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「感じることば」を読む

電車の中で本を読んでいる。と言っても本屋に行く余力がないため、手持ちの本を繰り返し読んでいる。今まで読書記録をしてこなかったからか、あんなに夢中になって時間をかけた物でも記憶はぼんやりとしか残っていない。その時々で選択した本の内容が当時の自分の心を反映しているようで、今の私とは異なるから新鮮な気持ちということもあるのだろう。そんな中でも私にとって特別な本を今日は手にし直した。

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「感じることば/黒川伊保子・河出文庫」

5年前の2016年に購入した本。20歳の私は何を求めて購入したのか考えながら読んでみる。知らなかった言葉や素敵だと思った言葉の使い方に付箋をつけるほど夢中になって読んだ本は、今読んでも温かくてしょうがない。それは「働き方」というよりも「普段の生活」の何気ないけれども本当に大切なことを優しく語りかけてくれる。

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私は間違いなく癒しを求めていたようだ。誰かに言えない気持ちを解消してくれる手段を探していたようだ。最大の理由は、脳科学を用いた説明を「ヘ〜」と軽く流してしまうほど、それよりも懸命に言葉を目で追い、誰かからの温かさで包み込んで欲しかったんだと思う。そうして夢中になった本をすぐに読み終えた時私は間違いなくこう思ったに違いない。「私も誰かにとっての温かみになりたい」。だって今読んでみてもそう思ったから。

私の思考自体は昔から大きな変化がない。それはブレそうになる機会を察知すると自ら蹴散らし、自分の思う幸せだけに突き進んできたからだ。時として悩み寂しさを抱えても、それが幸せに直結する物ではないと思えば迷うことなく絶ってきた、人でも物でも。自分で選んだ道なのにその分孤立していくことに気がついていて、でもすでに身動きが取れなくなっていた。5年経つ今もその思いは残っている。「一人がいいのに一人取り残されることが怖い」これを癒すのは自分の趣味と勉強と、本から得られる言葉だけだった。


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私のために書かれたわけではない本なのに、私の特別になる。それを誰が予期できたか。本屋に行けば一生をかけても読みきれない本が所狭しと並ぶ。例えばこの先一生眠らず読んでも読み終える事はない、そんな知ることのない知識が世の中には溢れているのだ。その中から特別な本に出会えるのはとても価値のある事なのだ。

20の私はきっとこの本を読んだ時救われるような思いだったはずだ。その感情が薄れ忘れてしまっていたことが事実だけど、25の私はまた同じ感情を持った。そして同じ感想を抱いた。この感情を5年後また覚えていなくても、また読み直せばいい。自分にとって特別な本であればいつだってどんな時だって、きっとまた手元に戻ってくるだろうから。大切に手元にこれからも残し続けようと思う。



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