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守るべきものを持つ者は折れない  私? やさしさ、かな?

格差社会の何が問題かと言えば、誰もが才能と教育を受けられる環境で人生が決まってしまって、努力することを放棄するのが当たり前になるからだろう。逆に言うなら努力がちゃんと意味あるものとして認識されるのであれば、いくら格差があろうと関係ない。教育に影響されない能力の軸があればいい。

格差などと言うが結局は経済やそれによる影響力の側面にすぎない。それにそんな甘えの中で育ってしまえば、本当に経験に重点を置いた質のいい教育が与えられない限り、才能への誇りとその限界への諦観に彩られた当たり前の人生しか得られない。そういう意味では恵まれない環境の方がいいくらいだ。

人間の質はいかに自分が立ち向かった経験の中で建設的な意志を育て、あらゆる困難に対処できる後天的な能力を身につけるかにあるのだから、最初から才能に苦労しなければ才能が限界値になってその目的には適合しない人生になる。そして、それに気づくのが若いなら復活の機会も多いが、年をとってから新たな環境に放り込まれたら、死なないのであればボケるしかなくなる。(すでにディストピアには足を突っ込んでいる)

襲ってくる局面は物理的なものとは限らず、物理的であろうと精神的であろうと年を取ってからの方が重圧はひどくなるものだ。とくに精神的なものは自分が放った分だけ累積している。だから意志の方が弱くなった途端に物理か精神が耐えきれず死んでしまう。強靭な生きる意志と世界が認める存在意義さえあれば、簡単に死を迎えることはないのだから、そういう折れない在り方を学ぶならどの階級でもいい。むしろ「我に七難八苦を与えたまえ」というのは非常に利己的な賢さだ。

いつの時代でもどの地域でも、外の世界のせいにしているうちは、まだまだ折れない意志にはほど遠い。経験不足(これから)なのか、経験を無駄にした(もう終わった)のかだ。その辺の機会は均等なのだから。

また自分のために生きていれば負けを認めさせられたとたんに折れることになる(要は命乞いをすることになる)が、ちゃんと守るべきものを持っている人は絶対に折れない。だからなにより守るべきものを見つけることが人生では第一なのだろう。

私? うん、たぶん、やさしさ、かな?

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