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綿帽子 第二十五話
あれからも同じ道を通る度に婆さんは出てくる。
老木に近づくにつれて緊張感が増していくが、平常心を養うには丁度良いのかもしれない。
少しずつ距離を伸ばしてコンビニの近くまで来れるようになった。
店内に入ってみる。
このコンビニにはよく通っていたので懐かしい顔を見る。
軽く挨拶を交わしてから、すぐに外に出た。
まだ人と上手く会話できるような状態ではないらしい。
自分が本当に情けなく思ったりするが、ここまで弱ってしまったのだから仕方がない。
腹を括って前を向くしかないのだ。
思い返せば「死の前兆」というものを感じ取っていたかもしれない。
敗血症を発症したと思われる数日前にも、このコンビニに立ち寄った。
その時にはもう歩くのも立っているのも苦しく、絶対俺はおかしいという自覚はあったが、本当に死んでしまうとまでは想像はできていない。
しかし、死というイメージがこびりついた予感めいたものは肌で感じていた。
それでも如何せん、いざとなると人間それを認めようとはしないもので、一晩寝れば何とかなってしまうのではと思いがちなのだ。
フラフラとしながら自転車に乗ってここまでやって来た俺は、いつものように入り口から中に入ろうとした。
ところが、入り口のドアが開かない。
何が起こっているかさっぱり分からない俺は、もう一度入ろうと試みるのだがドアが開く気配がない。
故障かなと思い一歩後ろに下がってから、再びドアの前に立つ。
しかし、本来なら自動で開くはずのドアが全く反応しない。
困り果てた俺は中を覗き込み、馴染みの店員さんに手を振って合図をした。
俺の様子に気づいた店員さんが中から出てくる。
「どうしました?」
「いや、何度も入ろうとしたけどドアが開かないんだ。故障かなと思って呼びました。」
「何でしょう?」
「そうですよね、おかしいね」
そんな会話を交わした後、店員さんは中に入っていった。
続いて入ろうと思ったのだが、不思議に思った俺は一旦立ち止まり、もう一度入り直そうとした。
やはりドアは閉まったままで開かない。
何度も入り口の前のセンサーのある所をしっかりと踏んで通り抜けようとしても、ドアが開かないのだ。
慌てて、もう一度大きく手を振った。
直ぐに店員さんが気づいて中から出てきてくれた。
「何でしょうね」
流石に不思議に思った店員さんは、何度か自分でセンサーの前で確かめてみる。
ちゃんとドアは開く。
不思議だねと二人で会話を交わしながら、今度は店員さんの後について中に入った。
気持ち悪さが先に立ったのもあるが、何だか直感めいたものもあって、自分でそれを打ち消したかったのだ。
この時、体調の悪さから家を出る前に血圧を測っていた。
血圧計には上が80と表示され、何度も測り直したのだが血圧計自体の故障かなと勝手に自分を納得させていた。
これも血圧計より自分を信じるという、俺の犯した大きなミスだった。
その後帰宅した俺は、あまりの体調の悪さに苦しみながらも夜更かしを続ける。
そして、翌朝突然左側の鎖骨と喉との間に大きな腫瘍のような物ができているのを発見する。
そして発熱が始まった。
直ぐにかかりつけの内科医院に赴き、診察を受けた。
主治医からは「感染症ですね」と診断を受けたが、解熱剤のみを処方され通院するように促された。
それが結果的に大きな誤算となるのである。
医師間の繋がりというものが一体どういうものなのか、自分は医師ではないし、人の有り様を全く否定するつもりはない。
しかし、瀕死の状態で総合病院に赴きながら、かかりつけの主治医の指示を仰げと何度も家に返されたことは事実であり、死を間近に感じなければ「お願いですから入院させてください」などと口に出すはずもないのだ。
未だに苦しんでいる後遺症のことを思えば、悔しいという一言で表せるものではない。
相変わらず空は眩いくらいに光り輝き、雲は掴んだら千切ることが出来そうなくらいに丸みを帯びている。
初めて雲を綿菓子に例えて表現した人は、本当に天才なんじゃないかと思うくらいに雲が身近に感じられる。
俺が画家になろうとしていたり、元から画家志望であったのなら喜んでいたのかも知れない。
だが、今の俺にはこの美しい世界が「お前は天に近い存在なんだよ、よく見て覚えておきなさい」と促されているようにしか思えないのだ。
それは恐怖と紙一重の世界だ。
だから思ったんだ。
絶対どんなことがあろうとも人生をやり直してやるって、例え失敗続きの人生であったとしても必ず今より笑える日がやって来るって、そう思ったんだ。
大体こういう時にはバックグラウンドミュージックなるものが頭の中に流れたりするものなのだが、この時は自分の歌が頭の中で流れていた。
これってこういうシチュエーションだと、その曲が後々爆発的なヒット曲となって、人生の大逆転劇が起こったりするものなんだが、どうやらそれは俺には当てはまらないらしい。
映画やドラマの中の世界だ。
考えてみたら、そうやって世間に公表されるストーリーの大半は脚色されている。
実際に起こったことを相当デフォルメしないと、そうはならない。
大衆に夢を持たせるために脚色することは当たり前であり、音楽家や芸術家はやはり夢を売る商売であることには変わりはないのだから。
そして、何をおいても日本人はこの曲良いですよ、この曲凄いですよ、知らないんですか?
この三つの言葉に弱い。
多分最初の二つまでは表現は何でも良いと思う。
ただ、最後にあなたまさか知らないんですか?っていう言葉を添えることでデフォルメ三種の神器は完成となるのだ。
一つだけ真実があるとすれば。
それは形はどうであれ作品として世に生み出され、人の目に付く場所には存在しているということ。
俺はそれすら未だにできていないのだ。
ちゃんと前を向いて歩んでいても、それを実行できる環境を作るために必要な健康が足らないのだ。
そう健康が足らないのだ。
神様どうか願いが叶うのなら、頭を撫でるだけで全ての苦しみが消えて無くなってしまうような、そんな魔法を俺にかけてください。
そう願ってやまないのだ。
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