってようか。でも、やっぱりもうちょっとここで待ってみようかな。
 ………… このホールの控え室かどこかで、とぴ君も待機しているのかな。それともまだこの建物に来ていない?
 深呼吸して、ホールのロビーの空気を胸いっぱい取り込みながら想像するだけで、有頂天な気分になれる。
 ………なんだか、ドキドキしてきた。顔が紅潮しているのが自分でわかる。
 今日のとぴ君、どんな格好かな?映画の役に合わせた、悪い組織の人っぽいスーツとか?って、それってどんなスーツなの?上下真っ黒とか?


と、一人、脳内で自問自答と妄想とツッコミを繰り返していると、

「 ごめん、遅くなって。打ち合わせが終わんなくて 」

と、わたしの視界の外から善ちゃんの声がした。

 彼の方を向くと、………真っ先に目に入ったのは、スーツの襟についているバッジ。ドラマで弁護士がつけている、金色のアレだ。
 本物なんて、初めて見た。
 真夏だというのに、ちゃんとスーツの上着を着こんでいる。明るめのネイビーに、水色の細いストライプが入った生地。白いワイシャツに、淡いグレーのネクタイ。よくわからないけど、スーツやネクタイの布地の光沢で、高そう…品物良さそう…と漠然と感じる。
 先日の家裁の面接で待合室まで付き添ってくれたけど、その時はクールビズを絵に描いたような姿で、上着も着ていなかった。
 鞄は見たことある。前に青砥に来た時に持ってた物だ。これだって、しっかりした造りの革製品で、絶対安物じゃないと前から思っていた。

「 じゃ、行こうか 」

 左手の腕時計をちらっと見た彼は、わたしより先にホールの入り口へと歩きだした。………そんな時計してたっけ?土曜日の青砥のカフェなんかじゃ見た記憶のない、重厚感のあるスレンレスブレス。
 よく知らない人と初めて待ち合わせたような奇妙な感覚に陥りながら、その広い背中について行った。
 
 





つづく。

(約4500文字)


*『 regret 』とは、『 心残り 』を意味するの英語です。1~34話までがnote創作大賞2023の応募作品で、その続き部分の話に『~regret~』とつけてあります。


おそろしいほど長々と連載してます。マガジンにまとめてあるので、よろしければ ↓

同じ空の保田(やすだ)さん|🟪紫葉梢<Siba-Kozue>|note


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