【ハーブ天然ものがたり】ボリジ/ルリチシャ
瑠璃色のレタス
日本での一般的なよび名は瑠璃苣。
苣はレタスの意味で、ボリジは全草くまなく料理に使用することができる万能ハーブです。
ちなみに日本の台所で食べられているレタスはキク科、ボリジはムラサキ科です。
ボリジは薬用植物としてふるくから使用されてきた記述がのこっており、コンパニオンプランツとして苺やトマトとの相性のよさが知られています。
花は蜜源植物となり、種から得られる油は現代のアロマ市場でもガンマリノレン酸をふくむ貴重なオイルとして、月見草とおなじように重用されています。
レタスの名がつくだけあって南ヨーロッパ原産のボリジは西洋では野菜のように食用されてきました。
ほのかにキュウリ風味のするボリジの葉っぱにはカリウムとカルシウム、サポニンやタンニンなどが含まれており、わかい葉っぱはそのままサラダにし、成長してケモケモがついてきた葉っぱは湯がいて食すのが定番だそうです。
星型のあおい花はほのかな甘みと酸味があって、そのままサラダにしたり砂糖漬けにして長期保存するレシピも代々受けつがれています。
「MAGICAL HERBS」には18世紀ころ、パンとチーズとリンゴ酒とともにボリジの葉を数枚いただくお昼ごはんが、イギリスの農民たちの伝統食だったと記されています。
学名(属名)のboragoはラテン語のcoragoからつけられたそうで、corago の cor は心臓、心、勇気、気力、
ago は動かす、導く、選ぶからきていると「ハーブ学名語源事典」に記載されています。
聖母マリアの衣の色、マドンナブルーについてはレディスマントルの記事に、「聖母マリアに象徴される青いマントは、女神の庇護と恩寵を思い出し、この世界を縦横無尽に走りまわって挑戦をつづける意欲とセットになっているような気がします」という所感とともに綴っています。
瑠璃色のボリジの花をワインにうかべて飲む風習は、AC1090年代からはじまった十字軍遠征に出陣する兵士たちが、勇気を奮いたたせるために飲んだ別れの杯からはじまったという説もあり、学名の語源となった「こころをうごかす」「勇気をえらぶ」などの祈りがこめられていたのだろうな、と。
憂鬱をおいはらい、勇気をあたえて、たのしく陽気な気分をかもしだすと信じられてきたボリジの力は、下記文献にあるように「ケルト語のよび名Borrach(勇気)やウェールズ語のよび名 Llawenlys(喜びのハーブ)」にもあらわれていると感じます。
17世紀にイギリスで活躍したハーバリスト、ニコラス・カルペパーさんは、占星学にも精通しており、星と植物の関連性、疾病についての処方を開示したセンセーショナルな薬草本を出版しました。
「薬草本がセンセーショナル?」と思われるかもしれませんが、とうじのハーブ知識は秘密情報で民間に公開されず、聖職者と権力者のみがあつかえるという時代でした。
一般人がハーブを植えたり勝手に使用したりすると魔女狩り対象となり、15世紀から18世紀のあいだに4万人が極刑にあったともいわれています。
いつ誰にチクられて告発されるかわからない、戦々恐々とした時代にカルペパーさんは何冊もの本を出版し現代植物学の礎をつくられました。
ボリジは生命力旺盛なハーブで、こぼれ種で自然生育するので一度植えるとおなじ場所で毎年花をたのしむことができます。
あたたかい地域なら2月から開花がはじまり晩夏まで咲きほこります。
摘み草してすぐのフレッシュハーブは小さじ2杯、乾燥させたドライハーブは小さじ1杯で、200㏄くらいの熱湯を注げばボリジ浸剤の完成です。
浸剤に、はちみつを小さじ2杯ほど加えてよーくかきまぜれば「こころをうごかし」「勇気をえらぶ」ボリジ・シロップのできあがり。
私は冷やして飲むのが好みですが、ボリジ・シロップは内熱がこもってだるいときや、空咳がでるような体調不良時に重宝するなぁと実感しています。
