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格好良い大人になりたい

昨日の試合は外野ビジター1列目。noteの記録で "野球を観ながら生き方を考えることが多い" なんて大きなことを書いたけれども、一日たった今でも全く同じことを考える。きっと明日も同じことを思うし1週間後も1ヶ月後も思っている。それ自体は日々考えることだ。寧ろいつも小さな媒体を通しての野球を観ていても思うことだけれども実際現地に行き、熱を肌で感じ、その姿を見るとより一層強く意識出来るようだ。

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私の中の数ある基準の中に一人で野球を観にいくようになった高校生の頃からブレずに持っている基準がある。それは「人に理想を押し付けない」ということ。16歳の時の制服を着た私はあの時確かに、自分に誓いを立てたのだ。「こういう格好良い大人になりたい」と。

人に理想を押し付けないことって、普段気を付けていても難しい部分がある。「なんでこうなんだろう」「こっちの方がいいのに」「友人・恋人がこうだったらいいのに」。そんな気持ちは誰か接していれば自然と生まれてくる感情で、その感情が顔を出したことに気がつけば私は気持ちを落ち着け考え直すようにしている。


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私は頑張れる人が好きだ。思い切りに力を使い果たせる人が大好きだ。物心ついた時から一番近くにいたその格好良い大人が分かりやすくプロ野球選手であったからかもしれない。それでも汗を流し結果にこだわり、自分に制限をかけながらも好きに真っ直ぐな姿を観てきたから私もそうなりたいと思う事は自然だったと思う。それがたまたま私が観てきた選手に限った話なのかもしれないけれど、少なくとも私の目にはそう映っていた。

勿論ハードに筋トレはしていないし、何かの立派なプロになれたわけじゃない。それでも理想を持ち、そこに進み続けられることが出来ているのは「彼らのように」と憧れを持ち続けているからだ。自分でそう言い切れるほど私はその憧れの人達になりたかった。だから自分に厳しいとよく言われるのかもしれないけれど、それは自分のためにしていることだから、今更苦痛なんて感じないのだろう。

それでも、私の理想は私の周囲の理想ではないということを思い出す。人それぞれに目標があり或いは現状で良いという人もいるだろう。その個人個人に私の理想を押し付ける事は、その人の見えていない部分、見せないように隠している部分を否定することになってしまうから、「あ、今の考え方は良くなかった」と反省することが多い。ちょっとだけ一般とは違う人間関係を歩む上で「一人でも強くならなければいけない」。16の女子高生はそう思って強がって、もう10年が経つ。あの時強く惹かれる人達に出会っていなければ今の幸せはないと思うとゾッとすらするのだ。


だから私は人に理想を押し付けない変わりに、自分がその理想に近づくことだけを考えている。頑張れる人が好きだ、だから私自身も頑張れる人になりたい。踏ん張れる人になりたい。憧れを追いかけ続けて私の理想は上がっていくけれど、それでも満足できた日はない。だからこそ意味があると思っているて、それを再確認しもっと頑張ろうと気持ちを奮い立たせてくれるのが野球観戦であり、しっかりとその背中を記憶に焼き付けて目を閉じて落ち込んだ時は思い出すのだ。

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昨日ビジター席では西川遥輝選手が目の前にずっといた。私はハルキストではない。でも皆が格好いいと写真を撮りたくなる気持ちは物凄く理解できるのだ。もしかしたら大きなカメラを携え連写する人達は容姿が好きなのかもしれない。でも容姿以上に格好良いところを見つけてしまったから、私はLOVEの気持ちよりも格好良い大人としての尊敬の眼差しで背中の7番を決意を持って観ていた。ビジターは広くグラウンドを見渡せて、どこを観ても格好良い憧れの人たちがいて、すごく心が興奮する。自称球団のストーカーだ。


自分は人よりも劣っているとずっと思っていきたけれど、一般的幸せが手に入れられないと気がつき始めた時は苦しかったけれど、夢中になれて力を与えてくれる野球に出会えて本当に良かった。


本当に感謝している。




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