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《自己存在探求の旅路》無意識、宇宙、他者、霊性

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生きている事、死ぬ事、死後の世界、神話、意識、無意識、魂、霊性、宇宙、星、素粒子、自己と他者。自分が生きてる意味とその存在、その世界について探求していくマガジンです💫💫💫💫
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最上和子公演 オブスクラ 舞の発生

この時が来た。 ぼくは会場に入り目を閉じて時を待つ。 呼吸を整え、心を整え自我の動きを弱くする。 目を開くと舞台には衣装に包まれた最上和子が立っていた。 踊り手である最上和子はゆっくりと動く。ゆっくりと震えながら動く。 真っ黒な壁際を這うように。 舞台中央までその動きでやってきて ばったりと倒れた。 舞台は暗転する。 全ての街の音が聴こえてくる。 やがて雨音が嵐のように強くなり 暗闇の中でどんどん際立っていく。 ものすごい雨音と暗闇だけになる。最上和子は自我を殺した。会場の

最上和子とは何か!?「身体のリアル」押井守(弟)最上和子(姉)を読んで

最上和子とは何か!?仰々しいタイトルを付けてしまったが、結論から言うと(勿論本とネットで見て読んでる印象の結論だ)、 生きながらにして死のうとしてる人 生きながらにして死の空間をこの世に 出現させようとしている人。 「身体」を通して。舞踏という表現で。 それが「最上和子」という人だ。 「見てはならないものを見てしまった」 最上和子は言う。 「身体には内的身体と外的身体がある」と。 舞踏というものを通して内的空間、ヌーソロジーやシュタイナーの言う《反空間》になろうとし

自己と他者 奥行きの交わり

自分という存在とはなんなのか? 自分という存在に多大なる影響を与えている他者とは何なのか? それは自我なのか 他我なのか? 自己なのか 他己なのか? クソ暑さにも慣れてきた(?)ので やっと書く気も出てくるというものです。 (暑すぎると文章を組み立てられなくなりますね~💦) この暑さで頭もボーちゃん状態の ニッポンの夏にまたまたわけわからんと思われる記事を解き放ちます! シリウス革命2013を読み始めたのが昨年6月、ヌーソロジーサロンに加入したのが丁度丸一年前。 そ

自我・・・自我ちゃんに愛を込めて🌟

肉体あるゆえに自我あり 自我あるゆえに時空あり 皆様、こんにちは! 皆様の自我ちゃんこんにちは♪ あ、noteを主体、魂で見ているという稀有な方もいるかも知れませんので、稀有な方もこんにちは♪ 大きな地震がありました。 揺れに揺れさらに揺れという感じで長く横揺れが続きました。 怖かった〜! というのが多数をしめる感じ方だったかもしれません。 こんな時こそ自我を見つめるチャンス到来! 他者が自己のベールを引っ剥がす瞬間です。 🌟 🌟 🌟 🌟 🌟 怖い という感情はど

自分を愛す⑥意識する 「意識する(≒見えている)ものが存在している」~承認欲求からの解放~

多人数のパーティーなどに行ったとき、写真を見てこんな人も居たんだって、後から知ることってありますよね。それでは写真を見なかったらその人は、あなたにとってパーティー会場で「存在していた」のでしょうか? 見る と 存在 の思索の発端 眼鏡を外す氣功会を行っていたとき、パノラマアイで見ると、それまで見えていなかったものが見えてきました。これが今回の思索の発端でした。見えていなかったものは、存在していたといえるのかと。意識と存在について考えてみることにしました。 見えていないも

一杯のグラスから

グラスで水を飲むという行為 これまで生きてきた中で一体何杯の水を飲んだのだろう。 グラスに水を注ぎ、それを手に取り喉へと流し込む。 この日常に埋もれた動作を普段、意識することはほぼない。 『コップの水を10分かけて飲む』 これはある舞踏家さんが実際の稽古でやっていると言われたことだ。 これをまじめにやると、何かが変わるのだと。 目の前のグラスに注がれた冷たい水 まるで蔦の葉先のように、ゆっくりと空氣を探りながらグラスへ手を伸ばす。 空間上にはグラスへと向かう

美の思索

昔から不思議に思っていることがある。 それは 人は何故 美しいものをみて 美しいと感じるのだろうか ということ。 美しさとは一体何なのだろうか 美しいの基準は人によって異なる。 ある人が美しいと思うものでも 別の人にとっては全くそうではないこともある。 それらは時代によって変化するものかもしれないが、 黄金比にも代表されるように 多くの人が共通して美しいと思うものは 有形無形に関わらず確かに存在しているように感じられる。 美しいの中には何があるのだろうか 私

