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綿帽子 第二十六話

寒くなったら暑くなる。

初秋だというのに残暑のぶり返しがきつい。
いい加減諦めろよ残暑と思ったりもするが自然には逆らえないのだ。

暑さが続くとはいえ花粉症の季節は否応なくやってくる。

『木から飛び出す婆さん』の相手をするのに飽きたので、散歩コースもバリエーションが増えてきた。

最近は緑を求めて田んぼの横の道を歩いている。

スギ花粉が舞う季節ではないのだが、どうやらこの近辺にはブタクサなるものが沢山生えているようで、スギ花粉にアレルギーがある俺はブタクサにも過敏に反応するようだ。

以前はスギ花粉にも全く動じない頑丈な鼻をしていたのだが、数年前から一回始まると床にまで届きそうなくらい鼻水が滴り落ちるようになった。

今回も例外ではないらしい。

あまりの酷さに主治医に診てもらうことにした。
アレルギー止めの薬をもらったのだが、薬に弱い俺は毎回若干の心配がある。

主治医が「大丈夫」と言うので指示された通りに飲んでみた。
特に異常らしき異常は感じられなかったので、そのまま夕方の散歩に出た。

夕方とはいえ残暑が厳しい、それでも歩かなければ足に筋肉が付かないのだ。
入院生活で衰えた筋力を補えるのは努力しかない。

10分程歩いただろうか、じんわりと汗ばんできた。

Tシャツを着ているので脇の下は既に濡れている。
元から汗っかきな俺は人並み以上に汗を掻く。

ただちょっと何かがおかしい、段々と額から汗が滴り落ちてきた。
タオルで拭うのだが、間に合わないくらいの勢いで汗が出る。
今度は頭から汗が吹き出してきた。
あれ?いくら人並み以上と言っても掻きすぎじゃないのか?

タオルがタオルの役目を失って、Tシャツを濡らすお手伝いをし始めた。
ここまで大量の汗を一度に掻くのは初めてだ。

「無視して歩き続けるか、家に帰るか?」

「いや」

「自分で不安を煽ることはない、散歩は諦めよう」

俺は即座にUターンして自宅への道を急いだ。

家に帰ると直ぐに洗面所に向かう。
手を洗ってから、バスタオルを取り出す。
汗が拭いても拭いても滴り落ちる。

「何度拭いてもダメだ」

体を拭いてから着替えをしたが、あっという間に汗でびしょびしょになる。

諦めて裸でいると、何故裸でいるのかとお袋が聞いてきた。

理由を説明する気力もなく自分の部屋に向かう。
何とか階段は上がれるようになってきたので、最近は自室で寝るようになった。

ベッドの上で横になる。

「明日一番で主治医の元に向かわなきゃ」

空っぽの頭にそれだけがあった。

やがて夕食に呼ばれて階下に降りた。

食卓に裸のまま着いたのでお袋から「裸で何だ?」と言われるが、そんなどころではない。
汗が止まらないんだから仕方がない、一向に止まる気配を見せない汗に動揺は隠せない。

そそくさと夕食を済ませると、無言のまま自室に戻った。

「嗚呼これは一体どうしたものだろう?」

多分薬のせいだろうけど、あまりに体がおかし過ぎないか。

大量の汗をかいたので体が冷えるのは分かっているが脱衣所に向かう。

「今日は流石にシャワーだけにしよう、明日になればもう治っているかもしれない」

そんな甘い期待を抱きながらシャワーを浴びた。
タンクトップに下着だけ身につけて早々に床に就く。

早めにベッドに横になったのはいいものの、大量の汗が全身から吹き出してくる。
もう全身の毛穴という毛穴から大量の汗が吹き出している。

「これは一体どうなっているんだ?ダイエットなんてしなくてもいいくらいに痩せて退院したんだぞ」

あまりの汗の吹き出しように、もう一度脱衣所に向かう。
バスタオルを一枚手に取ると自室に戻り、ベッドの上に敷いた。

これで朝まで持つだろう。

そして「どうか朝になったら治っていますように」と、まるで呪文のように連呼しながら眠りに就いた。

朝が来た。

なかなか寝付くことはできなかったが、多少は寝られたようだ。

気付いたらシーツが汗で子供がおもらしをした様に濡れている。
朝になってもやはり汗は止まらず、いっそう全身から吹き出している。

念の為に食事を取らず病院に行く準備を整えた。

病院に行くのは好きではないが、今日だけは待ち遠しい。
一番で診てもらえるように早目にタクシーを呼び、家を出た。

病院に着いてしばらくすると看護師さんがやってきた。
問診票を書く時に受付付近にいる看護師さんが気を遣ってくれる。

全身汗が止まらなくて困っていると伝えると「早目に呼ぶようにするから」と言ってくれた。
予約の患者さんがいることだけは分かってくれとの事。

待合室の長椅子に座りながら、全身をタオルで拭き続ける。
全身から汗が吹き出しているので、服に汗が滲み出ていて恥ずかしいくらいだ。
周りの視線が突き刺さるような気がしてならない。

これも人生初体験と思えば少しは気が楽になるなと、前向きに考えてはみるが初体験があまりにも多過ぎる。

初体験なんて、気持ちの良い物がいっぱいあった方がいいに決まってる。
俺は気持ち良くない初体験をするにはあまりにも歳を取りすぎてるよ神様。

都合の良いことを言う時も神様、都合の悪いことを言う時も神様か。

人間、だから紆余曲折あるのかな。

やがて自分の順番が回ってきた、診察室に入って状態を伝える。

「では薬を飲むのは止めましょう」

「え、先生それだけですか」

「それ以上はちょっと」

「いや、これ、では止めたらどれぐらいで治るんですか」

「もう飲まれてはいないですよね」

「はい」

「薬は体内から抜けるには充分時間は経っているので、しばらくしたら治ると思いますから、それでも続くようならまた来てください」

「え、これ、この状態を何もしないでずっと待つの」

心の声がそう言っている。

「薬の影響でそうなっているのであれば、必ず治りますから」

「分かりました」

そう言って診察室を後にした。

「分かるわけがないだろう」よっぽどそう言いたかった。

俺の命の恩人の先生を悪くは思いたくはないけれど、先生俺が薬に弱いって知っているじゃないですか。
先生が飲んでも大丈夫って言ったじゃないですか。

こういうやり取りがあると複雑な心境になる。
しかし、確実に一つだけ分かったことがある。

それは、たとえどんなことがあろうとも医者との関係は良好に保ったほうが良い方向に向くということだ。

お袋の命を助ける為にかかりつけ医やお袋がそれまで通っていた病院の主治医、手術を受けた病院の医師や看護師の方々と度々揉めることもあった。

時には、言いたくないことを言わなければならない状況に追い込まれたり、露骨に嫌味を言われたことさえあった。

医者がプライドを持つのは良い。

ただ「患者はあなたのプライドを保つ為に存在しているわけではありません」そう言いたかっただけだ。

しかし、それを繰り返した結果が全て自分に災いとなって降りかかってきたのかもしれない。

最悪な状況に追い込んだのも医師。
失いかけた命を繋ぎ止めてくれたのも医師。
まるで皮肉のように両者が同時に存在している。

運命というものが自分で選択出来るのだとすれば、本当は生きて行く上で最良な道を見つけるのは容易いのかもしれない。


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