熱の循環が体内のどこかで目詰まりしてとじこめられ、解放してくれといわんばかりにドタバタ大あばれしているようなときは、ボリジのエッセンスが火元素霊に親和して、正しい道筋へと熱を流動させ、ちょうどよいあんばいに火加減を調節しているのかもしれないな、と想像しています。
現代ではボリジハーブティーや種苗も市場に出まわり、入手しやすくなりました。
ボリジ・シロップはたくさん作っておいても冷蔵庫で1週間くらい保存できるのと、万が一飲みきれなかったときは、カレーや煮物、シチューなどの料理につかえて重宝します。
熱は変換エネルギー
4大元素の火、風、水、土は地球生命をかたちづくる基礎となって物質社会を形成しているという考え方があります。
「太初、熱があった」と、わたしたちの太陽系が創造されるプロセスを霊視したシュタイナーはいいました。
熱のカタマリが気体になり、液体になって、固体を創造した物語はたくさんの文献のなかに遺されています。
すべてのはじまり=「熱」は火元素として、世界3大伝統医学の軸となり、ヒトはもちろんあらゆる地球生命を理解する要素として認識されてきました。
火元素によって生みだされるピッタ体液は胆汁となり、中医学では風元素によって機能亢進する肝臓と胆のうは、火元素担当の心臓を生じるポジションにあります。
「熱(量)がある」とか「熱い人だね」という表現がありますが、熱の正体についてウィキの説明を要約すると、(熱とは)物体から物体へ伝達されるナニモノカであり、物質としてあつかうことはできず、流動し移動するエネルギー形態のひとつで、ある物体からべつの物体への「エネルギーの移動としてのみ」存在する、とあります。
熱は高温から低温へながれます。
物体のあいだに温度差があるからこそ、熱は流動していると考えることもできますし、高温物体が低温物体と接触したとき、外部に熱が流出することがなければ、放出した熱量と受けとられた熱量はおなじ値になるという測定も立証されているそうです。
外界の高温存在からヒトへの熱量の伝搬は、受けとる側の火元素成分の許容量がおおきいほど、「漏れ」なくエネルギー移動できると思いますが、外界からうけとる熱量が自分にとって適切でなければ、熱さをうまく処理できずに疲弊してしまうこともあるかもしれません。
熱量を気力や奮起に変換して、「こころをうごかし」「勇気を選ぶ」という人生のフローにのせるためには、熱の受容力というものがおおきく明暗を分けるのではないのかな、と。
「熱(量)がある」とか「熱い人だね」という表現はよい意味でも悪い意味でも使われますが、シンプルに考えるなら熱は自己を拡張して思考の枠や活動範囲をひろげるときに、なくてはならない貴重な燃料、ということもできます。
うけとめた熱量によって自己の性質が変化するなら、自己拡大することに積極的か否かで受けとり方もずいぶん変わってくるのだろうし、地上生活のドン底を探索しているときなんかは、冒険のさなかに出会った地球社会どくとくの不燃物(それも大きな自我の一部なのだと思いますが)を掃除しておかないと、完全燃焼できずに炎症をおこしたり風邪をひいたり、からだが悲鳴をあげてしまうのだろうな、と。
「原初、熱があった」ということばをそのまま臓腑におとすなら、この太陽系のはじまりから存在しているものたちのエネルギーや思想、記憶など、つまるところ人間存在をはるかにこえたものたちの熱量は、たえずふり注がれ、大気に充満し、流動して、世界を創造しつづけているのだろうと感じています。
火のからだをもつとされる大天使の熱をうけとめる器がひろがるほどに、ちいさなからだに収まっている自己意識だけがこの世界のすべてと思いこんでいる洗脳から解放され、個人に閉じこもることなく拡大してゆくチャンスも広がるのではないのかな、と。
