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綿帽子 第十五話

「おはようございます」


「尿がどれぐらい出ているかチェックしたいので、便器の方にしないでこちらにしてくださいね」

看護師さんが大きな四角い容器を持ってきて便座の横に置いた。

これからしばらくは、この中を目掛けて用を足さなくてはならないのだ。

「そう、容器の中心に向かってベストショットを放つ」

一滴も外に漏らさず、尚且つ看護師さんの手を煩わせることがないように、俺の俺をコントロールしなければならないのだ。

今の俺にそれができるのかは定かではないが、頼まれたからには仕方がない。

俺はベッドから降りると任務を遂行すべくトイレに向かった。

正しく競馬でいうところのジョッキーの様な心境だ。

ジョッキーは馬の身体の動きや、その時の馬自身の精神状態を瞬時に感じ取り、確実に勝利へと導かなければならない。

名ジョッキーになればなるほど、その日の天候、馬場状態は勿論のこと馬の息遣いさえも判断材料として状況に見合ったレース運びをする。

俺はトイレに入ると容器を覗き込み、それから大きく深呼吸をした。

そして、懐から徐に俺の俺を取り出すと、慎重に狙いを定めてから第一打を放った。

「ストラーイク!!」

放たれた矢は寸分の狂いもなく、的確に容器の中心を射抜いた。

初めてにしては上出来だ、我ながら冷静に対処できたと思う。

スナイパーとしては合格ラインに達したのではないか?

惜しむらくは買い置きのミネラルウォーターを飲み過ぎたせいなのか、中々矢の残量が底を見せず、出し切るまで思いの外時間がかかったことだ。

「何やってるんだ、俺は」

ため息が出た。

本当にやることがないのだ。

人生を賭けた戦いとも言える俺の俺復活プロジェクトが頓挫した今、俺は正に生きる屍、殆ど本当にそうだけど。

他にできることと言えば、天井を見上げて自分が死なない様に願い続けることと、思いつきで始めた競馬のシュミレーションゲームをやるだけだ。

その昔ダービースタリオンというゲームが好きで良くやっていたのだが、新作が事前予約できるようになっている。

配信開始まで間があるので、ダービーインパクトとウイニングポストいうゲームアプリをダウンロードしてみた。

両方とも過去に少しだけプレイしてみたことがある。

一度でいいから競走馬のオーナーになってみたいと思ってはいるが、現実は遠い。

皆さん思いは一緒で、叶いそうにない夢をゲームを通して見ている。

そういうゲームだと思う。

この手のゲーム、最初のうちは無料でサクサクと進めるのだが、一定の段階を過ぎると無課金では進めなくなってくる。

その一定の段階というものが、かなり早い段階で来てしまうのが玉に瑕とでも言いましょうか。

それ以外は競馬ファンにとっても、楽しめる要素が多いゲームだと思う。

いわゆるビッグレースを勝つには、現実世界さながら努力と運の両方が必要で、競走馬の調子を見ながらレースに向けての調教方法や騎手の選択が必要だったり、仔馬が産まれた時点で判明する素の資質が最大限に重要になってくる。

良い繁殖牝馬を購入して質の良い種牡馬を掛け合わせていくのが基本だが、実際の配合論にゲーム独自の配合論がプラスされて展開されている。

色々と試してみた結果、ウイニングポストの方がコストもかからず早い段階でグレードの高いレースを勝てるという分だけ、ストレス発散には良いかなという印象を受けた。

地道にコツコツと積み上げて行かないと、何事も達成する事ができないのは現実と一緒だ。

夢を見続けるということはストレス対策には有効な手段とも言えるが、そのまた逆も然りで、そこに依存することによってかえって余分なストレスまで生んでしまう。

世の中というのは本当に不条理で満ちているのだ。

さて、ゲームの中で登場する配合論の中に奇跡の血量というものがある。

ニックスと共に一般にも知られているであろうこの奇跡の血量とは、産まれた仔馬に同一の祖先の血量が18.75%入っていることを意味している。

一般的には父方母方(順不同で)のそれぞれ3代前と4代前に同一の祖先がいる近親配合になるとこう呼ばれるのだが、実際には3代前、5代前、5代前にそれぞれ同一の祖先がいる為奇跡の血量となっている馬もいたりもする。

例はこれに限ったものではないということだ。

18.75%という数字に何故注目が集まったのかと言うと、単純に代々大活躍した競走馬の中にその分量の血量を持った馬が多かったというのが大きな理由で、例え同一の祖先の同一の血量を持って産まれて来たとしても、その全部が活躍するわけではない。

そういったところから奇跡の血量と呼ばれている。

これはどの競馬シュミレーションゲームを遊んでいても必ず目にする配合論の一つで、限りなく現実に近く反映されているゲームクリエーターの腕の見せ所であったりもするのだろう。

ゲーム中ではこれをしたからといって必ずしも強くなれるとは言い切れず、そこがまたゲーマーの泣き所となっている。

「しかし、そこにはリアルがある」

親父は中央競馬会で長年獣医をやっていたので、奇跡の血量に関しても子供の頃から聞かされていた。

祖父や叔父達は調教師、父方の親類のほとんどが競馬関係の仕事に携わっていたので、俺ももちろん競馬界に入る様に促された。

しかし、見事に道を外してここにいる。

そんな俺からしたら、親父や祖父は天よりも高く上にいるような存在に他ならない。

「奇跡の血量ってのがあるんだ、ハマるとすげー走るけどなかなかいねぇ」

「そうなの?」

「ああ、走ったらすげーぞ」

「へぇ〜トレセンにいる今?」

「い〜や、なかなか見ねぇ」

「そっか、今度見かけたら教えてよ」

「ああ、分かった」

親父の書斎の本棚には、昔からヨーロッパ血脈に関する血統背景の本が並べてあったが、それもいつからか全く開かれなくなっていた。

無口な親父とのあまりにも少なかった人生の会話の一つだ。


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