「さわる」と「触れる」

昨日は原初舞踏の定例稽古でした。その中で、たくさんの書き残しておきたいことがあって、今もその余韻の中でドキドキしてる感じがあります。言葉にするのが躊躇われるほどにピュアなときめきがあったかなと思います。 稽古の中で「さわる」ことと「触れる」ことを体験していきました。 「さわる」ということと「触れる」ということと、どちらも対象に手を当てることではあるのだけれど、そこで経験することは、まったく違うものだったんです。 たとえば、茶碗に「さわる」ことで、その茶碗の表面の滑らかさ

人間とは何か!? 自己と他者 宇宙の織り成し

四次元空間でワタシはひとつ。 の補足。 前回記事でここは全てと一つという感覚になると書いたが、それはつまり自分が感じているもの、思考している事、感情など、全て自己が起因しているものと一つになるという意味だ。 つまり、感じられる範囲、思考出来る範囲で自己と空間がひとつになっているという事。 では、世界に自分一人しかいないのか? となるとそうではない。 ここの部分で止まってしまうと独我論と言われるようなものになってしまう。 自己と他者。 自己の裏には他者があり 他者の裏に

詩「欣ばしき手」河村悟 自己と他者 善と悪 光と闇 

💫💫🫲💫💫💫🤲💫💫💫💫🤝💫💫💫💫🫱 (ここから先はぼくの詩の解釈になる。 詩はそれぞれが感じ考えたままの方が良い氣もするので、ここから先は興味のある方のみお進み貰えたら💫詩の余韻を味わうことのほうが大事かも💫💫💫) ヌーソロジーの20%は故河村悟さんの影響を受けていると、提唱者半田広宣氏は言いう。 この詩が意味するところ、光と闇、善と悪、簡単には割り切れない事を表しているどころか、善が悪を生み出してるとまでいっている。 この詩が表現していることは自分達の普段の常識とは全

【*】深層の「心」をチューニングして、コトバ(意味)のはじまりと共鳴する -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(64_『神話論理3 食卓作法の起源』-15)

(本記事は無料で最後まで立ち読みできます) クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第64回目です。『神話論理3 食卓作法の起源』の第三部「カヌーに乗った月と太陽の旅」を読みます。 これまでの記事は下記からまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の試みは、レヴィ=ストロース氏による『神話論理』を、レヴィ=ストロース氏がはっきりと明示して書かれていないことまで好き勝手に

¥610

反転した世界観💫🌳💫さて、どうなるか〜!?

反転したらどうなるか!? コメ欄で質問頂いたので考察してみたい。 反転、反転というけれど 何を反転させるのか? 空間、時間、言語、、、 空間はミクロとマクロの反転。 意識と無意識。 死と生は分離しているのでなく 持続している。 全ての認識を反転させるということ。 3次元的物質認識を4次元的精神認識に変えるということ。 反転してない今の世界はこんな感じ🌍 一人一人が頭の中に描いている地球、現実を言葉、横に流れる時間が同じ地球にいるという共有認識を作っている。 この共有

「THE反転」 次元の脱出手順💫💫💫3次元から4次元へ💫💫💫💫

3次元空間へと自分を入れ込んでしまっている現代人であるぼくら。そろそろ出ないと破綻間近な雰囲気プンプンということで、初心に返って意識進化の第一歩。空間認識の反転を書こうと思います。幾つかの見方、考え方を紹介してみたいと思います! イラスト左、 見たまんま 感じたまんま の感性空間。 そこに言語はなく視覚野はそのまま平面で 科学的物理学的思考もないので 見たままの大きさ。 月は小さいままだし太陽もそれほど変わらない大きさだ。 近くを走る軽自動車の方が遠ーーーくを走る大型トレー

本棚の奥の「シリウス文書」⑥創作小説最終話

第一話はこちらから ファミリーとヨギー 美和子と達夫は大阪城の近くまで来ていた。何か胸騒ぎがしたのだ。 達夫がカフェからでて来る父親の姿を見つける。裕和の後から坊主頭の同い年くらいの男が出てきて今どき大変珍しい葉たばこを店外で吸っていた。 信号が青に変わり裕和は煙草を嗜む坊主頭を残し地下鉄の駅を目指して横断歩道を渡る。 そこへものすごいスピードで車が向こうから走ってくる。 「止まらない!」 そこにいた誰もが思った。 車の運転席にも助手席にも後部座席にも人は乗っていな