見出し画像

「若い世代は意識が低い」と言われるけれど、

素敵だなと思い続けている人の文章を読み心が充実の音をたてた。それはコロナとオリンピックに対する素直な意見で、共感を強く持つ部分とそうでない部分があるからこそ読むことに意味を齎らした。そうして得た自分の感想を左右させないために、私は基本的に人のコメント欄は覗かないようにしている。それは文章であってもYoutubeの動画であっても。素敵だと思う人が思わぬ理由で攻撃されていたり、或いは尊敬の念で♡マークばかり、みたいなコメントを見ると、どうも折角生まれた自分の感情は簡単に引っ張られ流されてしまうからだ。

でも今回、興味本位で覗いてしまった。そしてやっぱり後悔している。そこで見た一文はこうだった。「オリンピック選手は、コロナを他人事としか思っていない」。こんな大きな言葉を堂々と公言する事は決して強さではないと私は思っている。それについて今日は記録を残しておきたい。


〜〜〜

何が私の琴線に触れたのかというと「オリンピック選手」と対象を一括りにしている部分だった。これは良くない気がするな、とモヤモヤが広がる。勿論これは、私が普段から野球ファンで侍ジャパンを応援しているタイプだからこそ抱く感覚なのかもしれないし、反対にスポーツに全く興味のない人達にとっては至極当然に持つ感情なのかもしれない。それでも、私はこの対象を一括りにしてしまうことに対して違和感を覚える。というのもここ最近のコロナの事情を踏まえ、一括りにされる側の気持ちを味わいとても悔しい思いをしているからだ。


国内での感染者数が3800人を超え、過去最高人数という不名誉な数字を叩き出した昨日。相変わらずニュース番組では渋谷の街頭インタビューの様子が放映される。そしてそのインタビューに応じているのは決まって10代・20代の若い世代ばかりだ。そりゃ渋谷でインタビューしたら人数どうこうの問題でなくとも若い世代がターゲットになるだろう。でもその姿が地上波で流れるたびに、「若い世代は意識が低い」「何も考えていない」と、やたらと若い世代は一括りにされる。

でも当然のことながら、皆が皆、何も考えていないわけがないのだ。拒みたくても仕事で外出しなければいけない人。人が集まる場所を徹底して避け続けている人。家族に会いたくても会いにいけず2年が過ぎる人。それぞれがどこかしらで線引きをしながら今を我慢をしているのに、たまたまなのか(はたまたインタビュアーの意図なのか)、応じる彼女たちを見て、「これだから若者は・・・」と纏められてしまう現実を私は少なくとも悔しいと思って過ごしている。とはいえ、私は趣味を自分のペースで楽しんでいる人間でもあって、どちらかというと嫌な顔をよくされる方だ。でもこっちだって言いたい。


「あなたは完璧なの?どの世代からはきちんと適応していると言い切れるの?」


こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれないけれど。今だって私の住む県域では「若い世代」はワクチン摂取の1回目の案内すら来ていない。まだ情報公開待ち、予約開始の日付けすら開示されていない状況だ。良くないと思われるような部分だけが上の世代から叩かれ、待機している状況に関しては上の世代は「仕方ない・順番待ちだ」と言う。何が平等で、何が正義なのかこっちにも教えてくれ、と私の心のうちは収まらない。


何をここで言いたかったかというと、「これ=これ」みたいな完璧な正解は存在しない。絶対は無いし正義も共通じゃない。「選手がコロナを他人事としか思っていない」の発言は、日々対策をしている努力の賜物からの気持ちなのかもしれないけれど、100%ではないだろう。あなたはコロナで亡くなった選手や、家族や友人を亡くした選手の話を知っていますか?少なくとも、コロナによって思っても見なかった世界の影響を受けているのは上の世代だけではない。若い世代だって同じように苦しいし不安なのだ。そして私たちだけではなくオリンピック選手も一緒なのではないか。皆同じように苦しいはずではないか。


本当に最近は、この世代間攻撃が強くて、世間にも国にも守ってもらえないことが人々をさらに孤独化させていっているのだと、ひしひしと感じているのだ。



この記事が参加している募集

#習慣にしていること

130,873件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?