たとえば体質のちがう人々がおなじ熱量に対峙したとき、ヨロコビ勇んで火中に飛びこむ人もあれば、つかずはなれずあたたかさにつつまれる距離を死守する人もいれば、冷えこむほどにドン引きしてしまう人もいると思います。
外界の熱を受けとめて変容していくプロセスは、「その熱を自分にふさわしいものにすること」ができなければ「勇気を選ぶ」どころか風邪をひいてしまうこともあるわけで、私たちの皮膚のうえには自分の生体にふさわしい熱量を受けとれるようサポートしてくれる、ボリジの花のような瑠璃色に輝くバッファ(青いマント・のようなオーラ)があるのかもしれません。
熱のきざはし、ふたたび
ギリシア神話ではプロメテウスが神界から火を盗み、オオウイキョウを火口として人間界にもちこんだお話が有名です。
プロメテウスはティタン(巨人)族の一柱神で、人間を創造した神ともいわれています。
天地が明確に分かれることで、土元素(固体)優勢の地上世界で光は色に制限され、音はデシベルと周波数に制限され、熱は火力や温度として計測できるものに制限されて、ようやく肉体というちいさな存在に制限されたヒトの五感で、認識できるようになりました。
現代社会は、まさに制限マスターともいえる人類によって、ゆるぎない物質的世界を協同創造しているまっただなか、という感じがします。
過去記事のフェンネルにも綴りましたが、プロメテウスの物語は天界から地上世界のあいだの火加減調節をあらわしたもので、「からだに制限される世界」という舞台を確立するためのプロセスをあらわしているのではないかと想像しています。
制限のある世界を創造するためには、まずはじめに天地の境界線をきっちり区切ることが必要で、つぎにその堅牢な境界線を自在に往来するための梯子をかけるために、1柱分の供儀ともいえるエネルギーが必要だったのかもしれないな、と。
巨人神族プロメテウスのおはなしは、1柱神の肝臓(血)が媒介となり、大鷲がついばんでは地上に少しづつ神の血(神界の火)をおろし、ゆっくりじっくり3万年かけて、火力調節しながら土元素優勢な地球惑星をカタチにしました(制限のなかにとじこもる舞台を整えました)という、壮大なプロセスがあったんだろうな、と想像しています。
星型の可憐な花がひらくまえのボリジのつぼみは、一撃必殺のサソリの尾のようにみえます。
つらぬかれた瞬間に、制限ありきの思考の枠に風穴があいて外界の熱がとりこまれ、「勇気を選ぶ」魔法にかかってしまうのかもしれません。
熱の通路をこしらえつつも、ボリジのエッセンスはやわらかく浸透しながら固体をつつみこみ、いつのまにか瑠璃色のヴェールみたいにからだをとりまくオーラをいっそうあざやかに染めあげて、女神の庇護を想起させ、神界の火をぬすんで地上におろしたプロメテウスのように、大胆不敵な勇気の1歩をあと押ししてくれるような気がします。
体内をめぐる熱量だけではふんばりがきかないなぁと思うとき、
気分は昂揚しているけれど言動が伴わずストレスがたまってしまうとき、
シンプルに大海原や大空をみてココロおどり冒険心をかきたてられるとき、
地球制限マスターの極意はもう充分に堪能したので、つぎのフェイズに飛びこみたいなぁと思うとき。
押しの強さもインパクトもないけれど、ふわりと背中をおしてくれるおおきくてやさしい手のひらみたいなボリジのスピリットには、これまでなんども助けられてきたんだなぁと、数十年つきあってみてようやく感じられるようになりました。
☆☆☆
お読みくださりありがとうございました。
こちらにもぜひ遊びにきてください。
ハーブのちから、自然のめぐみ
ローズマリーから生まれたナチュラル・スキンケア
Shield72°公式ホームページ
マガジンご収載ありがとうございます
私どもの記事をマガジン収載いただきこころよりうれしく思っています。
ありがとうございます♡
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?